15.「だから、デザイアというんです」
「見えてきました」
シファは窓の外に目をやる。
遠くに、鈍く光を受けて輝くものがある。小型のドームだった。
シティのような巨大なものではなく、「物好きな個人住宅」として売り出されている、ごく小規模のものだった。
火星に植民した者の中には、ごみごみして、危険も多いシティに住むことを嫌って、自分の城を作ろうとするものも時々居る。例えば、経済的余裕がある、人嫌い。例えば、研究に打ち込んで外部の騒音を聞きたくない科学者。例えば、ファンやマスコミの目から逃れて作曲をしたいミュージシャン。
そんな人々が、シティから、ランドカーで一日程度の距離の場所に点々と自分の「城」を作っている。
彼女が彼らに指定したのは、そういった区域だった。そこに「お花畑」がある、という。
朝早く、彼らはシティを出た。さすがにこれには、都市のオートコントロールは効かない。車は三人が交代でハンドルを握った。シファには免許が無い。運転方法は組み込まれてはいない。そして後で覚えたところで、メカニクルには免許が下りない。
「朱明のようなドライバーに比べて、勉強すればよっぽど正確だと思うけどなー」
助手席でハルは言う。もっともだ、とハンドルを握る藍地もうなづいてみせる。
言われている本人は、かなりの仏頂面になりながら、シティ周囲の地図をがさがさと広げ、確認していた。
地図とはこういうもんだ、と言いたげに、彼は大きめの紙の地図を用意していた。そして前に座っているシファの肩をちょん、とつつくと振り向かせる。はい?と小声を立てて彼女は振り向いた。
「結構な僻地だよな」
朱明は地図の中で空白にされている場所の一点を示す。
空白なのは、道が作られていないからで、何も無い訳ではない。ただ、あるのは堅い、乾いた大地だけだった。場所によっては、砂地になっていて、下手するとその中にはまりこむ危険もある。
そしてその地図の中には赤のマーカーで×印が付けられている。付けたのはシファだった。
「ええ。そういう場所をマスターはわたしに探させました」
「君に?」
ハルは身体をひねって後ろを向く。前と後ろを交互に見ながら、彼女はうなづいた。
「ええ。実験も…… それも一応生物実験の部類ですから、外的要因が本当に変わらない方が良かったんです」
「どうして」
「うちの合成花の基は、他の合成花の基であるフォロウよりは、その変異を起こす前のデザイアでした。マスターはフォロウを改良するよりは、そっちに手を加える方がより効果的だと考えたんです」
何で、とハルは座席の背もたれから身を乗り出すと、訊ねた。
「もともとのデザイアには変化する意志があるものですから」
「え」
「どういう意味」
ハルと朱明の声が揃った。
「だから、デザイアというんです」
デザイア――― desire。
欲望。
朱明は同時にもう一つの名をも思い出す。
シファは続けた。
「元々デザイアは地球上の生物ではないんです。他の惑星から帰ってきた船に入り込んでいた生物です。そしてそれは、その場所に一番適した形に、自分で変化するんです」
「ちょっと待ってシファ。じゃあ、フォロウの方は?何をして、デザイアはフォロウになった訳なの?」
「ハルさんならお解りじゃないですか?」
シファは大真面目な顔で、その当の相手を見る。
「似た様なものなんですよ」
何のことだ、と朱明は思った。
「デザイアは、どんな場所でも生き残るために、その姿を変えるんです。そのためには分裂と増殖も繰り返す。だけどその場合は、生殖ではない繁殖なので、個体のコピーに過ぎない。意志は一つです。人間の一つ一つの細胞のように。だけど普通の実験室では、わざと下等生物の姿をしていたんです。小さく細かく。彼らは自分等が意志を持つ生物であるということを悟られないために」
「じゃフォロウというのは……」
急に変わったシファの口調に困惑しながらも、朱明は訊ねた。一体これは、誰が喋っているんだ?
「ところがある種のショックを受けると、デザイアの意志は死ぬんです。その意志が死んだ状態がフォロウなんです。だけど繁殖と生殖、それに簡単な擬態は外部からの刺激に反応します。意志が死んでも、機能自体は動きます。だから、フォロウから出来る合成花には美しさが足りない。当然です。そこには生花の持つ生殖の欲望までを感じ取れない以上、所詮最低限の色や形を擬態するにすぎない」
「君は……」
ハルは藍地の肩に手をかける。藍地はブレーキを踏んだ。ぎ、という音を立てて、車は止まった。藍地もまた、後ろを向く。
「君は、誰だ?」
ハルの問いに対して、車中のヒロインは、きっぱりと答えた。
「わたしは、デザイアです」
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