第32話 三人目のくのいち

 *     *     *


 五行山の森は、はるか昔から続く原生林だ。

 人間の立ち入りを拒む厳しい自然は、おそらく何百年も前からほとんどその姿を変えていないだろう。

 天を突くような巨木が無数にそびえ立ち、傍らに野生動物たちが息づいている。

 カヲルは地図を片手に原生林の中を疾走した。


 睡蓮寺流くのいち忍法初代首領睡蓮寺末葉が山花村に本拠を構えたのは、五行山から流れる豊富な地脈エネルギーを利用するためだったと言われている。

 日々の暮らしを地脈の元で送ることにより、蓄積できる陽気の量は飛躍的に増加したのだそうだ。


(不思議だ。身体が軽い。力がみなぎってくる)


 山中には、陽気とは違う不思議な気が溢れている。

 おそらくこれが地脈エネルギーというやつなのだろう。

 カヲルは、大地からあふれる力が五体に満ちてくるのを感じてうなずいた。


「間違いない。この五行山には何かがある。これならきっと『紅白梅』の奥義を手に入れることができるぞ」


 紅白梅とは、男女の身体を自在に入れ替えることができる女体化忍法の奥義だ。

 その奥義があれば、水泳大会のときだけ女の子の身体になることができる。サクラに男だとバレないですむわけだ。


「でも、女体化といってもなぁ」


 そもそもカヲルは女性の身体を隅々まで知っているわけじゃない。

 知らないものに変身することができるんだろうか。


「まあ、水泳大会を乗り切るだけなら完全に女の子にならなくてもいいわけだしな」


 ぶっちゃけ、スク水になったときに股間のモノが不自然じゃない程度に小さくなればいい。

 でも一生小さいままなんていうのは困る。

 しかるべき時には元に戻って欲しい。できることなら、元より五割り増しくらいで大きくなってくれればもっと嬉しい。


「まぁ、その辺の調節はオヤジを締め上げてでも聞き出せばいいか」


 カヲルの父親、睡蓮寺春兎ハルトが『紅白梅』を会得しているのは間違いなかった。

 銀髪美幼女の姿をしているのは、その奥義を使った結果だろう。


(そういえば、オヤジたちは一体何をしに戻ってきたんだろう)


 カヲルとトウコを結婚させるため、というのは聞いた。

 だがそれとは別に、ハルトとトウコはサクラの家を監視していた。いったい何のために?

 もしかして、カヲルとサクラの仲を裂こうとたくらんでいるのだろうか?


 陽気と陰気を操るスーパーくのいち。


 それがどのくらいすごいのかわからないけれど、睡蓮寺の人間、とくに首領のチアキは、自分の母親ながら、目的のためなら手段を選ばない。どんな仕掛けをしてきても不思議じゃなかった。


(……トウコと子作りか)


 トウコのことは決して嫌いじゃない。

 正直、魅力的だと思う。

 しかも、どういうわけかカヲルを好いてくれているらしい。


(もしサクラちゃんと出会ってなけりゃ、トウコと結婚ってのもアリだったかもしれないな)


 そんなことを考えて、思わず首を振った。


「いやいや、何考えているんだ!」


 自分に言い聞かせるように声に出して叫ぶ。


「トウコは、血の繋がった妹なんだぞ!」


 しかしそうやって叫んでみたものの、昨日今日会ったばかりのトウコを妹だと実感できないのも事実だった。


(とにかく、まずは『紅白梅』を手に入れて水泳大会を乗り切る。そんでサクラちゃんと二人で原宿に行くんだ。他のことは、その後で考える……と、アレ?)


 ふと、気がついた。


「ここ、どこだ?」


 いつのまにか、もらった地図に載っていないところまで来てしまったようだ。


(しょうがないなぁ……)


 高い木の天辺に登って地形を確認する。

 しかし辺りの地形は、古地図とは全然一致しなかった。


(なんだよ、この地図。ヨシノブのヤツ間違えやがったのか? とりあえずバス通りまで戻るか? でもそんなことしてたら日が暮れちゃうよな)


 頭を抱えていると、森の向こうにチラリと動く人影をみつけた。


(こんな山奥に人間?)


 不審に思ったカヲルは、視神経の陽気を燃やした。


「睡蓮寺流くのいち忍法地の巻『闇梟』!」


 鋭敏化した視界に飛び込んできたのは、女の子だ。

 一瞬、ミモリかナモリが迎えに来てくれたのかと思ったが違った。

 年の頃は、カヲルと同じくらいだろう。

 ショートカットに日焼けした肌がまぶしいなかなかの美少女だ。身に纏っているのはくのいち装束だけど、睡蓮寺の装束ともトウコの装束とも違う。

 迷彩柄のタンクトップとショートパンツスタイルだった。


(見ない顔だな……まさか、またオヤジの隠し子!?)


 とにかく声を掛けてみた。


「キミ、くのいちかい? オレの名前は睡蓮寺夏折っていうんだ」


 少女は答えた。


「ボクは、ロカ」

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