その18 ニイタカヤマノボレ
僕はその日で見納めになるであろう、奏音のスラックス姿を拝んでおこうと、いつも菫屋ハーレムが談笑している場所にほど近い渡り廊下の柱の影から、スマホを触るふりをしつつ、様子を伺っていた。
距離も近いし、声が大きいのもあって、会話の内容がはっきりと聞き取れる。
いつも通り、奏音とハーレムの皆様、そして暮内くんも一緒だ。
「えーっ!? 奏音くん、壁ドンしたことあるのっ!?」
“奏音くん”て呼ばれてるのか。
っていうか、あんたほんとに壁ドン好きねえ。
「ああ、あるぜ。したことも、されたことも、ね」
普段より少し張った奏音の声は、よく通っていて、芝居がかっていて、某歌劇団の男役のそれを連想させる。
「えっ!? されたこともあるのぉ!?」
僕にされた壁ドンのことだろうか。
「ああ、白目剥いて失神しそうになったぜ」
「へ、へえ……衝撃で脳が揺れたのかな……」
「なったぜ」じゃねえよ。
ハレームの子がドン引きしてるじゃないか。
まあ、僕が壁ドンしたときのことを言っているようだけども。
そのとき、奏音の話を聞いていた暮内くんの表情に変化があったように見えた。
朗らかな笑みを浮かべていたようだけど、今は目が笑っていない。
暮内くんも、奏音の話にドン引きしたのだろうか。
「泣きながら抱きついたこともあるし、頭を優しく撫でられたこともあるぜ」
だから「あるぜ」じゃねえよ。
僕が心の中で“奏音とのちょっといい思い出”カテゴリに分類している記憶を、いとも簡単にフルオープンするな。
「あははっ! なにそれウケるー」
ハーレムの子は奏音の発言を冗談ととらえたのだろう。
ウケてくれた。
でも、僕の心中は複雑だよ?
そのとき、気づいてしまった。
暮内くんの顔から完全に表情が消えていた。
“無”だ。
間違いなく奏音の発言に対しての反応だ。
「次はお姫様抱っこされたいぜ」
なんか奏音の王子様キャラ、かなり雑になってないか?
それはさておき、この発言で暮内くんの目から完全に光が消えた。
気の毒だけど、奏音はきっと暮内くんの反応など気にもしていないだろう。
現に今も暮内くんは奏音の視界に入っていないようだ。
奏音と暮内くんの関係は、奏音から聞いた以外は詳しく知らない。
けれど、きっと暮内くんは奏音のことが――。
そのとき、スマホが振動した。
吠場からのメッセージだった。
内容は「ニイタカヤマノボレ1208」。
OFL決行を知らせる合図だ。
僕が「別に普通に『作戦決行』でいいじゃん」と言ったら、「こういうのは雰囲気が大事」とのことだった。
見ると、奏音もスマホを取り出していた。
同じく作戦決行の連絡が飛んだのだろう。
ハーレムのメンバーから「どうしたの?」と聞かれていたけど、「そういば次は体育だよね、そろそろう行こうぜ」と、奏音にしてはうまくやり過ごせていた。
奏音を中心に、五人ほどのハーレムメンバーと暮内くんが移動をはじめた。
暮内くんに表情が戻ることはなかった。
これから奏音はスカート一式を準備して作戦に備えるのだろう。
さあ、動き出した。
けれど、ここから僕にできることはない。
いや、最初からなにもなかったか。
少し早いけど、僕も教室に戻ることにした。
◆
午後の授業が始まって20分が過ぎた。
さすがに作戦のことが気になって、授業が頭に入ってこない。
特に問題が起きなければ、授業後に吠場から「トラ・トラ・トラ」のメッセージが送られてくることになっていた。
あと少し。
僕のスマホよ、ふるえてくれるな――その思いは、届かなかった。
スマホが振動した。
振動に対して全身がビクッと硬直し、後ろの席のクラスメートを驚かせてしまった。
吠場からじゃない、関係のない通知であってくれ。
そう祈った。
けれど、それも裏切られた。
机の下で画面を見ると、そこには吠場からのメッセージが表示されていた。
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