第39話 奥義「紅白梅」

「いや、オレさ、ファーストキスは原宿でサクラちゃんとするって決めてるんだ。それに、サクラちゃんああ見えて結構嫉妬深くてさ。オレが他の誰かとキスしたって知ったら、きっとメチャクチャ怒って口きいてくれなくなると思うんだよね」

「そんなこと!?」


 他人にとってはどうでもいいことかもしれない。

 くのいちとしては失格かもしれない。

 でも、それがカヲルには何より大切なことだった。


「でさあ、その、代償なんだけど、さすがに足とか腕とかはカンベンしてもらえないかな。かわりにオレのできることならなんでもするからさ」


 カヲルは、ロカに向かって手を合わせて頭を下げた。ところが――


「合格だよ」


 愛嬌いっぱいの声が響く。


「へっ?」


 わけがわからず間抜け顔になるカヲルの額を、ロカは軽く小突いて言った。


「だから合格だってばぁ。まあ、追々試の合格だから60点だけどね」

「でも、キスしなきゃいけない試験なんだろ」

「言われるままキにスしてたら不合格。代償に真ん中の足を一本もらうところだったよ」

「だ、騙しやがって。ふぅ、あっぶねぇ……でも、最後まで採点基準がわかんなかったな。くのいちにふさわしい行動ってどういうことだったんだ?」


 胸を撫で下ろすカヲルを見て、ロカはにっこりと微笑んだ。


「フフフ、キミはもうわかってるはずさ。睡蓮寺のくのいちがなすべきはただ一つ。男とか女とか、兄とか妹とか、そんな瑣末なことは全部飛び越えて、自分の大事な人のためにたたかうことだよ。そうすれば、かならず不可能を可能にすることができるから」

「なんか、よくわかんないっつうか……でも、合格ってことは『紅白梅』の奥義を教えてもらえるんだよな」

「追々試合格のクセにそれは図々しすぎるよ。無事に帰れるだけで良しとして」

「そんなぁ、せっかくこんな山奥までやってきたのにぃ!」

「『紅白梅』っていうのは単なる女体化の忍法じゃない。陽気を使って、細胞の遺伝子そのものを変化させる。これまで七百年の睡蓮寺流くのいち忍法の歴史の中でも、会得したものは数人しかいないという究極の奥義なんだ」


 ロカの言葉に、カヲルは思わず唇を噛んだ。

 奥義「紅白梅」は細胞の遺伝子そのものを変化させる――これまで会得してきた忍法は、陽気を使って細胞を活性化させるだけだった。

 なるほど、たしかに今のカヲルとは次元の違う忍法らしい。


「でも、キミには素質がある。いつかきっと『紅白梅』を会得できるよ。今日はようやくその一歩を踏み出したってところさ」

「それはそうかもしれないけど……」


 ロカの言いたいことはわかる。

 でも、『紅白梅』が必要なのは一ヶ月後の水泳大会なんだ。

 カヲルは必死で懇願した。


「奥義がないと困るんだ。頼むよ!」


 しかし三代目首領の幻影はにっこり微笑んで、バイバイと手を振った。


「大丈夫、今日の試練でキミは十分変わってる。また会える日を楽しみにしているよ」 


  *          *          *

 

 気がつくと、カヲルは温泉の中にいた。

 あたりに立ち込める濃厚な陽気が、呼吸と一緒にカヲルの体内に入ってくる。

 五行山の地脈エネルギーと、温泉に溶け出していたロカの陽気。

 二つが混ざり合って、体中にあふれた。


「これが……あたし?」


 そう言ってはみたものの、カヲルの身に特に変わったところは見当たらない。

 女性らしい乳房があるわけでもなく、股間のナニもそのままだ。


「すでに変わってるって、ぜんぜん変わってないじゃん! これじゃあ、不可能を可能に(=スク水を着用)なんてできっこないないだろ!」


 そう叫ぶカヲルの脳内にロカの声が響いた。


《一つ忠告しておくけど、キミの大事な人に危険が迫っているよ》


 さっきまでとは違う真剣な口調だ。カヲルの表情がいっきにこわばった。


「それってサクラちゃんのことか!?」


 しかし声はその問いには答えない。


《大事な人を守りたかったら、ぜったいにその手を離しちゃダメだからね》

 

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