真夏の肝試し編・最終話 これからの運命

 山田病院から全力で逃げて鳴那町に戻ってからも、愛梨と純哉の精神状態の錯乱っぷりがまあ大変だった。とりあえず喫茶・アイビスで彼らを宥め、愛梨の靴と純哉のシャツを洗わせてもらった(マスターはとても嫌がっていた)。

 純哉が彼のお姉さんにブチ切れた電話をかけていたが、お姉さんは『何もなかった、って言えば行かないと思った。ごめん』と彼に謝ったそうだ。何があったとは口にしなかったが、きっと純哉のお姉さんもその時に怖い思いをしたのだろう。おそらく俺も誰かに山田病院について訊かれたら『何もなかった』と答えると思う。あそこだけは生半可な気持ちで行ってはいけないのだ。

 とりあえず明日お祓いに行く約束をしてから、俺達はそれぞれの家路についた。

 今は凛と二人きりで、いつもの田んぼ道を歩いている。田舎の夜らしい心地良い涼しさと虫の鳴き声に身をゆだねて、夜の自然の香りを吸い込んだ。


「結局さ、どういう事だったんだろ?」


 帰り道で、凛が唐突に訊いてきた。

 病院での一連の出来事に関してについてだろうが、俺にわかるはずがない。


「さあ……どういう事だったんだろうな」


 山田病院での不可解な恐怖現象を思い出してみる。

 ただ、何者かが純哉に化けて俺達を襲い、何者かが凛に化けて純哉を救った。おそらくこれは確実だろう。


「もしかすると……純哉は、一人になった時ににマークされていたのかもな」


 純哉の背中につけられた赤い手形を思い浮かべた。

 あいつ、とは、純哉に化けて俺達を襲った奴だ。あいつはおそらく、もともとは純哉を襲うつもりだったのだろう。そしてそれを察知した何者かが、凛に化けて純哉を病院の外へと連れ出してくれた。それだけは間違いないように思う。


「もし、私に化けた何かが純哉くんを助けていなかったら……」

「もっとやばい事になってたかもしれないな」


 最悪の事態を想像して、ぶるっと二人して身体を震わせた。

 考えたくないが、今こうして逃げてこれた事もかなり奇跡的ではないかと思うのだ。凛の悪霊察知能力(爆笑付き)がなければ存在にも気付けなかっただろうし、あの純哉が偽物だと確信を持てていなかったかもしれない。確信を持てていなければ、あそこで愛梨に攻撃もさせられなかった。

 愛梨は本物の純哉だと思って(そして純哉を犠牲にするつもりで)蹴っていたようだけども、こればっかりは愛梨を責められない。あれが本物ではなくて、本当に物理攻撃が効くかどうかわからない相手に俺は攻撃しろと言ったのだ。愛梨を危険に晒したので、俺も同罪と言える。ただ、これを言えば俺の命がなくなってしまうので、絶対に愛梨には言えない。


「私さ、思うんだけど……」

「うん?」

「やっぱり、病院で殺人事件があって、女の子が犠牲になったっていうのは、本当だったんじゃないかな」

「というと?」

「あの時さ、純哉くんの偽物が言ってた言葉、思い出してみて」


 凛に言われて、ニチャリと気持ち悪く笑った純哉の偽物の言葉を脳裏に浮かべてみた。


『あいつはどこだ? こっちはひとりしかいないのに』

『お前らもこっちこいよ。道連れだよ』


 確かこう言っていた。


「『あいつはどこだ』の"あいつ"が、純哉くんを助けた人で、看護師さんを庇って犠牲になった若い女の子。それで、『こっちはひとりしかいない』の"ひとり"っていうのが、最初に殺されたお医者さんだった……って考えれば、愛梨の話と合わない?」


 男性が病院で暴れて、医師と若い女の子を殺して自殺した話。もしかすると、それはやはり本当にあった話だったのだろうか。

 しかし、その事件については新聞には載っておらず、あくまでもネット上での噂話程度しかない。

 では、仮に事件が本当に起こっていたとして、何故死者が二人も出ている事件で新聞に載らなかったのか? それは──


「凛が最初に言ってた通り、もみ消されたのか、隠蔽された事件だったのかもしれないな」


 俺の言葉に、凛がこくりと頷いた。

 もしかすると、あの病院の敷地内に、白骨死体がどこかに隠されているのかもしれない。例えば、凛が一番最初に笑い出した霊安室だとか、血で真っ赤だと言っていた病床があった部屋だとか、そのあたりを探れば──と思ったが、俺は頭を振った。いや、もうよそう。これ以上首を突っ込んでも絶対に良い事はない。


「もちろん、全部想像でしかないんだけどさ。今日の話なんて、誰に言っても絶対信じてもらえないだろうし」


 凛は困ったように笑い、俺の手をそっと握って、指を絡ませてきた。彼女の手を握り返しつつ、俺はその言葉に頷くしかなかった。

 そう、俺達では論証のしようがないのだ。あんな場所には昼間にだって行きたくないし、それを確かめる義理や義務もない。そして、もし万が一それを発見できたとしても……俺達にはどうしようもない。

 ただ……きっと、純哉を助けてくれたどこかの誰かは、看護師を庇って死んでしまうような、とても優しい子だったのではないかな、と思うのだった。そして、その人の気持ちに応える為にも、二度と危ない場所にはいかない。踏み込んではいけない場所は、やはりあるのだ。二度と肝試しなんてやってはいけない。俺はそう心に誓──


「はあ……落ち武者……」


 誓おうと思った矢先に、隣の凛ががっくりと肩を落として、何やら不吉な言葉を言う。


「……はい?」

「落ち武者、見たかった」


 しゅん、と子供みたいにがっかりした顔だ。

 まるでネズミーランドでマッキーに遭遇できなかったような言い方をするのはやめてほしい。いや、そういうところも可愛いのだけども。対象がマッキーと落ち武者では全く異なる。


「次はさ、病院とかじゃなくて、もっと戦国時代の曰く付きの墓所とか、そういうとこ狙わない?」


 一転笑顔で元国内ティーンズトップモデルはそう仰られた。

 今日の恐怖体験を経ても全く反省していないようだ。いや、反省しているからこそ病院ではなく戦国時代の墓所と言っているのか──って、違う! そこじゃない! 反省すべきポイントが間違っている!


「狙わねえよ!」

「ええ!? 何で?」

「何でも!」

「だって……落ち武者だよ?」

「落ち武者でも!」


 落ち武者の何にそんなに惹き付けられてるんだ、この子は。好奇心が旺盛にもほどがある。大概にしてくれ。


「ええ……ダメ?」

「ダメ。危なすぎる」


 今日のでわかった。準備もなく行くところじゃない。霊媒師でも護衛に連れて行かないと不安でしょうがない。


「でもさ」


 俺の手をきゅっと握って、凛が少し照れたように微笑んだ。


「さっきの翔くん、すっごくかっこよかったよ?」


その大きな瞳に見つめられると何も言えなくなってしまって、ぐっと息が詰まった。ちょっと頬を染めて微笑みかけた上で、そういう事を言うのはずるい。胸が張り裂けそうなほど苦しくて、彼女を抱き締めたくなってしまった。

 そして──


「……守ってくれて、ありがと」


 凛はそう言って、俺のほっぺたにちゅっとキスをした。

 くそ。やっぱり凛はずるい。俺が喜ぶことを全部知り尽くしていて、こうして簡単に喜ばされてしまうのだ。

 自分が如何に骨抜きにされているのかがよくわかってしまう。


「またああいう翔くんも、見てみたいな?」


 その上でこうしてお願いされたら、また俺は意気揚々と墓所だとかに乗り込んでしまうのだろう。そして、また今回みたいに怖い目に遭って、死ぬほど後悔するのだ。わかっている。わかっているけれど、凛にあんなワクワクした目をされたら、次も断れる自信がなかった。


「そういえばさ、高校卒業したら車の免許取るって言ってたよね?」


 楽しみだね、とお嬢様はにっこりと含みのある笑みをお見せになられた。要するに、車があれば色んな心霊スポットに行けるね、とでも言いたいのだろう。

 えっと……免許はともかく、霊媒師の資格はどこで取れるんだっけ。ユーキャン? そんな事を考えながらも、諦めたように溜め息を吐いて、「わかったよ」と応えてしまう自分がいた。


「どこにでも行ってやるけど……また笑い出したらすぐに抱っこして逃げるからな」

「うん、そのままどこにでも連れ去っちゃってくれていいよ?」


 悪戯げに微笑んで、俺の顔を覗き込む。


「そういう意味じゃないっての……」

「私は、そういう意味で言ってるけどね♪」


 凛はそう言って、俺の腕を抱え込んで満面の笑みを見せた。それを見て、深い深い溜め息を吐くのだった。

 俺は凛のこの笑顔に死ぬほど弱くて、彼女がこうやって笑っていてくれるのなら、どんな無茶だって叶えてやりたくなってしまうのだ。もう、それは運命さだめのようなものだった。

 だから、もうちょっとだけ腕力を鍛えておこう。それと同時に、除霊効果のありそうな強力な御札も買っておいた方が良さそうだ。

 日本の夏の風物詩は命がけだなぁ、と少し不満に思いながらも、ピンクベージュの髪を揺らして笑う君を見ていられるのなら悪くないか、と思うのだった。


(了)

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