5.そう、もう二度と開かないかのように。
ちょっと待てよ、と朱明は目を大きく見開く。娘じゃなく……
「どういうことだよ藍? 娘じゃなく…… って」
「いや別に。だから、若い頃からのパートナーだって。ナンバー聞いた時からそうは思っていたけどね」
つまり。彼は藍地がはっきりとは言わない言葉の意味を考える。パートナー。つまりは、人間だったら、愛人にあたるもの。
「朱明さんが驚くのも無理はありませんわ」
シファは目を伏せる。本当に、人間の「娘」と言われたところで納得してしまう程、彼女は実によく作られていた。実際朱明も、花屋のマスターから彼女がメカニクルだと言われるまで、気付かなかったくらいなのだ。
精巧なメカニクルやレプリカントは、人間とはまず見分けがつかない――― 彼の相棒と同じように。
彼の相棒はレプリカントだった。その身体も、レプリカントたる頭脳、HLM《ハーフリキッドメモリーズ》もそのものである。
ただ中に在るのは、人間の何か、なのだ。
各地にあまた居るレプリカント・チューナーだったら絶対に信じないだろうが、かつてある事件で、人間としての肉体を無くした朱明の相棒は、自分と同じ姿のレプリカントに入り込んでいるのである。
現在の身体は、特注物であるため、ナンバーは打たれない。管轄外である。そしてその元々のハルの肉体自体の死亡も外部には知られていないことから、彼は「人間として」そこに居る。
危険なことではある。いくら中に人間の心がある、と言ったところで、目に見える身体は、作り物でしかないのだ。
どれだけ精巧なものであったとしても、生身の人間では、ないのだ。
レプリカントは、歳を取らない。
歳を重ねることのない身体は、ひと所にはいられない。いくら何でも、二十歳にならない外見の人間が、十年歳を全く取らなかったら、それは化け物だ。
だから彼等は、点々と住処を変えた。移動につぐ移動。二人ともそれは性に合っていたから、それは苦ではなかった。種類を選ばなかったら、それなりにそこで仕事をすることもできた。長居する訳ではない。だったらそれにふさわしい仕事を気楽に。
だが、彼等がどうであろうと、どうやら世界はそうはいかなかったらしい。年々増え続けるレプリカントや精巧なメカニクルが、ほんのわずかながら、おかしな動きを見せ始めた。
平たく言えば、人間との恋愛沙汰である。
シファは続けた。
「わたしはマスターがまだ地球に居た頃、引き取られました。当時マスターは三十代で…… 奥様を亡くされた頃でした」
淋しかったのだろうか、と朱明は思う。
「だけど別段、それから二十年は、わたしもただのメカニクルでした。何も考えることはなく、ただ求められることをマスターにして、穏やかな日々でした。だけど」
「だけど?」
カウンターの中から、ハルが不意に訊ねた。
「十年ほど前から、何かわたしは狂い始めました。わたしはただそこに居る、というのだけではなく、そこに居たいのだ、と感じ始めたのです。他の誰でもなく、マスターのために」
「何で?」
またハルの声が飛んだ。
朱明も藍地も、やや困ったような表情でお互いの顔を見合わせる。シファはそれには気付かない様子で、続ける。三十年だ二十年だ、という言葉は似合わない、少女の顔で。
「ちょうどその頃、わたし達は火星に移ってきました。そしてここに花屋を開いたのです」
「第二期の移民船?」
藍地は首をかしげる。
「ええ。一番こちらへ向かう希望人員が少なかった時です。希望すれば確実に外へ出られましたから……」
「ということは、出なくてはならない理由があった?」
朱明は彼女の言葉を先取りする。予想がつく。ひどく簡単に。だってそれは。彼女はうなづく。
「君を抱えていたから?」
いいえ、と彼女は藍地に向かって首を振る。
「それもあったのかもしれません。だけど、マスターが地球を出たのは別の理由です」
「と言うと? シファは追われていた、それに関係あるのか?」
藍地は弾かれたように朱明に視線を向けた。
「追われていた?」
そぉだよ、とハルは皿を出しながら代わりに答えた。
「おかげで俺までカーチェイスの主人公になってしまったわ…… まあそれはいいけどな……」
すみません、とシファは頭を下げようとした。するとハルはそれを見て皿を持ったままの手で制する。
「別にいいんだそれは。ただ、何で追われていたか、は俺も知りたいんだ。俺は聞きたい」
「でも危険です」
「あんだけのことさせといて、今さら危険も何もないだろ。それに危険に勝手に巻き込んだのは、シファじゃない。こいつ」
そう言ってハルは自分の相棒を指した。
「巻き込んだお礼はこいつにするからいいの。でも巻き込まれたからには、何がシファの敵さんなのか知らないと、動きが取れない」
相変わらずの言いぐさだ、と藍地は頭を抱えた。
それは当の相棒も同じはずだが…… さすがに朱明は明後日の方向を向いていた。
藍地はそれを見ながら、さすがだ、と思う。
確かに自分もかつてこの綺麗な友人に思いを寄せていたことはあったが、ずっと一緒に居るのはやはり無理だろう、とほんの時折会うこの二人を見るたび思うのだ。
そしてハルは重ねて問う。
「マスターの話を君はするけど、その当のマスターは、どうしたの?」
シファははっとして顔を上げた。ぶるぶると、膝についた手が震え出す。ハルの視線はそれを捉えている。それに気付いているようだ、と藍地は思う。
「君はずいぶんこっちの色んな質問に答えたけどさ、君の言うことには、何か足らない。それとも、俺が言ってもいいの? 君の大事なマスターは……」
「止めて下さい!」
彼女は大きく頭を振った。それを見ていた朱明も、それが何であるのか、は薄々気付いていた。
店は閉じていた。そう、もう二度と開かないかのように。
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