第7話 くのいちは半ズボン


「そろそろ突入時間だな。油断するなよ」


 こういう気遣いは幼い頃からコンビを組んでいるヨシノブならではだった。


「犯人グループには謎も多いんだ。そもそもなぜスカイツリーなんかに立て篭もろうと思ったかがわからない。武器を運ぶのも大変だし、身代金を受け取っても逃げるのに一苦労だろ」

「あー、たしかにその通りだな」

「それに、単なる不良グループがどうやって武器を手に入れたのかも判明していないし」


 しかし、カヲルはあくまで能天気だった。


「うーん、でもまあ、その辺のことは犯人を捕まえてから警察にゆっくり調べてもらおうぜ。犯罪者の考えなんて、善良な市民であるオレにわかるわけがないしな」

 

 そのとき突然、ヘリの無線機が鳴った。


『さぁ、カヲル、作戦開始だよ!』


 カヲルの母親にして睡蓮寺流くのいち忍法首領の睡蓮寺血秋(チアキ)だった。


『政府の偉いさんから、くれぐれも人質を傷つけないようにだとさ。今回は一億円の大仕事だからね。しくじるんじゃないよ!』


 身代金十億円の事案に解決料が一億円。

 高いか安いかは、物の見方によるだろう。鼻息を荒くしている首領様に、カヲルはマイクを取って恐る恐るお伺いを立てた。


「ねぇ母さん、これが終ったらオレにも少し小遣いくれないかな」

『小遣い?』

「いろいろ買いたいものがあるんだよ。服とか」


 女物の、とは言わなかった。


『なんだい色気づいちゃって。そうだねぇ、前に話したあの依頼を受けたらバーンと特別ボーナスを出してもいいよ』

「あの依頼って、例のヤツか……」


 カヲルは思わず口ごもった。

 例のヤツとは、某北の国に単身潜入して独裁者を暗殺するという外国政府からの依頼だ。さすがのカヲルでも命の保証はない超S級難度の任務だった。


「カンベンしてよ。オレまだ中学生だぜ」

『中学生なら、つべこべいわずに親の言うことを聞くんだね。さっさと目の前の仕事をこなしな』

「へぇーい」


 カヲルは無線機のマイクを戻すと、戦闘態勢に入った。ベンチコートを脱いでポニーテールの髪をもう一度縛りなおす。

 身につけているのは、睡蓮寺伝統のくのいち装束。

 黒柿色に染めた皮製の胸当てとショートパンツだ。

 この装束を着ると、肩から背中、それに腹部と四肢、つまり身体の大半が露出することになる。

 夏場の小学生男子のほうがまだ厚着なくらいだ。

 戦闘服のくせに何故こんなに露出が多いのかというと、肌を見せることで敵の集中を乱すためなんだそうだ。子供のころは動きやすくて気に入っていたけれど、それを知った途端にこの装束がイヤになった。


(だいたい中学生男子の太腿に惑わされるなんて、どんな変態だよ。そんなヤツがいるかっつうの!)


 厳しいくのいち修行にもかかわらず、カヲルの太腿には男性らしい筋肉がついていない。かといって女性的な丸みを帯びたラインとも違う。

 ショートパンツから伸びるのは、まるで野生の鹿のようなしなやかな脚だ。

 気を取り直して両頬を叩く。それからヨシノブに合図を送った。


「じゃあ、行ってくる」


 するとヨシノブはポカンと口をあけてカヲルの太腿に見入っていた。


(いたよ。こんな身近に、中学生男子の太腿に惑わされる変態が)


「てめぇ、何ジロジロ見てんだ! 気持ち悪いんだよ!」

「い、いやぁ、カヲル姫もすっかり色っぽくなったと思ってな」

「なるか、ボケ!」


 ヨシノブを怒鳴りつけて、カヲルはヘリコプターのドアを開けた。

 途端に激しい風がゴォーッと唸りをあげて機内に吹き込んでくる。この季節でも、地上二千メートルとなれば吹く風はかなり冷たい。

 足元に目をやると、人や車が豆粒のようだった。

 時折、銃声と火花が飛び交っている。犯人グループと機動隊との小競り合いはまだ続いているらしい。


「キミ、本当に行くのかい?」


 ヘリのパイロットが不安げな声をあげた。


「この強風だ。スカイツリーに着地するなんてできるはずがないだろ。もうすこし近づいてあげたいのはやまやまなんだが、犯人グループが対空武装しているという情報があって、うかつに高度を下げられないんだ」


 たしかに見た目は完全に女子中学生のカヲルが、パラシュートも何もない軽装で二千メートル上空から飛び降りるというのだから正気の沙汰ではない。

 しかしカヲルとヨシノブは口を揃えて答えた。


「あー心配御無用です」「姫の忍法『銀杏羽根』は睡蓮寺一ですから」


「銀杏羽根」とは、風呂敷ほどの小さな布を使ってパラシュート降下する古典的な忍法だ。

 古典的と言っても、並みのくのいちにできることじゃない。

 大量の陽気を燃焼させ、神経と筋力を同時に強化することではじめて可能になる高度な技だった。


「じゃあ、ちゃっちゃと行っちゃいます。いつサクラちゃんから返信来るかわかんないし」

「ちょっと待て、姫、スマホの電源切ったか!?」


 ヨシノブの言葉を無視して、カヲルは東京の夜空にダイブした。


「睡蓮寺流くのいち忍法天の巻『銀杏羽根』!」


 同時に真っ黒い布が背中で広がる。陽気のこもった布地は吹き荒ぶ強風を受けて大きな黒い翼となった。

 背中の翼を羽ばたかせながら、東京の夜空を滑るように飛ぶ。

 その姿はまるで堕天使か、吸血鬼か。

 ベテランくのいちにも、ここまで見事な翼をつくれるものはそうそういない。

 ただでさえ「銀杏羽根」の操縦には多大な陽気を使うのに、翼を大きくすればするほど必要な陽気量が多くなるからだ。


 睡蓮寺流くのいちは日々の呼吸の際に生じた陽気を少しずつチャクラに蓄積し、忍法を使用する際に燃焼する。陽気を無駄遣いすればすぐ底をついてしまうので、ここぞという時まで取っておくのが普通だ。

 ところがカヲルの場合、陽気の蓄積率が生まれつき桁違いに大きかった。

 まるでMP自動回復のアビリティを持った魔法使いのように、消費しながらでもどんどん陽気が貯まってくれる。このため強力な忍法を惜しげもなく使うことができるのだった。

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