#3 合格
翌日 午後4時 photostudio Cendorill☺︎n
今日はスタジオが午後休ということもあり、金剛は写真の編集作業に追われていた。
「終わらん!きーやんさん大変、バイトの面接の子と東先生が来るのに編集全然終わってない!」
「今何割?」
「3割!午前中、私何してた?気持ち的には1日中編集してたはずなのに!」
霧島に差し出されたコバルトブルーのマグカップを受け取り、中に注がれた濃いブラックコーヒーを喉に流し込む。あまりの濃さに眉を寄せ顔をしかめるが、忙しさでシャットダウン寸前だった金剛の脳にはちょうど良く、少しだけ目が冴えた様な気がした。
自身もコーヒーを啜りながら、霧島はスピーカーの横に置かれた卓上カレンダーに目を向け、今金剛が編集をしている写真のデータを受け渡す日を確認する。データの受け渡しにはまだ日数があるが、別日にはまた違うお客様の撮影が入っている。そのため、編集作業が被らない様に大急ぎで作業を進めている。
「後ろからやってあげるけん落ち着きんさい。折角の写真が酷いことになっとるけん」
「きーやんさんが優しいだと…洗濯物、外に干して来ちゃった…」
霧島は溜息を吐きながら金剛が編集作業を行なっている写真のデータを自身のデスクトップパソコンで開き、編集を開始する。普段はお客様が金剛に撮影されている様子を動画で撮影し、その動画を編集している事が多いが、何せここは常に人手が足りないため稀にではあるが霧島も撮影や写真の編集を行う事がある。
SNS担当ということもあり「この写真はSNSに使える」「ここに文章を入れて…」などと考えてしまい、明るさやトリミングの調整だけなのだが無駄に時間がかかってしまう。
「八重ちゃん、この山田さん夫婦はSNSに写真使って良かったっけ?」
「良かったですよ。申込書にもチェック入ってます」
金剛はデスクの引き出しから書類を取り出し、霧島に見せる。
「じゃあ、この写真使わしてもらおうかな」
霧島の選んだ写真は純白のウェディングドレスに身を包んだ美希とタキシードを着た聡が顔を寄せ向かい合っている写真だった。写真の右側に夫婦二人を置いた構図となっているその写真は、空白となっている左側に文章が入れ易いということからこの写真を選んだ。早速カラーの写真をモノクロ写真へと変え、明るさを調節する。
「何てコピー入れようかな…」
「ちょっときーやんさん?編集を手伝ってくれるんじゃないんですか?あれ?」
アルバイトの面接まであと10分となっていた。
▽
観橙デザイン専門学校
「あれ?今日はバイトないの?」
「久しぶりの休み。比叡は何かあんの?」
「バイトの面接」
「え!バイト始めんの?コンビニ?」
「写真」
授業も終わり、いつもは早々に教室を出て行く高雄に声をかけながらリュックサックに荷物を収め東先生のいる2階へと向かう。エレベーターは混むだろうから階段で行こう。
「東先生?」
「お!来たね。じゃあ行こうか」
緊張していないと言えば嘘になる。今にも口から心臓が出てしまいそうだ。
何度か深呼吸をしていると、東先生がカバンを持って出発の準備をしていた。カバンを持っていない方の手には紙袋が握られていた。
階段で1階に降り学校を出て直進。そのまま駅前通りを進み路面電車の通る横断歩道を超え横道に入り、1分もしないうちに目的の建物へと到着した。
ネイビーブルーの塗装を施した4階建てのおしゃれなビルだ。
煌びやかな衣装が並んでいる1階のスタジオには電気がついておらず、ガラス扉の出入口には定休日と書かれたプレートがかかっている。
「確か2階の事務所にって言われたけん…そこの階段じゃね」
東先生はビルの2階へと続く外階段に目を向け、腕に巻いた華奢な腕時計で時間を確認している。俺も、腕時計で時間を確認する。時計の針は約束している時間の5分前を指している。
「いい時間じゃけん、行きますか」
「はい。行きます」
「緊張せんでも、金剛と話したら緊張しとった自分がバカに思えてくるよ」
と東先生は笑いながら言っているが、どうしても緊張してしまう。
アルバイトの面接で緊張しない方がおかしい。
言葉、発言、態度、考えに考えてまとめた志望動機や無理矢理捻り出した長所や短所などの全てをたった一瞬で評価されてしまう。それが酷く恐ろしい。
俺は、緊張を紛らわすため深く深呼吸をする。呼吸を落ち着かせ、外階段を上る東先生の後ろを追う。
階段を上りきり、東先生は玄関に設置されたインターフォンを鳴らした。
『はい』
「東です」
『向かいます』
インターフォンからは男性の声がした。てっきり金剛さんが対応すると思っていたため、ぎくりと背筋が伸びた。おそらく、アルバイト募集の投稿に写っていた男性スタッフだろう。
ガチャリと音がし、片開きのガラス扉が開く。
「どうぞ、お待ちしてました」
「失礼します」
「し、失礼します」
扉から顔を覗かせたのは案の定、黒髪パーマの男性だった。
扉を押さえている男性スタッフの横を通り、脚付きのホワイトボードを横目に応接室へと通される。
「金剛を呼んできますので、掛けてお待ちください」
通された応接室はパーテーションを使い1つの広い部屋を2つに分けた構造となっていた。部屋への扉がある手前側には木製の天板とブラックの鉄脚の大型テーブルと同じく木製の椅子が置かれている。俺と東先生は案内された奥の椅子に並んで座った。パーテーションの奥にも何かスペースがあるが見ることはできない。
「東先生!お久しぶりです!」
「おお、お久しぶり」
応接室の扉が勢いよく開かれ、慌てた様子の小さな女性が俺の隣に座っている東先生へと声を掛けた。
女性の後ろからは、先ほどの男性スタッフがお茶を手に続いて中へと入ってくる。
俺と東先生は椅子から立ち上がり、俺は二人に向かって軽く会釈をする。
「良かったらどうぞ」
「あら、わざわざありがとうございます」
東先生はカバンと一緒に持ってきていた紙袋からお菓子の包みを取り出して女性に手渡す。受け取った女性は嬉しさを隠すこともなく満面の笑みで受け取り、机の隅に置いた。そのまま、名刺を取り出す。
「改めまして、カメラマンの金剛八重です。よろしくお願い致します」
「よろしくお願いします」
「僕のも…SNS、動画担当の霧島織です。」
「頂戴いたします」
「よろしくお願いします」
「どうぞ、座ってください」
名刺は先日見たネームホルダーのものと同じで、やはり名前の前には「社長代理」と書かれている。続いて、金剛さんの横に立っている男性スタッフも名刺を取り出し東先生、俺の順に手渡す。金剛さんのものと同じくスタジオの名前、担当、名前が書かれている。
もらった名刺を机に置き、緊張のせいで伸びた背筋をより一層伸ばしながら椅子に座った。俺の前には金剛さんが座り、その隣には霧島さんが座っている。
「えーと…今回はアルバイトの募集に応募してくれてありがとうございます。すごくありがたいです。で、名前は?」
「
「グラフィックデザイン!もしかして映像・フォト専?」
「はい…」
「後輩じゃん!」
どうやら、東先生に聞いた通り俺と同じ学科、専攻の卒業生のようだ。
金剛さんは隣に座ってノートパソコンに向かう霧島さんに「後輩!」と嬉々として話しかけている。話しかけられている霧島さんは興味なさそうに適当に相槌を打ち、手を止めることなくノートパソコンで作業をしている。
「じゃあ、東先生の授業も受けてるのか…今も映画見るだけの授業してるんですか?」
「それも勉強じゃけんね」
「いいなぁ。私も学生に戻って東先生の授業受けたいな」
へらりと笑う金剛さんはとても年上には見えない。
赤いアイシャドウが塗られた特徴的な目元の化粧を落としてしまえば、年下と言われても違和感は感じない。それほどまでに幼く見えてしまうのは間延びした喋り方やこの笑顔と…身長のせいだろう。
「写真に興味でもあるの?」
「写真も好きですけど、どちらかといえば映像の方が興味ありますかね」
少し驚いたように目を見開いた金剛さんは、その表情のまま霧島さんの顔を覗き込み、口をへの字に曲げた。ちらりと金剛さんの方を見た霧島さんはそのまま俺へと視線を向けた。
「きーやんさん…教育係は任せました」
「八重ちゃんもできるんじゃけん、僕じゃなくて八重ちゃんで良いじゃん」
「まぁ…うーん…そうねー…動画もしてもらいたいけど…今回はカメラアシと写真の編集がメインになるけど…良いですか?」
普通に座っているだけで俺よりも低い目線がさらに低くなり、こちらの反応を伺うように問いかけられる。
動画がメインではないことを少しがっかりしながらも、写真も好きなので断る理由はない。
「大丈夫です。よろしくお願いします」
「ありがとうございます!ちなみに、ポートフォリオは持ってきてくれた?」
「あります」
「見せてください。お願いします」
俺はリュックサックからA4のファイルを取り出し、金剛さんの前に置いた。
ポートフォリオとは簡単に説明すると、自分のこれまでの実績をアピールするための成果集のことで、俺は今までの授業や空き時間に作成した広告や写真、映像などをこのファイルにまとめている。
広告やパッケージデザインは企画書と出来上がった実物、動画は絵コンテと出来上がりのカット、写真はちゃんと光沢紙に印刷し丁寧にファイリングしている。
金剛さんはファイルを開きファイリングされた作品を見て「すごいすごい」と褒めてくれた。霧島さんもファイルを覗き込み「さすがデザイン学校ですね」と東先生に声をかけている。
写真のページでは、本当に一枚一枚説明を求められた。
「この写真すごく綺麗だね。モノクロ好きなの?」
「そうですね。これを見た人がこの人の服の色は何色なんだろう。この空は青空なのかそれとも夕暮れのオレンジ色なのか。見ている人がその人それぞれで想像できるから好きです」
「めちゃくちゃ良いこと言うじゃん…良い後輩連れてきましたね」
東先生はそうでしょ。と言わんばかりのニヤケ顔を金剛さんに向けている。
モノクロ写真を撮る人は構図が上手い。と言われることがある。俺もそんなことが言われたくて構図やモノクロ写真について必死に研究した。写真集も漁るように何冊も見た。
そこで、モノクロ写真を撮って分かったことがある。
「色が豊かになるよね」
「…え?」
「見る人によってその写真の色は無限にある。例えば、Aさんがこの人の服の色はオレンジ色と言ったとしよう」
金剛さんはポートフォリオを何ページか捲り、俺の撮影した女性のポートレート写真を見て話を始めた。この写真もモノクロ写真で、授業の時に同じ学科の女子生徒を撮影したものだ。
霧島さんは隠すこともせず溜息を吐き、聞いてやってください。と言いたげな顔で俺と東先生を交互に見て軽く一礼をした。
「だけどBさんはこの人の服の色は黄色と言った。この時点ですでに2色。更にCさんはこの人の服の色はくすんだオレンジ色と言えば、オレンジ色だけでも2色。見る人によってここまで写真は違ってくるから、人の想像力を駆り立てるモノクロ写真は見ていて飽きないよね」
そこで一度話を区切り、金剛さんは横に座っている霧島さんにノートパソコンを借りようと片手を伸ばし「ん」とだけ声を掛ける。金剛さんの行動の意図が分かっていないのかわざとなのか、霧島さんは数回瞬きをし、金剛さんからの言葉を待っている。
「ノーパソ!貸してください」
「初めからちゃんと言いんさい」
霧島さんからノートパソコンを借り、なにやらパタパタとキーボードを操作し、俺たちに見えるように画面を向け一枚の写真を表示させた。ウェディングドレス姿の女性の写真で、俺の好きなモノクロ写真だった。
「これ、さっきまで編集してた写真でね…元はカラー写真なの」
「綺麗な写真じゃね」
東先生が食い入るように画面を見つめそう呟くと、金剛さんはモノクロ写真とカラー写真の2枚を画面に表示させた。
「ウェディングドレスって似たり寄ったりで全部同じに見えることない?」
「あまり見たことはないですけど、確かに見えます」
「でも、よーく見たら当たり前だけど全部違うの。その何着もある似たようなドレスの中から迷いに迷って花嫁さんはこれだ!って自分の着たい形だったり色を選ぶんだよ。その迷いに迷ったドレスを着た写真をモノクロにされたらどう思う?」
答えは「悲しい」。だと思う。
モノクロ写真は黒と白の2色を使い映し出される。
いくら綺麗に撮影されていようとも、色がないだけで自身の選んだドレスとは違うものを着ている錯覚に陥る。形は同じなのにどこか違う。
「モノクロ写真はまるで切り絵の様に美しい。でもまぁ…そういう理由で
再度ノートパソコンを操作し、SNSの投稿でも見た、おそらく霧島さんであろうモデルがカッコよくポーズを決めている写真を表示する。
「そんな写真見せるより、さっさとバイトの話に戻りんさい。話しが脱線しすぎとる」
「はい…すいません…」
金剛さんからノートパソコンを取り上げた霧島さんは、アルバイトの内容をざっくりとまとめた紙を俺の前に置いた。時給や出勤日数、服装などが書かれている。
「この服装は…?」
「うちは黒いつなぎ服が制服みたいなもんなんじゃけど、つなぎ服の中に白の無地の服を着るのが決まりになっとるんよ」
この前コンビニで金剛さんを見かけた時につなぎ服だったことを思い出し納得する。今も、金剛さんは白いロングシャツを着て、つなぎ服は腰のあたりで袖を結んでいる。霧島さんはつなぎ服の前を開き、中には白い無地のTシャツを着ている。
「つなぎ服は用意しとくから、白い服は持って来てね。もしなかったら、きーやんさんが貸してくれるから」
「絶対嫌なんじゃけど」
「サイズはどれが良いかね?身長は?」
「176です」
「きーやんさんと同じくらいなら…とりあえずLで良いか」
金剛さんは手近にあった紙の端にメモを取り、応接室の壁に吊るされているカレンダーに目を向けた。そのまま、スマートフォンを取り出し撮影の予定を確認している。霧島さんにも確認を取ると、大きめの付箋に手早く日付を書き込む。
「とりあえず、まず来て欲しい日はこの日なんだけど…予定は大丈夫?」
俺は付箋に書かれた日付を確認する。その日付は今日から3日後の土曜日で、何か予定があったかを思い出す。
特に予定もない。
「大丈夫です」
「良かった。それなら、朝の…9時にまたここの事務所に来て。今日みたいにインターフォン鳴らしてくれたら良いから」
「わかりました」
俺は金剛さんから付箋を受け取り、名刺と一緒にポートフォリオをリュックサックに収める。
緊張しっぱなしだった面接がもうすぐ終わる。
「よし、今日はとりあえずこれでおしまいで。土曜日からよろしくお願いします」
「じゃあ、私はちょっと金剛と話したいことがあるから、比叡とはここで」
「きーやんさん、比叡くんをお願いします」
霧島さんに連れられ、俺は事務所を後にした。
とりあえず、白い服を買いに行こう。
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