その19 冗談じゃない
“緊急事態”
“一階更衣室前廊下”
吠場からのメッセージはそれだけだった。
それを見た瞬間に僕は立ち上がった。
「すいません、先生。お腹が痛いです」
板書していた先生が振り返り、時間が止まったのではないかと思うほど、教室が静まり返った。
クラスメートの一人一人ではなく、教室という空間自体がゴクリと生唾を飲み込むような緊張感が支配していた。
そのくらい、僕は切羽詰まった顔をしていたみたいだ。
「あ、ああ……わかった」
初老の数学教師も、僕の表情を見て何事かと思っただろう。
教室を出て、走った。
更衣室はグラウンドへ向かうための出口や、体育館に続く区画の廊下にある。
僕のクラス、二年四組は二階。
授業中で静まり返った渡り廊下を全力疾走で体育館方面に駆け抜ける。
階段を降り、更衣室がある一階の廊下に出ると――麗が誰かに腕を掴まれていた。
「ちょっと……離しなさいよ!」
今回の作戦で一番不安だったこと。
それは麗が誰かに見つかってしまうことだった。
とは言え、麗であれば多少のことは機転をきかせて切り抜けられるだろうとも思っていた。
けれど、見つかった相手が最悪すぎた。
僕は麗の腕を掴んでいる手を払い除け、間に割って入った。
「暮内くん……」
「こいつが女子更衣室にいきなり入ってきたのよ! あんた、なに考えてんの!?」
「それはこっちのセリフだ。遠藤とか言ったな。お前、奏音のスラックスになにをしようとしていた」
おそらく、暮内くんは僕たち――通信技術愛好会の動向が怪しいとずっと思っていたのだろう。
だからって、授業を抜け出して女子更衣室にまで乗り込んでくるなんて!
「スラックス? あたしは保健室に行く途中に自分の着替えを持って行こうとしただけよ」
さすが麗。
とても嘘を言っているようには思えない口ぶりだ。
けれど、暮内くんは意に介さない。
「そうか。俺にはお前が奏音のスラックスを手に持っているように見えたんだけどな。まあいい。東出が来たことではっきりしたよ。奏音におかしなことをさせているのはお前らだな?」
「なんだって……?」
暮内くん言っている意味がわからなかった。
「スカートをはいて放課後の学校をうろついていただろう。どうして奏音が急にあんなことをやりだしたのか、俺は不思議で仕方がなかったんだ」
やっぱり。
暮内くんは“謎の美女”が奏音だということに気づいていたんだ。
けど、それを僕らがやらせていると勘違いしている。
「暮内くん、それは――」
「俺がずっと誘ってるのに奏音が野球部を手伝ってくれないのも、お前らのせいなんだろうな! このクズどもが!」
誤解だ。
と、暮内くんを諭そうとした。
けれど彼の言葉に、今まで生きてきて、あまり使われることがなかった回路に電流が流れたようだった。
「おい、今なんつった……」
“大魔王”を演じているときとは比較にならないほど低く鋭い声が出ていることが自分でもわかった。
「な、なんだよ……」
「誰がクズだって……? おい」
「お、お前ら――」
「取り消せ!!」
授業中の静まり返った校舎内に、僕の声が響き渡った。
「麗や吠場を侮辱するんじゃねえ!」
いつもは僕が凄むとすんなり引き下がった暮内も、今回ばかりは奏音のために行動している自分に正義があると思っているのだろう。
簡単には引き下がらない。
「お、お前らに奏音の何がわかるって言うんだ。奏音にあんなことさせて――」
「僕らが……」
怒りで声を紡げなかった。
暮内は勘違いしている。
気の毒だとも思う。
けれど。
「僕らが奏音におかしなことをさせてるって!? 脅して、イジメて、悪ふざけで奏音にあんな格好させて、それを見て楽しんでるとでも思ってるのか!? 僕らが!?」
「そ、そうだろう! でなければ奏音があんなこと――」
「冗談じゃねぇ……」
冗談じゃない。
奏音を思えばこそだろう。
気持ちは理解できる。
だが、根拠のない、そんな勝手な妄想だけで。
麗を。
吠場を。
奏音を。
「冗談じゃあねぇぞ!!」
暮内が「いっ……」と小さくうめいて一歩、後ずさった。
「僕らが奏音に出会ったのは高校に入ってからだ。そりゃあお前の方が奏音と過ごした時間は長いんだろうよ。僕らが知らない奏音のことも、たくさん知ってるんだろう。でもな、一番奏音のことをわかってあげられるお前がそんなだから奏音は――」
「待って!」
振り返ると、麗に加え、奏音と吠場もいた。
「奏音、ちょうどいいところに来た。今呼びに行こうと思ってたところだ」
「優くん。栄介は……みんなは私のためを思って色々やってくれてただけなの」
「奏音! まだそんな……。こいつらは――」
「私の大切な友達よ」
暮内の声を遮って、奏音がぴしゃりと言い放った。
「今起こったことはみんな忘れよ」
「おい奏音! こいつらはなあ――」
「マネージャーとして野球部に入部するから。それでいいでしょ?」
「そ、そうか……! やっと決心してくれるんだな!」
「そのかわり、栄介や麗ちゃんや吠場くんを悪く言わないで。今起きたことも忘れて。それを守ってくれなかったら、マネージャーの話はナシよ。いい?」
「あ、ああ……わかったよ……」
奏音の毅然とした態度に誰も口を挟まなかった。
しん、とした沈黙の中、足音が近づいてくる。
「あなたたち、何やってるの? 授業中でしょ?」
僕が声を張り上げたからだろう。
職員室から先生がすっ飛んできた。
「はあ……はあ……はあ……お、お前らぁ、何やってるぅ!」
一歩遅れて乙華先生もヘロヘロになってすっ飛んできた。
文字通りすっ飛んできたようで、息も絶え絶えだ。
「あら、戸喜連先生」
「す、すいません。私、生徒指導担当なもんで! この子たちから話は聞いておきますんで!」
「そう? じゃあお願いできる?」
最初にきた先生を追い返して、乙華先生は「ふーっ」と息を吐いて一安心したようだった。
「まったく……ほら、授業に戻んなさい。話はあとで聞くから」
「解散解散!」と乙華先生が言うと、暮内は授業に戻って行った。
奏音は……壁にもたれ、そのまま顔を両手で覆って泣き出した。
「ごめん……みんなごめんね……私のせいで、みんな悪者みたいに言われて……」
「あたしこそ上手くやれなくてごめん。大丈夫よ、あたしらは最初から悪者みたいあなものだし、菫屋が気にすることじゃないわ」
「そうだよ、ボクらは気にしな――」
「私はね、嫌なの……」
吠場の言葉を奏音が優しく遮った。
「ほんの少しの間だけどね、みんなといると楽しかったの。だから、みんなを悪者にしたくない。悪者だなんて言わせない」
「菫屋……。気持ちは嬉しいけど、それじゃああんたが――」
「私は大丈夫。本当は自分一人で解決すべき問題なのに、人に迷惑かけてさ……。だから平気。これからは我慢できる。全部自分のせい。次自業自得だもの」
全部自分のせい。
その言葉に、なぜか顔の傷が反応した気がした。
もちろん気のせいだろう。
けれど、この傷の記憶が。
「僕のせいで家族がバラバラになってしまった」という記憶が。
今の奏音になにか声をかけるべきだと主張していた。
「……それは違う」
「え……?」
「それは違うよ。奏音は悪くない」
「はは……栄介は優しいね。ごめんね、栄介にはいっぱい迷惑かけたね」
「そんな言い方しないでよ。迷惑だなんて――」
「大丈夫。私は大丈夫だよ。だから、栄介はもっと笑ってよ。顔の傷なんて関係ない。みんなが怖がるのは、栄介が怖い顔してるから。だから笑って。笑えばみんな、栄介が本当は優しくて、ノリがよくて、素敵な人だってわかってくれるから」
奏音は立ち上がり、背を向けて歩き出した。
「待てって、奏音!」
「私は大丈夫……ありがとね」
奏音は振り返らなかった。
僕らは奏音のことを知っている。
もちろん全て知ってるわけじゃない。
けれど。
他の人が知らない。
一生懸命だったり。
真っ直ぐだったり。
調子にノリやすかったり。
スカートをはけば容赦なく可愛いことを知っている。
奏音は悪くない。
それは伝えた。
なのに、奏音は「大丈夫」と。
大丈夫?
大丈夫な奴は、大丈夫だなんて言わない。
大丈夫な奴は、あんな顔しないんだよ!
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