第54話 松濤HDC最強!

「ちがぁう! もうおまえは日本語いったん全部忘れて!」

「はぁ?」


 カヲルは、白い陶磁器のようなトウコの手を取った。


「あのさ、あんまり親父の言うことに囚われない方がいいと思うぜ。そんな風にトウコが恩に着る必要ないって。だってさ、そもそも親が子供を育てたり守ったりするのなんて当たり前じゃんか。トウコの将来はトウコが決めたっていいはずさ。別にくのいちじゃなくてもいい。トウコほどの腕があれば、世界中どこに行ったって食べるには困らないだろ」


 そう言われても、トウコは今ひとつピンと来ない様子で首をかしげた。


「そうですか……でも、じゃあ、なぜ兄上様はくのいちをやってるんですか?」

「えっ?」

「兄上様こそ、世界中どこに行っても生きていけるはずです。兄上様には何か他にやりたいことはないんですか?」

「それは……」


 逆に質問されて、カヲルは言葉に詰まった。


(オレのしたいことって、なんなんだろう?)


 これまでカヲルは、サクラを守ってあげたいとそれだけを願っていた。

 だからこそ、女の子のフリをしたり、『紅白梅』の奥義を手に入れようとした。なのに結局それには失敗し、なんだかんだで会うことすらできない有様だ。

 今となっては自分が何をしたいのか、さっぱりわからなくなっていた。


(ただ、オレはサクラちゃんの笑顔が見たかっただけなのに……)


『自分が、なにをしたいのか?』


 サクラに聞いたら、きっと答えは簡単だろう。

 あの子は間違いなくこう言うはずだ。


「カヲルちゃんと一緒に原宿に行きたい!」


 はち切れそうな笑顔が目に浮かんだ。


(じゃあ、オレはどうなんだ?)


 もう一度、心の中の自分に問いかける。


 答えは、一つだった。


(そうだ、やっぱりオレはサクラちゃんの笑顔が見たいんだ!)


「兄上様、危ない!」


 突然、トウコの声がした。

 振り返るとそこには、いつもよりはるかに大きい屍鬼が爪をもたげている。


「グシュラァシュラー!」


 醜い叫びとともに振り下ろされる攻撃を紙一重で交わした。


「なにをぼーっとしてるんです!」


 トウコの檄が飛ぶ。カヲルは再び妹に向かって手を合わせた。


「わりぃ。なぁトウコ、オレやっぱサクラちゃんに会いたいわ」

「何を今更、全然手伝わなかったくせに」

「五行山でさ、ロカが言ってたんだよね。くのいちってのは大切なもののために不可能を可能にする人間のことだって。オレがコイツを倒したら、今日も五分頼めないか?」


 密談をかわすカヲルとトウコ目掛けて、巨大屍鬼が襲い掛かる。

 その動きは、思いのほか素早かった。


「どうやら、いままでの雑魚とは違うようですね。わかりました。兄上様がコイツを倒したら、今日も大切なお姫様に合わせてあげます」

「よっしゃあ、漲ってきたぁ」

「調子に乗らないください。コイツ、手ごわいですよ」

「大丈夫だ、まかせろ!」


 屍鬼とは、治療の儀式で生じた不浄の気が、先日の戦いでトウコに倒されたゾンビの細胞を吸収して受肉し、擬似生命を再獲得したものである。トウコからそう教わっていた。

 だからこそ、いままでの屍鬼は使用人のゾンビ同様、鈍い動きしかできなかったわけだ。

 だが目の前のコイツは違っていた。巨漢にして俊敏。こいつとは、どこかで手合わせしたことがあるような気がする。


「ジョォコオオエイチデェシィーザイギョォオオ!」


 巨大屍鬼は、唸り声をあげた。


(常考でHでし在京? いや、違うな)


 どこかで聞いた覚えのあるフレーズだ。


「もしかして……おまえ」


 改めて化け物をながめると、巨大な体躯の尻にあたる部分からは大きな尻尾が伸び、額には角のようなものが生えている。

 身体自体はぶよぶよした肉の塊で、以前のマッチョボディは見る影もないけれど、間違いない。


「おまえ、ジョージ・スチュアート三世か?」

「マイズビートバニー、オマエ、ボレノコノミ!」


 カヲルの問いかけに答えるように、屍鬼は雄たけびを上げた。

 咽喉の肉が激しく震えてズルリと剥がれ落ちる。地面に落ちた腐肉はぬめぬめと蠢き、屍鬼の足に合流して一体化した。

 あまりの不気味さに思わず息を呑む。トウコの声も震えていた。


「おそらく不浄の気が、あのときのキメラ細胞を取り込んで再生したのでしょう。言葉を発しているようでも、もはや人としての意識はないはずです」

「じゃあ、とっととあの世に送り返してやらなきゃな」


 カヲルは、体内の陽気を両腕から忍者刀へと集中させた。

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