その6 通信技術愛好会と余計なこと

壁ドン契約を結んでから、昼休みに奏音に絡まれることはなくなった。

もうこそこそと逃げ回る必要はないのだけれど、なんとなく日課になっていたので、昼休みになると自然と体が人気ひとけのないところを目指してしまう。

ちなみに昼ごはんは弁当を教室で食べている。

食堂に行ったり持参したものを食べたりとクラスメートは思い思いの行動をとるので、一人で食べていても変に浮いてしまうこともない。


特に場所を決めて移動していたわけじゃないけど、いつの間にか奏音の着替えを目撃した場所に来てしまった。

またここに居る所を奏音に見られたら「また私の着替えが見たかったの」とか言われてからかわれそうだ。

それに、もう絡まれる心配がないのだから、別に高い場所から奏音の位置を把握しておく必要はないのだ。

もう「見晴らしのいい東出」である必要もない。


少し寂しい気がした。

間抜けなあだ名だけど、なんというか、奏音の人柄のようなものが感じられて、実はけっこう気に入っていたのかもしれない。

遠くから菫屋ハーレムの声が近づいてきたので、移動することにした。


今までは昼休みに行くことがなかった場所に行こう。

そう思って図書室に来たけれど、特に読みたい本があったわけじゃない。

ただ、ここの空気が好きだった。

しん、とした状態を好む人は嫌かもしれないが、昼休みは談笑の、放課後は運動部の喧騒が遠くに聞こえる感じが好きだった。


本を手に取るでもなく窓から外を眺めていると、中庭の四阿あずまやのようなちょっとした屋根のある場所で菫屋ハーレムが談笑していた。

いつもは四階に居たが、図書室は二階なので奏音の表情がよく見える。

見慣れた光景……と思ったけれど、奏音の表情だけが少し違って見えた。


おそらくハーレムの面々を喜ばせるために、“王子様”を演じているのだろう。

スラックスの奏音は話し方も仕草も大げさで、何かと芝居がかっている。

今までは「そういうものだろう」と思っていた。

だが、奏音が女の子扱いされたいという“事情”を知ってしまったからか。

奏音の表情が無理をしているように見えてしまうのだ。

大げさな身振り手振りで、本当の気持ちを誤魔化しているような。


この前は「スラックスもいい加減慣れた」なんて言ってたけど、本当はずっと辛い思いをしてるんじゃないだろうか。



「はぁ? 菫屋の顔なんてあたしみたいな陰キャが見たら目が潰れるわ。知らないわよ、そんなの」


辛辣しんらつにそう吐き捨てたのは、遠藤麗えんどううららだ。

140センチ台のミニマルな体をゲーミングチェアにうずめてふんぞり返っている。


今は放課後。

今日は奏音は予定があるとかで放課後壁ドンがなかったため、僕は籍を置いている部活「通信技術愛好会」に顔を出していた。

普通の教室の四分の一程度しかない広さの文化部向けの一番小さな教室には、デスクが二つ置いてあり、そこにはそれぞれデスクトップPCが設置してある。

デスクは麗ともう一人の部員が使っていて、僕はパイプ椅子に座って麗の横から話しかけている。


麗は趣味のプログラミングをしながら、画面からは一切視線を外すことなく僕と会話している。

「PCを使ってなんかする部活」らしいのだが、僕は幽霊部員だし、どうやって愛好会の申請を通したのかは謎だ。


「それに、菫屋のあのキャラは本人が好きでやってるかは別として、一部の女子から望まれてるのがわかってやってるわけでしょ? 仮に菫屋が王子様キャラを嫌がってるなら、それを言えばいいだけだし、言えないのだとしても誰かに助けを求めるなりすればいいのよ」


そこまで一気に言い切ると、麗はEnterキーを「ッターン!」と叩いて、右手で三編みをいじりだした。

他の人には奏音がどう見えているのかが気になって聞いてみたのだが、どうやら聞く相手を盛大に間違えてしまったようだ。


「麗は奏音のことが嫌いなのか?」

「当たり前じゃない。陽キャはみんな嫌いよ……で、菫屋となにがあったの?」

「なんでわかるんだ……」

「あんたが急に学校の人気者の名前を出したら、そりゃあなにかあったと思うに決まってるじゃない。しかも下の名前で呼んでるし」

「あ……確かに……」

「やめときなさい」

「まだなにも言ってないんだけど……」


地頭がいい、というやつなのだろうか。麗はいつも結論が早い。


「どうせなにか菫屋と関わろうとしてるんでしょ? 栄介が良かれと思ってなにかしてあげても、相手から感謝されるとは限らないのよ?」

「別に感謝されたいわけじゃないんだが」

「言い方を変えるわ。あんたが良かれと思って何かをしても、事態は悪化するだけよ」

「うぐっ……」


返す言葉もない。


良かれと思って。

なんとかしたくて。

じっとしていられなくて。


僕の記憶は、そうして余計なことをしてしまってばかりな気がする。

「後悔したくないから」と、自分ができることをやっておくのはエゴだろうか。

あのとき僕がなにもしなければ、こんなに傷つく・・・こともなかっただろうか。


右目の傷に触れてみる。

もう痛むことはないけれど、僕が“余計なこと”をするたびに、この傷がなにかを主張しているように感じる。


顔に傷ができたあと。身長が一気に伸びた中学あたりから、良かれと思ってとった行動で、意図しない結果を招いたり、誤解されることが多くなった。

そして、それは全て良くない方向に転がっていった。


嬉しかったことだってたくさんあったはずなんだ。

けれど良い記憶の色は淡い。

良くない記憶の漆黒で簡単に塗りつぶされてしまうから、もう思い出せなくなってしまった。


いつしか「誤解だ」「そんなつもりじゃなかった」と弁解することもなくなった。

“大魔王”はその成れの果てだ。


「ちょ、ちょっと……急に黙らないでよ。悪かったわよ……言い過ぎたわよ」


麗の指摘が正しすぎて、つい考え込んでしまった。


「ああ、別に気にしてないよ」

「すぐ謝っちゃう麗たんカワイイ」

「ぶっ殺すわよ」


どうやらこちらの話に聞き耳を立てていたらしい、麗をからかって殺害宣言されたのがもう一人の部員、吠場愛人ほえばまなとだ。

見た目は絵に書いたようなメガネデブオタクなのだが、髪はきちんとワックスでセットされていたり、メガネのデザインがオシャレだったりと、清潔感があり全体的に垢抜けている。

一年の頃には先輩と付き合っていたこともあるとか。

麗と吠場と僕の三人が通信技術愛好会のメンバーだ。


「とにかく、栄介は菫屋に関わらない方がいいわ」


すいません、もう壁ドンする仲です。


「菫屋奏音は確かになにか抱えてそうに見えるけど、そんなの知ったこっちゃないわ。学校では王子様でも、本当はド淫乱の変態ビッチかもしれないじゃない」


ひどい言われようだが、本当はスカートがはきたいだけの乙女なんだよなあ……。


「菫屋さんの本性はド淫乱の変態ビッチ! パワーワードいただきました! 体内の血の流れが……変わった!」


ちょっと吠場は黙っててくれないか。


「人は自分の見たいようにしか他人を見ない。栄介のことをちゃんと理解してる人間がこの学校にどれだけ居ると思う? もちろんそれは悪いことじゃないわ。出会う人全員を正しく理解する余裕なんて、現代人には無いんだから。大事な人とちゃんとわかり合ってれば、十分」

「大事な人ってボクらのことだよね? フゥー高まりますなぁぐべぇ!」


麗が吠場を座っていた椅子ごと蹴り飛ばした。

吠場がひっくり返った拍子にヘッドホンの端子が抜け、ディスプレイのスピーカーから「お兄ちゃんしゅごいのおおおお!」という嬌声が。


「吠場ァ! 学校でエロゲやんなって言ってるでしょうが!」

「甘いな麗。ボクがやっていたのはエロゲではない。エロゲに出演している有名声優の特定作業なのだよ。これは音声分析さ!」

「出荷すんぞ、この変態ブタがぁ!」

「しゅごいのおおお!」


ひどい有様だ。

ただ、こんな光景が温かい。

麗は口が悪いけど、実はどこぞのお嬢様らしい。

家庭の事情で色々あって、有名大の付属校を合格していたのに、親への嫌がらせのためだけに北坂高校に来たのだとか。

吠場は……まあ吠場だ。


「おい! なにかあえぎ声が聞こえた気がしたんだが!? 一体なにをやっているんだ! 先生も――なんだ、またお前たちか」


息をはずませ目を爛々と輝かせた乙華先生もやってきた。

地獄だ。

けれど、僕はこの地獄に救われた。


みんな不器用なだけなんだ。

奏音だってもっとうまくやれるんじゃないだろうか。

この輪の中に奏音が居るところを想像してみた。

これも“余計なこと”だろうか。

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