第4話 純哉と凛

 凛が

 これはどういう意味だろうか。また何かがこれから来るのか? それともなにか別の意味があるのだろうか。ただ、何か嫌な予感がしてならない。


「翔くん……ぷぷっ、くくっ…………ぷくくくっ」


 その言葉に、はっと愛梨と顔を合わす。

 それと同時に、俺は今このナースステーションのに違和感を覚えた。

 そう、。俺と純哉がそろえば、懐中電灯の光が二つになるはずなのに……のだ。


「おい、純哉。待った。お前、懐中電灯は?」


 肝を冷水に漬けられた感覚だった。この暗闇の中で、懐中電灯なしで移動するのはあまりに危険なはずだ。さっきの曲がり角から出てきた時も、そういえば懐中電灯の光はなかった。

 純哉の方をもう一度見るが、明らかに懐中電灯を持っていない。彼は、のだ。


「おいおい、なんでお前ら三人もいるんだよ。あいつはどこだ? こっちはひとりしかいないのに──」


 しかし、純哉は俺の問いかけには応えず、全く頓珍漢な事を言っている。これは、何かがおかしい。

 俺は純哉との距離を意識しながら、頭を回転させた。

 ポイントは三つだ。

 まず、凛が霊安室の前の時と同じように笑いを堪え始めた。

 次に、純哉が違う方角の廊下から出てきた気がする。

 そして、懐中電灯を持っているはずの純哉がどこにも懐中電灯を持っていない。

 こいつは──もしかして!?

 慌てて懐中電灯で純哉を照らすと、彼の背後には黒い影が覆い尽くしていた。懐中電灯で照らしても、その奥が見えない。


「なあ、お前らもこっちこいよ。道連れだよ」


 純哉が二チャリと笑みを浮かべた。


「相沢、これ……」


 愛梨が言葉を詰まらせている。

 言いたい事はわかる。なんと言えばいいのかわからないのもわかる。とりあえず、何かわからんがやばいのだ。これはやばい。とにかくやばい。もう語彙力が壊滅的だが、危機的状況と言っても良い。

 慌てて駆け出そうとすると……今度は俺の左手──凛と繋がれている手──にぐんと負荷がかかった。


「凛!?」

「ふふふっぷくくくくっ……あははははっ、あはは!」


 我慢しきれず、凛が再び笑い始めたのだ。しかも今度はお腹を押さえて、しゃがみ込んでしまっている。

 そこで、俺の予想が正しかった事がわかった。凛のこの笑いは、謂わば探知能力。近くにが来ればくるほど笑いが収まらなくなる。

 そして……凛が立って歩けないほど笑ってしまうぐらい──今、のだ。


「おい、凛! 立て! 立ってくれ! 今はまずいんだって!」


 必死に凛を立たせようとするが、お腹を押さえたまま、動かない!


「ひーっ、ひーっ、ひーっ、もうだめ、お腹痛い~! 笑いたくないのに……あは! あははははは! ご、ごめん……あはっあはははは!」


 凛が笑い過ぎて腰に来てしまっているのか、立つこともできないようだ。

 目の前の純哉がゆらりと動くと同時にに、ナースステーションからほど近い場所で、ガシャンと何かが落ちた音がする。

 ぎゃああああああああ! なんか来てる! 多分来てるって!


「お、おい! 相沢! やべえって、なんか絶対やべえって! 早く凛を立たせろ! 頼むから!」


 愛梨の言葉に頷いて凛を引っ張るが、たたらを踏んだだけで、全然前に進めない。黒い影に覆われた純哉が、ゆらりゆらりと笑みを浮かべながらこちらに寄ってくる。

 くそ……もう迷っている暇はない。こうなったら──俺は凛の背中に左手を、そしてふとももの下に右手を回して、一気に凛を持ちあげた。


「へっ、翔くん!?」


 凛をお姫様抱っこして、病院の入口へと駆け出す。さすが元国内ティーンズトップモデルのRIN、軽い──じゃなくて! いい匂いもするし柔らかいし──でもなくて!

 今はそんな感動はどうでもいいから逃げるのが先だ。生きて帰れた暁にはご褒美に触らせてもらおう。いや、そんな事どうでもいいから走れって!


「うおああああああああ! 愛梨、走れええええ! 逃げろおおおおお!!!」

「ちきしょおおおお意味わかんねえよおおおお!」


 腕に力を込めて、俺と愛梨は気合の声を上げながら、廃病院を走り抜ける。


「あははははは! ちょっと、翔くん! 待って、なんか来てる! あはははは!」


 腕の中の凛が大爆笑しているが、今だけはその頼みは聞けない。

 ただ、普段ろくに鍛えてもないのに、ずっとお姫様抱っこをして走るのは無理だ。火事場の馬鹿力で何とか凛を抱えているが、腕がつらい。

 それに、走って逃げているはずなのに、凛の笑い声が収まらない。なのに、収まっていないという事は──!?


「愛梨、後ろどうなってる!?」

「あたし等のすぐ後ろに純哉がついてきてる!」


 やっぱり、距離を置けていないのだ。奴はすぐ後ろについてきている。

 診察室とレントゲン室の前を通り抜けながら、必死に頭を回転させる。そして、待合室の前に来た時、俺は覚悟を決めた。


「愛梨! その純哉をおもっきり蹴飛ばせ!」

「よしきた! あたしも何となくあいつを犠牲にしようと思ってたところだ!」


 なんとなくで友達を犠牲にしようと思っているところで愛梨の怖さを感じるが、それは今は触れてはいけない。むしろ、彼女の非情さには感謝すべきだ。

 愛梨はいきなり立ち止まって、その勢いで──純哉の腹に回し蹴りをぶちかました。いきなりの攻撃に純哉は反応できず、まともに愛梨の蹴りをみぞおちに食らっていた。


「ぶどろぐゔぇどぅぉぉぉぉぉぉぉぉぉl!」


 が院内に響き渡った。

 よし、これでとりあえず時間は稼げた。


「愛梨、走れえええええ!」

「あんたも凛落とすなよおおおおお!」

「あはははっ! ほ、ほんとごめんっ! あはははははは!」


 大爆笑する凛をお姫様抱っこしながら、俺と愛梨は病院のエントランスを駆け抜ける。

 そのまま病院の外まで出て、一気に走り抜けた。病院の駐車場まで出ると──


「あれ? やっとみっけたよ! お前ら俺を置いてくとかひでーじゃねーか!」


 なんと、──すなわち、エントランスとは別の方角──から、純哉が現れた。懐中電灯の光をぶんぶん振り回している。


「お前こそ! なんで? さっきあたしが蹴りを……」


 愛梨が信じられない、という顔をして純哉を見た。

 そう、彼女はさっき待合室で純哉を蹴り倒したのだ。


「はあ? 愛梨こそ何言ってんだよ」

「あんたこそ──」

「待て」


 愛梨が純哉に突っかかろうとしたので、彼女を制止する。


「純哉。お前、立ちションしてからどうしてた?」


 そう、俺の予想が正しければ──は、本物だ。


「はあ? そうそう、聞いてくれよ!」


 純哉は身振り手振りを加えて、彼に起こった事を話してくれた。

 彼の話によると、ナースステーションの近くで立ちションをして戻ろうとしたら、のだという。そして、行く方向が変わったから、と別の道を凛が教えてくれたそうだ。言われるままにについていったら、なんと病院の外に出た。その瞬間、中から俺と愛梨の叫び声や凛の笑い声聞こえて、横にいた凛は消えていた──というのだった。


「え?」

「え?」


 愛梨と純哉がお互い顔を見合わせる。お互いがお互いの言っている事を理解できない様子だ。

 そう、理解できないのは当たり前だ。凛は俺達とずっと一緒にいたからだ。そして、病院に入る前から、。もちろん、純哉が立ちションをして以降も、それは同じだった。凛が純哉の前に現れる事など有り得ないのだ。


「……えっとぉ、翔くん?」

「ん?」


 いつの間にか凛の笑いは止まっていて、恥ずかしそうに頬を染めて、俺を見ていた。

 あれ? やたらと顔の距離が近い。


「その……そろそろ、降ろしてもらいたい、かな」


 おずおずと恥ずかしそうに言う。


「あっ」


 言われてみれば、凛をずっとお姫様抱っこしたままだった。それを自覚した瞬間、両腕が鉛のように重くなって、彼女を担いでいられなくなったので、そっと凛をおろした。足腰も軋むように痛んでいる。明日は絶対に筋肉痛だ。

 本当に火事場の馬鹿力というやつで乗り切っていたようだ。人間、何とかなるものだ。

 凛は「ありがと」と恥ずかしそうに言い、また俺の手を握った。ただ、俺の両腕はもう限界を超えていて、ぷるぷる震えている。今は凛の手を握り返してやる事もできない。


「……こんなに無理してくれてたんだね」


 凛が俺の腕を両手で優しく摩りながら、もう一度「ありがとう」と御礼を言ってくれた。


「ちょっと待て。純哉、あんたあたしに蹴られてないのか!?」

「はあ? 蹴られてねーよ。つうか最後に会ったの立ちションする前だろ」


 純哉の言葉に、さぁっと顔から血の気が引いていって、愛梨はそっと自分の靴の裏を見た。


「お、おい……嘘、だろ?」


 愛梨の靴の裏には、真っ赤な液体がこびりついていたのだ。


「う、うわ! なんだよそれ、血糊か!? 気持ち悪ぃな」


 言いながら愛梨の足をしゃがんで見ている純哉の背中を見て、俺と凛の顔からも血の気が引いていって、体をぶるっと震わせた。


「あの……純哉? すげえ言いにくいんだけど」

「あ? なんだよ?」

「純哉くんの背中──ううん、何でもない。シャツ脱いでみれば、わかると思う」


 凛は顔を引き攣らせて、純哉から二歩下がった。俺も凛に続いて、二歩下がる。


「はあ? なんだよ、凛ちゃんもついに俺のストリップに──」


 言いながら純哉がシャツを脱いで、自分のシャツの背面を確認すると──そこには、真っ赤な手形がたくさんついていた。

 絶句する純哉。

 絶句する愛梨。

 引き攣らせた顔を見合わせる俺と凛。

 そして──


「「ぎゃあああああああああああああ!」」


 四人同時に悲鳴をあげて、一目散に病院の敷地内から逃げ出した。


────────────────────────────────


【作者コメント】


ホラー×ラブコメってこんな感じでしょうかね?

明日で肝試し編最終話です。ぶどろぐゔぇどぅぉー

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