第3話

 しばらく森で待機していると、黒塗りのワンボックスが一台やってきた。私たちはそれに乗り込んで、アイのメインシステムがある場所へ向かう。


 後部座席の右端に座る私は、車窓から見える景色をぼんやりと眺めていた。メインシステムは都心から離れた場所にあるらしい。高速道路の向こう側には、青く生い茂った森と、田畑が見えた。穏やかなその景色は、私の緊張を解していく。


「つけられているわ」


 運転手の蛍が言った。彼女のその言葉に、車内は緊張感に包まれる。サイドミラーを見ると、不審な軽自動車が数台確認できた。

 

「それだけじゃない。外の様子もおかしい」


 仁が言った。高速を走る車は私たちが乗っているこれと、その後を追う不審な軽自動車数台しかいない。

 

「どうする?」


 葵が不安げに言った。


「このまま目的地に行ったら、挟み込まれる。だから……」


 ルームミラーに映る蛍の表情が、歪んだ。


「振り切るわよ!」


 蛍はそう言うと、アクセルを踏み込む。


 エンジンが盛大に怒号し、タイヤとアスファルトの摩擦音が響き渡る。ゆったりと動いていた景色は急速に流れていき、身体は背もたれに押しつけられた。


 すると追っ手の車もスピードを上げ、私たちについてきた。そして車窓が開き、外に身を出して、私たちに向けて拳銃を向ける。


「蛍っ!」


 私は思わず、蛍を呼び捨てにしてしまった。


「わかってるわよっ!」


 返事をした蛍の声は、ほぼ男性のものだった。蛍はハンドルを左右に大げさに切って、ジグザグに走行する。


 それと同時に追っ手の発砲が開始された。しかしジグザグ走行によって車体に直撃することは免れていた。


「おい蛍。タイヤに当たったらまずいぞ」


 仁が言う。ジグザグ走行で免れてはいるけれど、それも時間の問題であった。


「私が出る」


 私はそう言うと、後部座席のドアのロックを解錠した。


「行けるのか、雫」


 仁が心配そうに言った。


「私を誰だと思っているの」


 そうだ。私は此処に鎮座する瑛里華様の護衛。


「アイズ中隊長、雫だ!」


 私はドアを開き、素早くトランク付近に立った。


 すると銃撃は止んだ。私は中隊長で、あの追っ手は恐らく隊員だからだろう。それに私がここに立ったら、銃撃が無意味だということも彼らは知っているのだ。


「なーに私情を挟んでいるのかなあ。私の隊員達は」


 聞き覚えのある声に、私はより一層緊張した。


 やがて最前線に位置する車から、一人の女性が私と同じ要領でボンネットに立った。


 燃えるような赤い短髪が、強風で激しく揺らめいている。オレンジの瞳は獰猛に私を睨んでいる。平均的な身長、少し大きめな胸。アイズの制服に、中隊長の腕章を着けている。


 そんな彼女が現れた。


「茜……」


 私は彼女の名を呟いた。


「ずっと前から気に食わなかったんだよねえ。雫が、私より強いって」


 茜はそう言って怪しく微笑んだ。茜が言っているのは、中隊長になる前の頃のことだろう。私と、茜と、望で手合わせをしたことがあった。望が最も強く、その次に私という結果だった。


 しかしそれはずっと前のことだ。私を含む中隊長には各々に強みがある。得意な環境、有利な状況下で戦えば、簡単にひっくり返る実力差なのだ。


「じゃあ、白黒付けようか。お前達! いつまでもビビってないで、さっさと撃ちなさい!」


 すると茜に感化された隊員達が、私に向けて一斉射撃を開始した。


 迫り来る弾丸の雨。しかし私には……。


「全て見えている!」


 銃弾の雨は、私の間合いに入った途端にあらぬ方向へ飛んでいく。私が刀で全て弾いたのだ。


「私がここに立つ限り、この車には指一本触れさせない!」

「へえ。本当かなぁ!」


 茜が私とは別方向にナイフを投げた。そのナイフは私たちが乗る車の前方を走っていた大型バスのタイヤを貫いた。


「なんでバスが。交通規制じゃなかったのかよ!」


 仁が叫んだ。コントロールを失ったバスは横転して、私たちが走る車線を全て塞いでしまった。


「任せろ。私が斬る!」

「へえ。斬っちゃうんだ。中に人が乗っているかも知れないのに」


 茜の言葉に、私は思わず躊躇してしまう。


「大丈夫だ雫! それより掴まってろ!」


 訳が分からぬまま、私は仁の言うとおりにした。


――ドォオオオンッ!


 その瞬間。凄まじい炸裂音と、衝撃が私を襲う。


 見ると車体は遙か上空を飛んでいて、真下を見れば横転したバスを丁度過ぎた頃だった。


 やがて自由落下し始め、地面に着地する。


「ぐぅっ……」


 私は再度襲いかかる負荷に、思わず呻き声を上げた。


「ちょっと仁! 何よ今のは!」

「この車はある程度改造してあるんだ。今のは地面に爆発を起こして、その風圧でジャンプする機能だ!」


 その言葉に、私は絶句した。なんて無茶をするんだ。


「でも見ろ。あいつら自分が道を塞いだ所為で、完全に足止めを喰らってやがる」


 確かに、と私が追っ手の方を向いたその時だった。横転したバスの上から、軽自動車が一台、飛んできたのだ。


「嘘でしょ」


 葵が絶望しきった声で言う。一台の車が天高くクルクルと回転しながら、私たち目がけて降ってきているのだ。そんな非現実的な光景、受入れられる訳がない。


「もう、斬るしか無い」


 これを斬らなければ、私たちが危ない。私は再度刀に手を添えた。


「そんな余裕、あるかなっ!」


 私は声のした方を向いた。なんと茜が自走によって迫り来ていたのだ。


「おいおい、時速120キロだぞ!」


 仁が言う。茜は試合の結果こそ私たちの中で最下位だったが、単純なスペックで言えば彼女に適う者はいない。あの振ってくる軽自動車も、きっと茜が自らの手で投げ飛ばしたに違いない。


 私は判断に迫られた。あの軽自動車が振ってくるタイミングと、茜が私に追いつくタイミングはほぼ同じだろう。


「こんのっ!」


 仁が車窓から身を乗り出して、銃を構えた。サブマシンガンだ。それを自走する茜に向けて発砲した。


 茜に肉薄する弾丸の雨。茜は抜刀してそれらを難なく弾いた。しかしその所為で多少、速度が衰えたようだ。


「これなら……!」


 軽自動車が落下してくる寸前。私はその軽自動車を一刀両断した。分断された軽自動車は私たちが乗る車の両サイドに落ちた。


「……!?」


 今度は刀が回転しながら飛んできた。茜が投げたものだ。私はそれも辛うじて弾いた。


「ふふ。隙有りってね!」


 飛んできた刀を弾いたら、今度は茜自身が飛んできた。彼女が持つ二刀の短剣を、私は刀一本で防ぐ。


 防いだのは良いものの、茜はついに私と同じ土俵に立ってしまった。


「ふふ。雫は刀しか持ってないんだよね。こういう足場が狭い場所で、相手が刀を使うんだったら、短剣が有利だよ!」


 ガキン、ガキンと打ち合う音が響く。茜の言うとおり、茜の二刀の短剣に、私はただ防ぐことしかできない。


「ほーら」


 茜がそう言うと同時に、ドスッと鈍い音した。


「ぐふっ!」


 茜の蹴りが私の鳩尾に直撃した。私はそのまま体勢を崩し、車の正面方向へ落下しそうになる。しかしフロントガラスの縁に片手で掴んだおかげで、それは免れた。


「勝負有りだね」


 茜は言う。落下は免れたものの、絶体絶命だった。


「雫。仲間のよしみで、命だけは助けてあげる。だから戻ってきてよ」


 茜が私を見下ろした。この子の境遇は私も理解している。茜は家庭内暴力に苛まれていた。しかしアイの正式導入がされたその日に、婚約者が決定された。この子は、その婚約者に救われたのである。


「アイによって幸せになった人たちは沢山いるんだよ。雫はさ。自分勝手な幸せの為に、皆を不幸にするというの?」

「それは……」


 私は、茜のその言葉に心が揺らいだ。彼女の言うとおり、アイの導入後に国内の幸福度は跳ね上がった。私たちはアイを破壊しようとしていて、つまりは不幸にする人間を増やそうとしている。


 果たして私に、そんなことをする権利があるのだろうか。


「惑わされるな、雫」


 仁の言葉が聞こえた。


「確かにアイを導入して、幸せになった人間は沢山いる。でもな」


 フロントガラス越しに、仁の様子が見えた。彼はボンネット越しに、アサルトライフルの銃口を向けている。


「肝心の俺たちが、幸せになってねぇんだよ!」


 その言葉に、私は泣きそうになる。愛する人と引き裂かれた私の苦しみは、誰にも分からないものだと思っていた。


 でも違う。私が守っている人たちは皆、私と同じ境遇に遭っている。私の苦しみを分かち合える人たちなのだ。


「そうだよ茜。仁の言うとおりだ」


 私は茜に言う。


「私たちは反逆者なんだよ。茜にとって私たちは悪い人。そんな人たちに、多数の幸せ云々を問うても無駄だ。だって私たちは、私たちが幸せになるために戦っているのだから」


 私の言葉に、茜は不機嫌そうな表情を浮かべた。


「そう。でも今の状況は分かってる? この状況をひっくり返せるのかな」

「ああ、返せるさ」


 私は刀を持っている手を、私自身の胸に添えた。


「斉唱せよ!」


 蛍が叫ぶ。


「発光セヨ、発光セヨ!」


 私は祈るように叫ぶ。



「これぞ真愛の閃きナリ!」



 その叫びが合図だった。車内にいる仁がボンネット越しに茜に向けて発砲した。乱射された銃弾は、ボンネットを貫いて上空に直進する。


「うわっ!」


 死角からの発砲だったが、茜は何とか回避した。しかし私はその間に体勢を立て直すことに成功する。


「このっ!」


 茜は反撃するために銃を抜こうとした。


「させない!」


 私がすぐさま刀で斬りかかる。


――ガキィン!


 茜はすぐに気がついて、銃を抜くのを中断。ナイフで何とか防ぐ。しかし私の攻撃が思いのほか重かったのか、茜はナイフを落としてしまう。


「くっ……!」


 茜は苦し紛れにもう片方のナイフを振る。しかし私がその前に茜の鳩尾に蹴りを入れた。


「がはっ!」


 綺麗に決まった蹴りによって、茜は後方に吹っ飛ぶ。その所為で茜が振ったナイフは的外れな所を通り過ぎていった。


 茜はそのまま車から落下し、高速で走っていた速度で地面にワンバウンドする。勝負有りだ。


「まだまだっ!」


 地面に叩き付けられ、もう一度宙に浮いたときだった。茜は銃を取り出していて、その鋭い眼光と銃口を私に向けていた。


――ダァアアアンッ!


 銃声が鳴り響く。勝負が決まりすっかり油断した私は、完全に虚を突かれていた。


 ヤバい。銃弾は完全に私の脳天を貫く。このままでは死んでしまう。


――ガキンッ!


 しかし銃弾は途中で何かに弾かれて、軌道を変え、私を通り過ぎていった。


「なっ……瑛里華様……どうして……?」


 茜はそう言い残すと、地面に再度落下し、何度も叩き付けられた。


「茜!」


 私は茜が心配になって叫ぶ。ボロボロになって倒れた茜は、それでも立ち上がろうと、手足を動かしていた。


 生きているらしい。良かった。

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