6.「あれは合成花なんです」
シファはそのまま、頭を抱えて、固くつぶった目を開こうとはしなかった。唇を強く噛んで、数字を口の中で数えているような音が、藍地の耳に届く。
「だけど、俺らはそれを聞かないことには、次の行動には移されないよ」
皿を積み重ねながら、さりげなく、だけど容赦なくハルは言う。
「どっちが大事? 君には」
それでも閉じた瞳は開こうとはしない。藍地にも、薄々事態は理解できていた。
「認めたくないとは思うけど、目を開かんと、君の大事なマスターの……」
「止めて下さいっ!」
同じ言葉だった。だがその調子は違っていた。
同じ彼女だろうか?
朱明は目を見張る。そして彼女と交互に、自分の相棒に目をやる。ハルの表情は変わらない。だがそういう時こそ本気だ、ということは、長いつき合いの中で、彼がよく知っていることだった。
「ええそうです!わたしの…… わたしのマスターは、亡くなったんです! もう、この世の何処にもいないんです!」
「……だよね」
静かにハルは言う。ガラスのコップが、シンクの中で音を立てた。
藍地はややまぶしそうな顔になる。なるべくだったら、女性の悲しむ顔は見たくない。それがメカニクルだとしても。
そして朱明は、煙草をもう一本出しかけ…… やめた。とん、と箱をテーブルで叩き、出しかけた一本を押し込め、彼女の方を向く。
「と言うことは、あれは借金取りか何かか?」
「いいえ。あれは、マスターの親族の方々です」
「親族? 何で親族が君を追うんだよ?」
「判りません」
「判らないって」
朱明は眉を大きく寄せると、こめかみをかりかりとひっかく。合点がいかない。
「判らないんです。……とにかく、亡くなったことを地球へとお知らせしたら、いきなり…… でも今まで一度もこちらへなんか来たことのない方々なんですけど」
「用事があるんだろ」
ハルはぼそっと言った。
「用事?」
「ああ、単純に考えりゃ、遺産とか色々考えつくよな。だけど俺はあの花屋さんがそんなに隠し資産していたようには見えねえけどな」
うーん、と藍地は腕を組んで考え込む。
「遺産と言っても…… うちの花屋は、そんなに多くの利益を上げるというものではなかったし…… それにマスターは貯め込むより、研究にそれを使ってしまうようなひとでしたから……」
「研究?」
藍地は眉を大きく上げる。朱明はほー、と感心したような声を上げた。
「あのじーさん、科学者は何かだったのか?」
「科学者…… と言えば、そうです。少なくとも、地球に居た頃は、研究室勤めをしていましたから…… 生物学で…… ご存じですか?」
そう言ってシファは、世界でも名の知れた大学の名を出す。げ、と朱明は目を丸くした。
「ちょっと待ってシファ」
藍地は手を上げる。
「もしかして、君のマスターって、クム・ダールヨン氏?」
「……ええ」
誰だよ、と朱明は身を乗り出す。
「誰って…… って言ってもお前知らないよなー……」
うるさいよ、と言う友人の悪態は丁重に無視して、それでも藍地は事情を知らない二人のために説明を始めた。
「俺等があの街から外に出た頃だよ」
ぴくん、とハルの眉が片方だけ微かに上がる。
「ほら、報道機関っていうのは、『事件にできない事件』は載せないかわりに、その時にちょうどあった事件だと、結構大げさに騒ぐじゃない? そんな感じがしたんだけど」
「ん? ちょっと待てよ? それなら俺も何か記憶がある」
「お前でも覚えていたの?」
カウンターの向こうの相棒は、くくく、と笑いを含みながら容赦ない言葉を投げる。たまにはあるんだよ、と朱明は返した。
「花だの植物がどーの、とか言ってたんじゃなかったっけ」
「そうです」
シファが藍地の代わりに答えた。
「マスターは植物の研究を、地球に居た頃からずっとしていたんです。だけど、十年くらい前から、何か研究について悩んでいました」
何で、とハルは短く訊ねる。
「理由は二つありました。一つは研究室の方針に合わなくなってきていたこと」
「もう一つは何なんだ?」
「価格です」
価格? と朱明は再び眉を寄せた。
「何それ、まさか研究室が花は高いから予算は出さねえってことじゃないよな?」
「違います。わたしの言葉が足りないんですね。……え…… と…… 何って言ったらいいんでしょう…… あの、朱明さん、うちの花ってどう思いました?」
「どうって?」
「生花にしては、安いと思いませんでした?」
「安いって…… あー……」
正直言って、朱明はそこまで考えたことはなかった。
花なんて買う用事自体が結構面倒なものだったので、一度気に入った店であったそこ以外、他で買うこともなかったのだ。だから彼は相場を知らない。困っている彼のもとに、以外にも相棒が助け船を出した。
「安いよ」
「安いのか?」
「お前前に、うちで知り合いのバンドが打ち上げした時に、花注文したじゃない。結構量あったろ。で、直接請求書が俺のとこにきたから見たんだけど、何じゃこれは、と思ったよ俺は。てっきり合成花かと思った」
「そういえばそういうこともあったなー」
「合成花と同じくらい?」
藍地は信じられない、という顔になった。
「……いえ、違います、ハルさん」
シファは首を小さく振った。
「あれは合成花なんです」
何だって、とハルはその時やっと手を止めた。
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