case1

#1 検索エンジン

 SNSでその書き込みを見つけたのは偶然。

 その書き込みに惹かれたのも偶然。

 アルバイトを始めたのも偶然。


 ▽

 7月上旬 午前8時


 背中に背負う薄っぺらい黒のリュックサックを定一に背負い直し、広島駅南口の地下道を抜け、駅前通りを進む。通勤ラッシュの時間帯ということもあり、スーツに身を包んだサラリーマンやひらりとスカートを翻すOLに大きな欠伸をこぼす学生など、様々な人が俺の横を足早に抜けていく。

 そんな人々をぼんやりと眺めながら、イヤフォンを耳に差し込みスマートフォンで音楽を再生する。今日は激しめのロックミュージックにしよう。

 最近気に入っているアーティストの音楽4曲分を歩き、多くの企業のビルが建ち並ぶ間に建てられた観橙かんだいデザイン専門学校に到着した。13階建てのビルを校舎にしたA棟と離れにある3階建てのB棟の2つの棟からなるここは、名前の通りデザインの専門学校だ。


「あ、おはよう」

「おっす」


 A棟の扉を開き、中に入ると同じ学科の友人である高雄たかおがエレベーター前でスマートフォンを操作していた。音楽の再生を停止させ、片耳からイヤフォンを外し、高尾に声をかけた。俺の声に気が付き顔を上げた彼の顔はいつも通り酷く眠たそうだ。


「眠たそうじゃん」

「バイト…」


 高雄はコンビニでアルバイトをしており、学校が終わるとそのままアルバイト先へと向かい夜遅くまで働いている。そのため、休憩時間には机に突っ伏し、昼寝をしていることが多い。高雄は欠伸を押し殺しながらスマートフォンをズボンのポケットに収めた。俺もスマートフォンにイヤフォンのコードを巻き付けポケットに収めながら、つられて欠伸をこぼした。

 今日は何階で授業だったかを思い出しながら、到着したエレベーターに乗り込む。高雄が10階のボタンを押したため、今日は10階でWebの授業だったことを思い出し、少し憂鬱な気分になってしまう。


「オレ、Web全く分からん」

「高雄は授業中もずっと寝てるからそれは分からんよ」

比叡ひえいは分かんのかよ」

「もちろん、分からん。できることなら映像と写真してたい」


 俺と高雄は同じグラフィックデザイン学科に在籍しており、その中の映像・フォトグラフを専攻している。この学科は必須科目であるWebや広告グラフィックに関する授業のほかに、写真と映像を学ぶ。俺たちの専攻している映像・フォトグラフの授業は人数が5人という少なく、パソコンに向かい1人で作業をすることが多い。他にも授業と称し、一眼レフカメラやビデオカメラなどの機材を持って外へ出かけたり、映画を見たりと自由な授業となっている為、今受けているどの授業よりも楽しい。

 エレベーターで10階に到着し、自分の席に座りデスクトップパソコンを起動させる。俺の隣には高雄が座り、早速机に突っ伏し授業が始まるまでひと眠りするようだ。そんな高雄を横目に俺は起動したパソコンの検索エンジンに「バイト 市内」と検索した。


 ▽

 同日 10時30分 photostudio Cendorill☺︎n


 小気味良いカメラのシャッターを切る音。室内を明るく照らすスタンドライト。耳に届く音楽はピアノクラシックの音色。


 広島駅から続く駅前通りを横に、一本道を入った場所にあるネイビーブルーの塗装を施した4階建てのビル。1階と2階に店舗を構えるphotostudioフォトスタジオ Cendorill☺︎nサンドリヨンと言うフォトスタジオの1階撮影スタジオでは、朝一番の撮影が行われていた。

 今回の内容は30代の夫、山田聡と20代の妻、山田美希夫婦のウェディングフォトとなっている。

 聡と美希はそれぞれ白いタキシードとウェディングドレスに身を包み、木目調の壁紙をバックに寄り添い見つめ合う。その一瞬の表情を逃すまいと、すかさずシャッターを切ればスタンドライトが眩しいほどに一瞬だけ光る。


「では、次はあちらで奥様のみの撮影を行います」


 カメラマンである金剛八重こんごうやえは、手に持っていた一眼レフカメラを首にかけ、腰に巻いていた黒いつなぎ服の袖を解き腕を通し前をチャックでしっかりと締める。首にかけた一眼レフカメラを肩にかけ直し、次の撮影スペースへ移動する為、美希の着る白いウェディングドレスの前裾を少し持ち上げ、後ずさる。次は白い扉の前で、美希だけを撮影する。


 サンドリヨンの1階撮影スタジオには3つの撮影スペースがある。

 1つはロールバック紙での撮影スペース。3種類の2.7メートル×11メートルの巨大なロールバック紙が天上から吊るされている。バック紙の右側には、白を基調としたアンティーク品が並ぶスペースが広がっている。アンティーク調のアイアンベンチを中心に白いチェストや緑の葉が目を惹くベンジャミン、表紙の掠れた分厚い本や白色の小物が置かれている。そして、白いスペースの向かい側には電気で光る扉が一枚あり、レースのカーテンや植物の蔓などがぶら下げてある。撮影スペース全体には木目調の壁紙が貼られており、ロールバック紙を全て上に上げて仕舞えばそこも撮影スペースへと変わる。

 美希の移動が終わると、最初の撮影スペースに立っている聡へと声をかける。


「旦那様はお次の衣装に着替えていただきますので、先ほどのメイクルームにお願いいたします」

「はぁ…」


 少し離れた金剛のいる場所にまで届くほどの大きなため息を吐き、聡は白いタキシードの上着を脱ぎながら、小物が並ぶスペースとロールバック紙の間にあるカーテンをくぐり、メイク担当のスタッフに案内されメイクルームへと向かった。

 その姿に美希は笑顔だった表情を崩し、口をへの字に曲げた。


「何よ。せっかく可愛くしてもらったのに!」

「男性の方は皆様あのような感じですよ」

「でも、こんな時ぐらい…あんな態度しなくても良くない?」

「緊張なさってるのかもしれませんよ?普段、携帯で撮影される環境と違いますから」


 納得がいかないようで、不服そうな表情をしたまま手に持った白いブーケを見つめる。

 なんとか美希の笑顔を取り戻し撮影を続行しようと、金剛は一眼レフカメラの液晶を美希に見せた。


「こちらのお写真、先ほど撮影したものになります。旦那様、とても良い笑顔ですね」

「本当…さっきの態度とは大違いね」


 液晶を覗き込み、最初に夫婦2人で撮影した写真を何枚か美希に見せる。すると、不服そうな表情が緩み少しだが笑顔が戻った。そのまま、画像を前へと戻しある写真を見た瞬間、美希の口からは笑いが溢れた。

 その写真は、撮影前のメイクをしてる聡の写真だった。鏡を見つめる瞳は限界まで見開かれ、首が埋もれるほどにあげられた肩を下げようとメイク担当の女性が聡の肩に手を添えている様子が写っていた。このことから、聡が余程緊張しているという事が分かる。


「このお写真は、旦那様には内緒ですよ?」

「ふふふ…その写真、後でこっそりもらえない?」

「承知しました」


 美希に笑顔が戻り、無事撮影が再開された。


 美希のみでの撮影を終え、メイクルームに案内しようとウェディングドレスの前裾を持ち上げると、カーテンが開き新しい衣装に身を包んだ聡が撮影スペースに案内されて来たようで、その表情は少し硬かった。

 金剛は美希と顔を合わせ、また緊張しているのかな。と笑い合った。


 ▽


 同日 12時20分 観橙デザイン専門学校


 憂鬱な午前中の授業が終わり、待ちに待った昼休憩。隣で眠る高雄を起こし、次の授業が行われる9階の教室へと階段で移動する。

 教材などの荷物を机へ置き、近くのコンビニへ昼食を買いに行こうと財布だけを持ち9階のエレベーター前へと向かうが、昼食を持ってきていない学生が我先にエレベーターへ乗り込もうとエレベーター前はとても混雑していた。

 仕方ないと思い、高雄に階段で下まで降りようと声をかけ9階から1階までひたすら階段を下りた。


「やっぱりこの時間は混むよな」

「食べたいものがない時のショックは確かにあるから、分からんでもないけどね」

「俺は今日は何にしようかな…コンビニ店員のオススメは?」

「えー…比叡は嫌いだと思うけど、キノコのあんかけ炒飯」

「それは美味しくない」


 コンビニ店員である高雄オススメの新商品の情報を聞きながら、目的のコンビニへと足早に向かった。

 学校から3分ほど歩いた所にあるコンビニには、すでにたくさんの人が押しかけ、店の外まで長い行列を作っていた。


「遅かったな」

「階段で下りたのが間違いだった…絶対食べたいのない…」


 観橙デザイン専門学校の近くには、多くの企業がビルを構えている為、少しでも授業が長引けば休憩に入ったサラリーマンやOLと時間が被ってしまい、身動き取れないほどに人が集まってしまう。

 だが、学生である自分達も時間は限られている為、人を掻き分け残された商品の中から自身の望む食べ物を手に入れなければならない。その様子はまるでデパートのバーゲンセールのようだ。といつも思ってしまう。


「お、あった。キノコのあんかけ炒飯」

「俺は絶対食べない」


 俺の唯一苦手な食べ物はキノコだ。あの傘の裏面にあるひだがどうしても好きになれない。何度か克服しようと挑戦したことはあるが、全戦全敗。なので、今隣にいる高雄がなぜ数ある商品の中からそれを選んだのか理解できない。

 キノコのあんかけ炒飯から顔を背け、自分の昼食を探そうと人でごった返す店内を進み、おにぎり2つと菓子パンを手に持ちレジに並ぶ。

 なんとか買えた。と心の中で安堵し、レジまでの距離を確認する為踵を持ち上げ視線を高くする。自分の番が来るまではまだありそうだ。身動きが取れず、ズボンのポケットにしまったスマートフォンを取り出すことを諦め、視線を自身の前に並ぶ人へと向けた。

 とても小さい女性だった。

 176センチある俺からは彼女のつむじが見える程に小さい。おそらく150センチぐらいだろうか、ブラウンの髪をお団子にまとめた女性は作業員が着るような黒いつなぎ服を着ている。

 女性でつなぎ服を着ている人は珍しいな。と思い、失礼とは思いながら俺の方に向いているネームホルダーをちらりと拝見させてもらう。


 photostudio Cendorill☺︎n

 社長代理 金剛 八重


 フォトスタジオという単語、そして社長代理というワードに酷く目を惹かれた。


「次のお客様、こちらへどうぞ」


 コンビニ店員の声により、俺の前に並んでいた女性はレジへと歩き出してしまった。そのまま、彼女を追いかけるように手早く会計を済ませ慌てて店を出たが、黒いつなぎ服姿を見つけることはできなかった。


「フォトスタジオ…C…あれ…なんて読むんだ」

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