「大雨」

 



 仕事を終えて、最寄り駅から帰宅する途中に、突然の大雨に見舞われた。傘を買うために、コンビニまで走る。履いているパンプスの中にまで、雨水が入ってきて、気持ち悪い。コンビニまでは、信号2つと言った所。私は鞄を頭の上にかざして、歩みを早めた。ツイてない。左手でスマホの天気予報アプリを起動した。表示された天気予報では、一日中、快晴だった。あー、本当にツイてないな。


 信号が青に変わって、小走りで横断歩道を渡った。すると、タクシーが急に左折してきて、かれそうになる。慌てて立ち止まった時、雨で足を滑らせて、私は左手に持っていたスマホを水溜まりに落とした。


 やってしまった!と、直ぐにスマホを拾い上げた。電源が落ちている。冷や汗が止まらない。文句を言おうと、タクシーの運転手をにらみつけて近づくと、運転手は無言でアクセルを踏み、早々と立ち去ってしまった。





 どうしよう……故障したかも知れない。


 普段なら、弱り目に祟り目だ、と自分を慰めて、直ぐに携帯ショップに駆け込むのだが、『イチゴイチエ』の事が気になった。スマホを新しくした場合、ハロルドとの縁は切れてしまうのだろうか?どうすれば良いんだろう?


 コンビニに駆け込んで、鞄からハンカチを取り出した。そして、スマホの画面を拭く。電源ボタンを長押しして、祈る様に電源が入るのを待った。


 しかし、無情にも、スマホの画面は真っ暗なまま、何も応えてくれなかった。


 泣きそうになりながら、コンビニで傘を買った。携帯ショップは、まだ開いている時間だ。私はスマホを鞄の中に仕舞って、修理して貰う為に、携帯ショップに向かった。


 徒歩2分。繁華街の片隅。煌々こうこうとした白い明かりを放って、携帯ショップは、そこにあった。私は、どうかお願いします、と胸の中で祈りを捧げて、店の自動ドアのボタンを押した。


「いらっしゃいませ、番号札をお取りになって、暫くお待ちください」


 店員にテンプレートの発言をされて、イライラしながらも、私は素直に従った。待ち時間を見ると、15分となっている。椅子に座っていると、不安が襲いかかってきて、体が震えてきた。


 少しの間、待っていると、自動ドアが開く音がした。この時間でも、来客は多いんだな、と思って、何の気なしにドアの方を見た。


 入ってきたのは30代の男性。その姿を見て、私は驚きの余り、椅子から立ち上がった。


さとるさん?」

「美咲?」


 店に入ってきたのは、数年前まで私が付き合っていた男性だった。加藤かとうさとる。私の2つ歳上だから、今年で34歳になる。外車販売の店のフランチャイズオーナーで、とても良い人だった。昔と変わらず、お洒落なオーダーメイドスーツに、ブランド物のネクタイ。日焼けした顔が、とてもセクシーだ。


「偶然だな!元気してたのか?」

「悟さんこそ」

「機種変か何かか?」

「いえ……雨でスマホを落としてしまって、電源が入らなくなってしまったの」

 悟さんは、私の言葉を聞いて、隣の席に座った。


「大事なデータでも入っているのか?深刻そうな顔してるぞ」

 なんて誤魔化そうか。


「ええ……実は、明日、仕事で使う資料やメールが入ってて、とても困っているの」

「携帯ショップで修理に出すと、二、三日掛かるぞ」

「そうなの?」

「メーカーに送らないといけないからな。もし美咲が嫌でなければ、協力するけど」

「どういう事?」

 悟さんの発言に、私は救いを求めた。


「最近、新しく、スマホの修理ショップの経営を始めたんだ。水没や画面割れを、データは、そのままに修理出来るよ。1時間くらいで直る事が多いかな」

「本当に?是非、お願いしたいわ!」

「分かった。じゃあ、俺の車で店まで行こう」

「悟さんは、ここに用事があったんじゃないの?」

 私からの疑問に、悟さんは首を横に振った。


「新機種に変えたかったんだけど、別に急用じゃない。後日、また来るよ」

 悟さんは、ポケットから車のキーを取り出して、クルクルと指で回し始めた。


「車で10分くらいだから、直ぐに着くよ」

「本当にありがとう。じゃあ、お願いします」

「オッケー!」

 店から出て、コインパーキングに停めてある、悟さんの白いSUVに乗った。助手席に座って、シートベルトを締める。新車の匂いがした。


「雨で濡れて、冷えてないか?もし冷えてるなら、暖房付けるけど」

「もう初夏よ。平気」

 昔と変わってない。優しくて素敵な人。


 車に揺られて、10分強でショッピングモールに着いた。


「このショッピングモールの地下フロアにあるんだ」

 雨で濡れない様に、少し遠回りして、屋根のある駐車場に車を停めてくれた。悟さんは、ゆっくりと、エンジンを切った。


 私は、助手席のドアを開けて、駐車場を見渡した。そろそろ閉館時間なのだろうか?閑散としている。


「ねえ、悟さん。お店は何時までなの?」

「あー、本当は後、30分で閉める予定なんだけど、美咲の頼みだ。なんとかするよ」

 少し口篭くちごもって、悟さんは笑顔で言った。


「ありがとう。本当に、本当に、ありがとう」

「いいよ、この位」

 悟さんに連れられて、地下フロアに入った。大きなフロアの、100円ショップの向かい側に、修理ショップはあった。


 よお、お疲れ様、と右手を挙げて、悟さんが入店する。2人の若い男性店員が、お疲れ様です、と頭を下げた。


「急な用事で申し訳ないんだけど、彼女のスマホの修理頼めるかな?残業代は出すから」

「いいですよ。加藤さんにはお世話になってるし」

 店員は満面の笑みで答えた。


 私はドキドキしながら、自分のスマホを店員に見せた。本当に直るのだろうか?そして、もし直ったとして、『イチゴイチエ』は、どうなるのだろうか?


「あー、水没したんすね。この機種なら、部材もあるんで、1時間弱で直りますよ」

 店員は心強い発言をしてくれた。


「あの……実は中にあるデータが大事でして」

「データかあ。保証は出来ないっすけど、最善を尽くします」

「よろしくお願いします!」

 店員は、どの様に修理するか、もし壊れても責任は取れないが、構わないか?と言った説明をして、契約書にサインを求めてきた。


 契約書の中身を斜め読みして、サインをした。


「先ずは電源が入る様にして、その後、データを吸い出します。では、お預かりします」


 店員が店の奥に引っ込んで、修理を始めた。


「なあ、美咲。良かったら、お茶でもしないか?待っている間、暇だろう?」

 悟さんが、不安そうにしてる私に話し掛けてくれた。


「そうね……ご馳走させてくれる?」

「分かった。じゃあ、ご馳走になろうかな」

 私は悟さんの後に付いて、ショッピングモールの2階にある喫茶店へ向かった。


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