西向伊久日の記憶


 ガーデンパーティーは好きではないな、と伊久日いくかは実感した。

 何度も誘われ、足を運んできた。今日と違うパートナーと、違う顔ぶれの会場に。それでも気後れとともに、ここには何も無いのだと思わせることの連続だった。

 その気持ちが顔に出ているのか、態度に表れてしまっているのか、パートナーは必ず口にしてきた。


「なに? 気に食わないの?」


 現在のパートナーである、アンジーも詰問口調で伊久日の肘を掴んで言った。

 受付に手荷物を預けて、身軽になったアンジーは手指の無粋な部分を隠すように繊細な手袋をしている。その手袋越しに感じられるのは力強さであり、そこから咎め立ている。


「そういうわけじゃないよ。虫がやたらとまとわりつくから、うっとおしくて」


 返す言葉は本当だった。

 屋根があろうと壁も窓もない場所では、ひっきりなしに羽虫が舞う。それを気にしないで居られる、場を楽しむ能力がないだけだった。


「そう。でも、もっと取り繕って。あたしの昇進がかかっているんだからね」


 アンジーはそう言うなり、顔を一変させた。口角を上げて、まなじりに楽しさを乗せ、上司が居る場所に伊久日を引きずるようにして向かう。


 その強引さに惹かれた。

 惹かれてしまえば、どのような部分も愛しく感じられて積極的になろうとした。

 張りぼての、即席な積極さは伊久日にとって、気持ち裏腹な日々を過ごすきっかけになってしまった。

 あまり遠くない過去を思い出している合間にも、羽虫が飛び交う。失礼にならない程度に手で追い払うことに意識を向けていた。アンジーは上司やその友人だと紹介された人々と話に夢中になっていた。

 肘を軽く触れ合わせて、逃亡できないようにされているせいで、手持ち無沙汰気味だった。



「まあ! リンディ! ようやく顔を見せてくれる約束を果たしてくれたのね!」


 伊久日はその声に導かれるように、リンディを見た。

 周囲はざわざわとしていたが、リンディの登場で一層と騒がしくなった。

 その理由を知らない伊久日だったが、アンジーが簡潔に説明してくれた。


「リンディは言語学や書籍全般の学者だから。番号持ちネームレスなのに、ね」


「じゃあ、文字を学んだんだ」


「あんたみたいにね。アジア圏の研究所で育ったみたいよ」


 アンジーは複雑な感情が笑みの中で覗かせていた。

 普段、伊久日に対しては強気に出れば、どうとでもなった。伊久日に興味を抱いた人間が居れば、引き合わせつつも関係を示すことも容易かった。

 だが、今胸に宿るのは──焼けつくかのような焦りは、嫉妬だ。

 アンジーは誰に嫉妬しているのだろうか。そう自問自答する。


 アジア圏の民族共同体コミュニティで、親とサンプルとして育った伊久日にか?

 アジア圏の研究所で民族共同体コミュニティとの比較調査と人類の可能性を研究するために育てられたリンディに対するものなのか?


 アンジーは答えを早急に得ようとして、頬を噛みしめていた。その横顔を見つめて、伊久日は声を掛けようか戸惑いながら、近づいてくる人物が居ることを教えるしかなかった。


「アンジー、渦中の人が来るよ」


 その声が少しだけ踊ってしまっていた。伊久日は自分の声の変化もわからなかった。脳が酸素不足気味になっている信号音が、イヤフォンから流れていることにすら気がつかない。

 だけれど、アンジーは気がついていた。


「はじめまして。勲功異動、おめでとうございます。アンジー隊長、は気安いでしょうか?」


 さすが、あらゆる机上の空論を立てるだけの文官だ──アンジーは思う。品良い言葉を並べるほどの教養は持ち合わせていないがそれらしくして、切り上げようと決めた。


「リンディ博士、ありがとうございます。どうぞアンジーとお呼びください。こちらはわたくしのパートナー、伊久日です。呼びにくいからウエストが愛称なんです」


 伊久日の口を開けてしまえば、長居必須になるかもしれないと適当に紹介をした。アジア圏の番号無し《シンボル》持ちだなんて言うと交流しようとするだろう。

 アンジーの気持ちを裏切るように、リンディはよそ行きの笑みを浮かべながら目敏く情報を見つけてしまった。


「では、わたしのこともリンディと。お会いしたのははじめてですよね? 番号無しシンボル持ちというとアジア圏の旧日本辺域の系統でしょうか」


 伊久日はリンディの言葉に嬉しくなりつつも、少しだけ不安定なか細い動揺が走り抜けていくのを感じた。





 それがすべてのきっかけだったかのように、伊久日は記憶を刻んでいる。

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