第62話 水無川サクラと賢者の石

 いまから二十年前、水無川ナオトは日本人初の錬金術師見習いとなった。

 見習いとはいえ、欧州錬金術師協会の正式会員だ。

 順調にいけば錬金術師や、さらには上級錬金術師への道も開けている。類稀なる素質と才能を見込まれてのことで、欧州人以外では初の快挙だという。

 彼の将来は前途洋々としていると、誰もが信じて疑わなかった。


 しかし、ナオトを応援するためイギリスにやってきた水無川一家に悲劇が起こる。

 強盗に襲われ、両親、そして妹のサクラが惨殺されたのだ。

 ナオトは特にサクラを溺愛していた。

 彼女はまだ十四歳。

 穢れなく美しい乙女だった。

 これから先、光り輝く幸福な未来が待っているはずだった。

 ナオトは嘆き、悲しみ、神を呪い、その挙句に一つの禁忌を犯した。ひそかに妹の死体を自分の実験室に保存した。

 来るべき時のために。


 それから時が過ぎ、修行を積んだナオトは異例のスピードで上級錬金術師となった。

 錬金術師はみな、ある一つの共通した目標を持っている。

「賢者の石」の練成だ。

 無から黄金を生み出し、死者を蘇生する究極の物質。

 そしてナオトはついに、それに成功する。

 すべては執念のなせる業だった。

 自ら生み出した賢者の石で、ナオトはサクラの死体を蘇生させた。サクラは十四歳だった在りし日のままの姿で蘇った。

 目覚めて一番に、妹は兄に向かってこう言った。


「おはよう、お兄ちゃん」


 その言葉を聞くために、ナオトは二十年以上の歳月を費やしたのだ。

 彼は再び涙を流し、神に感謝した――が、それが間違いであると気付くまでさほど時間はかからなかった。


 ナオトの賢者の石は不完全だった。

 いったん停止した生命を無理やり再起動したため、細胞の再生に歯止めが利かなくなったのだ。放っておけば妹の身体は次々に増殖をくりかえし、恐ろしいことになってしまう。

 細胞の増殖を抑制するには、定期的に身体を浄化し、増えすぎた生命力を抜き取らなければならない。

 そのためにナオトはいくつかの対策を講じた。


 一つは、地脈エネルギーを用いて浄化の儀式を行うこと。ナオトとサクラが山花村に引っ越してきたのは、この村の豊富な地脈エネルギーを利用するためだった。


 もう一つは、儀式に必要な膨大な資金を集めるために、裏社会と手を結んで魔方陣や不完全な賢者の石を販売すること。それらが犯罪に使われることも、不完全なゾンビを生み出すことは承知の上だが、ナオトはためらわなかった。

 一度禁忌を犯せば、二度も三度も同じことだ。


 そして三つめは、サクラの体から溢れた過剰な生命エネルギーを死体に移し変えること。移し変えられた死体はゾンビになるが、かといって辺りに垂れ流せば勝手に受肉して屍鬼となってしまう。

 すべてが露見して合法の範囲で儀式を行うようになってからは、そのエネルギーを煙にして大気に放出するしかなかった。屍鬼が大量発生していたのはそのせいで、トウコとカヲルのおかげでかろうじて惨事を起こさずにすんでいたわけだ。


「――以上が、これまでにおこったことの全てです。そして現在も、妹の細胞は日に日に増殖能力を増しています。毎日の儀式を強めて生命エネルギーを最大限吸収していますが、翌日には限界にまで膨れ上がっている。このままでは、破綻は時間の問題です」


 ナオトの言葉は、まるで銀河系を遠く離れた異星の言語のようだった。


『サクラが一度死んで生き返った』

『毎日の儀式をしないと恐ろしいことになってしまう』

『屋敷に現れていた屍鬼は彼女の体から溢れたエネルギーによるものだ』


 何を言っているのか、さっぱり理解できない。


(そもそも、これってそんなヘビーな話だったか? オレはただ、好きなクラスメイトの女子と原宿デートをしたかっただけのはずだ。ただオレがちょっとだけ変わった家の跡取りで、ただサクラちゃんがちょっとだけ男嫌いアンド病弱で。いろんな困難を乗り越えて、二人はようやく原宿でデートする。そして最後にオレがサクラちゃんに告白してハッピーエンド。そんなラブコメみたいな結末を迎えるはずだったのに!)


 カヲルの頭はパニック状態に陥っていた。


(一体いつから、こんなわけのわからない鬱展開に巻き込まれちまったんだ!)



 理解しようとしても、大脳が理解することを拒否しているようだ。

 しかし、そんな混乱の中でも一つだけ聞き逃せない言葉があった。


「破綻って、どういうことだ? いったいどうなるっていうんだ?」


 カヲルの質問に、ナオトは口をつぐんだまま答えようとしない。

 かわりにハルトが重い口を開いた。


「何事にも、終わりがあるということだな」

「終わり……終わりって何だ……まさか、オレがサクラちゃんを連れ出したせいで、サクラちゃんが死んじゃうっていうのか」


 サクラを原宿に連れて行ってあげたい。

 自分のその想いが、サクラの命を縮めたのか。

 カヲルは力なく膝をつくと、地面に拳を打ち付けて叫んだ。


「オレが……オレがサクラちゃんを……」

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