第9話

 2年後。私はとある孤島の教会にいた。目の前には大それた扉があった。その扉の取っ手を、二名のスタッフが片方ずつ掴んで待機している。

 

「新婦、入場」


 扉の向こう側からそんな声が響いた。それと同時に、スタッフが一斉に扉を開いた。

 

 扉の向こう側の景色が広がる。中央に身廊が祭壇に伸びていた。その両側には席が設けられてあり、その席についている人たちが皆、私に注目していた。

 

 私はそして、身廊を進んでいく。祭壇で待っているのは、私の結婚相手と、神父だ。

 

 神父の顔は布で隠されていた。この挙式はライブ中継されている。余計な人物の顔は映らない方が良いとの配慮だった。

 

 やがて祭壇に辿り着いた。新郎は横目で私を見ると、パチリとウィンクをした。私はそれに微笑んで応えた。

 

 良い人だと思う。アイが選んだ相手だけあって、ルックスは完全に私好みだ。彼は新生アイズの隊長を務めていて、結婚相手としてのスペックも申し分ない。

 

「新郎。あなたはここにいる新婦を、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、妻として愛し、敬い、いつくしむことを誓いますか?」

「はい、誓います」

 

 誓いの言葉にて、新郎の声が響いた。次は私の番だ。これを肯定すれば、アイによる接触阻害はなくなる。

 

 目的の為だ。覚悟を決めろ、私。

 

 妻として、愛してやろう。敬うことも、慈しむことも、いくらだってしてやる。処女だってくれてやるし、子供だって産んでやる。

 

 でも私の真愛マナは別にある。


 

「新婦。あなたはここにいる兄に、処女膜を差し出し、ぶち抜かれることを誓え」



 神父の言葉が響いた。

 

「えっ……」


 水を打った様な空間に、私の動揺の声が響き渡った。

 

 今、この神父はなんて言った?

 

 兄、処女膜、ぶち抜く……?

 

「聞こえなかったのか?」


 あまりに横暴な口調で言いながら、神父は顔を隠している布を捲った。


 

「兄であるこの俺に、誓えと言ったんだよ。葵」



 神父はなんと、仁兄だった。2年ぶりに見た兄の顔。私は思わず泣きそうになる。

 

「仁兄……」


 感極まって、私は思わずそう呟いてしまった。

 

「そうか。あなたが、葵のお兄さん、ですか」


 新郎の彼は、動揺した様子を見せずに、兄に話しかけた。

 

「初めまして、でしょうか。僕は葵の結婚相手である、一峰いちみね りゅうです。新生アイズの隊長を務めています」

「ああ。兄の椎名仁だ。申し訳ないけど、この結婚は俺が認めない。諦めて帰ってくれ」

「いいえ。もうあなたは葵の兄ではありません。ただの犯罪者です。よってこの場で取り押さえ、中断した挙式はその後に再会させて頂きます」

「できるのか? お前は今丸腰だ」

「あなた一人くらい、容易いことですよ」

「確かに、俺一人ならそうだろうな」


 兄はそう言うと、胸に手を当てた。

 

「発光セヨ、発光セヨ」


 そして懐かしい祝詞を呟いた。

 

「これぞ真愛の閃きナリ!」


 その瞬間。祭壇のステンドグラスが、盛大に割れた。天空から降り注ぐ七色のガラス片。それに紛れて、二つの人影が飛び込んで来ていた。

 

 その人影たちは、私と仁兄を取り囲む様に立ち並んだ。

 

「うふふ。葵さん。お久しぶりですね」


 私の耳下で囁いたのは、兄の婚約者であった鬼道院だった。

 

「今度は私が、あなたを誘拐する番ですよ」


 そんな軽口を叩いて、うふふと彼女は笑った。

 

「一峰。久しぶりね」


 雫姉さんが刀を抜いて、龍に向けた。

 

「アイによって異性による接触は阻害されている今。私は例外処理が働く武器を持っていて、あなたは素手」


 雫姉さんはそして挑発するように笑う。

 

「この状況、あなたにひっくり返すことが出来るかしら」


 すると龍は、あっさりと両手を上げる。降参のサインだ。

 

「わかりましたよ。この場だけは、見逃します。先輩」

「ふふ。物分かりの良い後輩で助かるわ」


 仁兄たちは私を連れて、式場を出た。

 

 

 *

 

 

 そうして私はボートに乗せられた。孤島から出て、アイの塔に向かうつもりだろう。私の誘拐はそのセキュリティを突破する狙いも含まれているに違いない。アイの塔のセキュリティは今、私と蛍で管理しているのだ。


 ボートに乗っているのは、私と仁兄、鬼道院と雫姉さんだった。情報によると、旧アイズの中隊長二名が、さらに仲間のはずだ。

 

「私を降ろして」


 私は仁兄に言う。

 

「嫌だね」


 広い海を眺めながら、仁兄はただ言った。

 

「言ったじゃん。私は仁兄の子供が産みたい。そのためには、アイが必要なの」

「ああ、聞いた。俺は納得していないけどな」


 そして仁兄は、私に向き直る。

 

「なあ葵。人の不幸の上で成り立った幸せに、お前は本当に満足できるのか?」

「そんなの、いつの時代だってそうじゃん。誰かが幸せになっている一方で、誰かが不幸になっている。世界って、そんなもんだよ」

「確かに。いくら努力したって不幸なやつは現れる。誰もがそう痛感している。しかし必ずそうであると、誰も証明は出来ていない」

「何よそれ。証明出来ていないから、何だというの?」

「俺たち新生エメラルドファイアの最終目的は、それだよ」


 その言葉に、私は言葉を失った。あまりに夢物語で、あまりに無謀だった。

 

「無理だよ。そんなの」

「誰も無理だと、不可能だと、証明出来たやつはいない」


 頭が痛くなってきた。こんな馬鹿げた思想のために、ここにいる人たちは戦っているというのだろうか。


「なあ葵。もし俺たちの目的が達成されたらさ、その時は俺たちの子供を作ろうぜ」

「無理に決まっているじゃない。仁兄たちが目指す未来に、近親交配のリスクは健在でしょ」

「ああそうだな。でも俺たちが目指すのは、誰一人として不幸な奴がいない世界だ。俺たちの子供がもし、障害まみれで、短命だったとしても、そいつは幸せになれる。そういう未来を、俺たちは作るんだよ」


 それは考えもしなかった、近親交配に対する一つの回答だった。私はどうして、その結論に至らなかったのだろう。障害をゼロにするのではなく、障害を負った上でもなお、幸せになれるのなら、それで解決じゃないか。


「本当に、そんなことが出来るの?」


 私は問う。


「ああ、出来るさ」


 仁兄は、即答した。


 馬鹿げている。こんな話を信じるなんて。でも……。


「大好きな人の言葉を、信じない訳にはいかない」


 私は仁兄に抱きつく。そしてしくしくと泣いてしまった。

 

「ふふ。どんどんハードルが高くなっていきますねえ」


 鬼道院が笑った。

 

「悪いけど俺一人じゃ責任は負い切れない。お前にも受け持って貰うからな」


 仁兄が言う。

 

 ああ、この二人は。やっぱり相性がバッチリなんだ。この人と仁兄を、私は2年間も居させてしまった。


「じゃあ葵さんも、私のことを瑛里華と呼ばなきゃいけませんね」

「わかってるわよ。瑛里華」

「はい。瑛里華です♪」


 間抜けな返答に、私は思わず笑ってしまった。

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