第8話 天望フロアに潜入せよ
数十秒後――
カヲルは無事スカイツリーの天望回廊に着地した。
正確にいうと、「かつて天望回廊だったところに」だ。
今から一時間前、この場所は犯人グループによって爆破され廃墟となっていた。
「まったく、ひでぇもんだな」
アクリルガラス製の窓が木っ端微塵に吹き飛ばされ、ビュンビュンと木枯らしが舞う文字通り吹きさらし状態。内装も設備もめちゃくちゃで鉄骨がむき出しになっていた。
だが幸いにしてその鉄骨には目立った傷が無い。
タワーの構造自体に問題はなさそうだ。
「ふう」
カヲルは、広がった翼をしまいながら周囲の景色を眺めた。
東京タワーやレインボウブリッジが、まるでオモチャのように輝いている。
百万ドルの夜景というヤツだ。
爆発前は、さぞかしいいデートスポットだったろう。
「リア充爆発しろって、ホントに爆発しちゃったわけか」
幸い爆破時に人質は百メートル下にある天望フロアに移動させられており、犠牲者はいなかったと聞いている。
それでも爆発現場というのは気持ちのいいものじゃなかった。
長い年月をかけて建造された巨大な建物が、たった数名の不心得者の悪行により一瞬で破壊される。まさに諸行無常ってヤツだ。
「さぁて、お仕事にかかりますか」
センチメンタルな気分になっている場合じゃない。
記憶した見取り図を頼りに、エレベーターホールがあった場所を探した。
すでに上物は爆発で吹き飛んでいたが、床にポッカリと四角い穴がある。
駆け寄って下を覗きこむと、まっすぐな穴が天望フロアまで繋がっていた。穴の底で、墜落したエレベーター本体がペシャンコになっているのが見える。
カヲルは剥き出しの鉄骨に耳をつけ、側頭部に陽気を集めて燃焼させた。
「睡蓮寺流くのいち忍法地の巻『立て耳』」
「立て耳」とは、聴覚を通常の十倍にまで高めることが出来る術だ。
この忍法を使えば、鉄筋を伝わってくる音を通して百メートル下の天望フロアの様子を探ることができる。
(……ずいぶんと静かだな)
さっきまでうるさかった犯人グループ「松濤HDC」と機動隊との銃撃戦がぱったりと中断していた。
聞こえてくるのは、複数の足音、銃器のぶつかるような金属音、若い男性たちの話し声と、それから人質らしい大勢の人間の息遣い。
得られた聴覚情報とスカイツリーの見取り図とを頭の中で照合した。
犯人の立て篭もっている天望フロアは、三つの階からなっている。
上の階は名前を350フロアといい、カヲルが今覗いている穴の底にあたる。真ん中の階は345フロアで、レストランや売店がある。下の階は340フロア。このフロアには地上に通じる非常階段があった。
人質はどうやら一番下の340フロアに集められているらしい。
その北側エリアから多数の人間の呼吸音、衣服のこすれる音、そして時々ため息が聞こえてくる。
犯人とおぼしき男たちの話し声は、345フロアと340フロアからだ。
350フロアに人の気配は無い。
事前の説明によると、地上と天望フロアを繋ぐエレベーターはすでに松濤HDCによって完全に破壊されていた。
したがって残る地上との交通手段は非常階段だけということになる。
非常階段は、ツリーを支える心柱の中を通って地上と340フロアを結んでいる。犯人たちが警戒しているのはこの非常階段だけのはずだ。まさか上空から敵が攻めてくるとは思ってもみないだろう。
犯人の数は七人。みな銃火器を所持しているようだ。
(よし、作戦通り行けそうだな)
ヨシノブが立てた作戦はこうだった。
まず、建物内に侵入し梵化香を焚く。梵化香は、昨日教室でミモリとナモリが使った催眠効果のあるお香。犯人を眠らせるというより人質をおとなしくさせて不用意な動きを封じるため、そして人質にカヲルを目撃させないためだ。
次に、犯人グループを一人ずつ無力化していく。かつては背後から接近して忍者刀で喉をさばくやり方が一般的だったけど、最近は犯罪者であってもなるべく殺さないという依頼人の要望で気絶させるだけのことが多くなっている。
人数を減らしたところで、最後は一気に殲滅戦だ。
現在、午後十時三十分。
スカイツリーが占拠されてすでに八時間あまりが経過していた。
犯人グループの「松濤HDC」は、元々は渋谷を根城にするストリートギャングなんだそうだ。単なる不良少年の集まりのはずの彼らが、どういうわけか自動小銃にはじまりロケットランチャーやバズーカ砲といった銃火器で武装している。その武器が正真正銘本物なのは、天望デッキが爆破されたことで証明されていた。
対するカヲルは、身長百五十センチ体重四十キロの中学生。
所持している武器は刃渡り五十センチほどの忍者刀と、数本の手裏剣だけだ。
普通に考えたら、まったくお話にならない戦力差だった。まるでライオンとウサギが戦うようなもの。しかし――
「じゃあ、チョイチョイと片付けますか」
カヲルはまるで部屋の片づけでもするような軽い口ぶりでそう言った。
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