第33話 カヲル流くのいち忍法『疾風狼』

「キミ、くのいちかい? オレの名前は睡蓮寺夏折っていうんだ」


 少女は答えた。


「ボクは、ロカ」


 ロカというのは、睡蓮寺ではよくある名前だった。

 はじめて男性でくのいちになった人物が睡蓮寺露火(ロカ)という名前で、睡蓮寺史上最強の一人に挙げられているからだ。


「山花村から来たんだけど、ちょっと道に迷っちゃってさ。この辺に、睡蓮寺の修行場があるのを知らないかい?」


 カヲルの問いかけに、ロカは無表情に答えた。


「教えて欲しかったら、ボクについてきて。ついてこれるものならね」


 そう言って、木の枝に飛び乗る。そのまま間髪をいれずに次の枝へと飛び移った。


「ついてこれるものならだって? 上等じゃん、オレを誰だと思ってるんだ」


 カヲルも素早く後を追う。


「睡蓮寺流くのいち忍法奥義『燕舞』アーンド、地の巻『風猿』」


 燕舞は身体能力を五倍に上げる忍法、風猿は下肢を強化して速く走れる忍法だ。

 二つの術を組み合わせ最速化したカヲルには、首領のチアキですら追いつけないほどなのだが――


「なんだ、コイツ!?」


 先を行くロカのスピードはそれを上回っていた。

 木の枝から木の枝へめまぐるしく動き回り、速度マックスのカヲルですらついていくのがやっとだ。


「いったいなんなんだ、このボクっ子は!」


 先を行くロカは、獣道すらない深い森を躊躇うことなく奥へ奥へと突き進んでいく。

 あっという間に、周囲の景色が変わってきた。

 うっそうとした木々が生い茂り、見上げても空が見えない。

 まるで、ジャングルだ。

 そんな山中を進むこと十数分。徐々にカヲルとロカとの差が開いてきた。


(このオレが競り負けてる!? こんなの、いつ以来だ!?)


 焦るカヲルの気持ちを察したかのように、前を行くロカがチラリと振り向く。そして――ニヤリと笑った。

 カチンときた。


「畜生、こうなったら! カヲル流くのいち忍法その一『疾風狼』!」


『風猿』は下肢の陽気を燃焼させる忍法、『疾風狼』はそれに加えて腕の陽気も燃焼させる。狼のように四本足で走るカヲルのオリジナル忍法だ。

 四つん這いになったカヲルはグンと加速し、一直線にロカに体当たりする。

 二人の身体はもんどり打って地面に転がった。


「どうだい。ついてくるどころか、追いついてやったぜ」


 ロカの上に馬乗りになって、得意げに鼻を擦る。

 そして、気がついた。カヲルの右手がしっかりとロカの胸を掴んでいることに。


「あ、ご、ごめん、わざとじゃないんだ……ってゆうか、えっー!?」


 その右手の感触に驚いて叫ぶ。

 そこにあったのは……いや、そこには何も無かった。カヲルの右手が掴んだのは、まるでまな板のような平面だった。


「き、きみは……」

「ボクも、キミとおんなじ男のくのいちさ」

「ええっ!」

「そろそろ、手を放してくれないかな。いくら男同士だからって、そんなにガッツリ揉まれたら変な気分になっちゃうだろ」


 ロカの言葉に、カヲルは思わず飛びのいた。


「わ、悪い」

「フフフ、気にしなくていいよ。でも、ボクを捕まえるなんてなかなかやるねぇ。体力試験はバッチリ合格だよ」

「えっ? 試験?」

「奥義を求めるくのいちに試練を課すのが、ボクの務めなんだ」

「じゃあ、きみが『紅白梅』を教えてくれるのか」

「キミにその資格があればね。どうする? ボクの試練を受けるかい?」

「もちろんだ。そのためにこんな山奥まできたんだからな」

「オッケー、そう来なくちゃ」


 ロカは軽快な動きで立ち上がった。


「あそこが、睡蓮寺流くのいち忍法の奥義を極めるための地獄の修行場だよ」

「地獄の?」


 言われた方向に目をやると、山肌にぽっかりと洞窟が口を開けている。ロカはついておいでと言わんばかりに親指を立てて、洞窟に飛び込んでいった。

 カヲルはおそるおそる近づいて、深い岩穴を覗き込む。

 薄暗い洞窟の中には、むっとするような蒸気が立ち込めていた。危険なガスの臭いは感じられないけれど、地獄の修行場というからには相当な警戒が必要だろう。


「睡蓮寺流くのいち忍法地の巻『闇梟』!」


 カヲルは、視神経の陽気を燃やした。視覚強化忍法「闇梟」だ。

 強化したカヲルの視野に飛び込んできたのは――


「なにやってんのさ、キミも早く脱ぎなよ」


 まさにしのび装束を脱ごうとするロカの姿だった。そこだけ日焼けしていない真白いおへそが丸出しになっている。


「ロ、ロカ、きみは何やってるんだ!?」

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