4.「君は、花屋の主人の『娘』ではないね?」

 その時、助け船のように少女の声が響いた。藍地は自分の横に座っていた少女の方に身体を向けると、改めてしげしげと見つめる。

 最初から藍地は可愛い子だな、と思ってはいた。

 黒い、柔らかそうな髪がまっすぐ流れ、肩くらいまで伸びている。だいたい同じくらいの長さの髪が、切り揃えた部分以外の前髪だけ後ろに回して止められているように彼には見えた。

 顔立ちは整っているが、整っているゆえの強烈さとは無縁に見えた。そのあたりが、このカウンターに立つ友人の整い方とか、奇妙なバランスを取りつつ強烈な印象を残す朱明とは違うところだとも。

 比べるのも何だが。


「キミのせいじゃないよ。コトバを時々探しにくくなるこいつが悪い。自分のしたことには自分で責任取れっていっつも言ってるくせに」


 カウンターの中からハルは彼女の前にも飲み物を置いた。色は同じだが、香りが微かに違う茶がそこにはあった。


「……違うんです。あの……」


 少女は顔を上げる。その拍子に前髪がふっと動いた。おや?

 ちょっとごめん、と藍地は少女の前髪をかき上げた。少女の身体はつ、と避けようとする。


「あ、ごめん……」

「いいえ…… あの……」

「そうか……」


 藍地はゆっくりとうなづく。彼女の額の脇には、髪に隠れて、プレートがあった。ちら、と見た認識コードのアルファベットの組み合わせはメカニクルのものだった。


「……判ったろ? んー…… つまり、この子は花屋のマスターの娘役、だったんだ」

「へえ。じゃ君、ちゃんと可愛がってもらっていたんだね。名前は?」


 藍地は穏やかな口調で問いかける。ハルは無言のまま漂白剤に漬け込んでおいた皿を、そのまま洗浄機に入れるという作業をしていた。

 怒っているな、とそれを見ながら朱明は思い、はあ、とため息をつく。そしてそんな彼等には構わず、藍地は彼女に質問をしていた。


「シファ、と呼ばれてました。本名は、SPH-506631」

「可愛い名だね」


 藍地はそんなことを笑顔でさらりと言う。朱明は何となく背中がむずがゆくなるのを感じた。


「マスターの話では、紫の花という意味だと」

「ああ、そういう読み方をする所の人だったのか」

「ええ。ナンバーでは呼びにくいから、と」

「そう…… ところで君は、ずっとマスターの所に居たの? 最初から」

「ええ。最初から、です。ずっとわたし、マスターのところに居ました」


 なるほど、と藍地はうなづいた。

 何がなるほど、なのだろうかと朱明は思う。そして幾つかの他愛ない質問を彼は続ける。何せ彼は、その道のエキスパートなのだ。

 旧友の藍地は、十年程前から、レプリカントやリアルタイプのメカニクルのチューナーとして、幾つかの会社に引き抜かれていた。

 ちょうどその辺りから、彼等はお互いの生活に忙しく、そうひんぱんには会うことは無くなっていた。

 それは四年ほど前、彼等が火星に出てしまってからは、直接会うことはまず無くなってしまった。彼等は地球に用事はないし、藍地も仕事以外で火星に来ることはない。たまたま来ることがあっても、忙しい藍地は彼等に会う暇も取れなかった。

 ハルがどう思っていたかは判らないが、朱明は実際のところ、藍地とそう積極的に会おうとしていたことはない。

 無論嫌いではない。長い馴染みの旧友なのだ。会えば楽しい。共通の記憶もある。その時辛かったことがあったとしても、現在がそれなりに幸せなら、それは十年という月日の中では、懐かしい話に変わる。

 ―――現在が幸せでなかったら、それは恨み言にしかならないが。

 恨み言にならない現在を、朱明は少しばかりくすぐったく思う。なってもおかしくはなかったはずなのだ。結局自分は彼から今の相棒を取ってしまったようなものなのだから。

 そしてそのまま地球と火星、両方にまたがって、それでもお互いに平和に過ごしているつもりだった。

 だが。


「なるほど」


 思考がさえぎられる。朱明ははっとして藍地とシファの方に顔を上げた。


「じゃあ最後に一つ聞いていいかい?シファ」

「はい」

「君は、花屋の主人の『娘』ではないね?」


 どういう意味だ、と朱明は思う。はい、とシファはうなづく。


「君は、彼の若い頃からのパートナーだったんだろう?」


 再びシファははい、と答える。


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