5章 第6話

 翌朝、決行の朝だ。

 当たり前だが、親には学校を休んで東京に行くなんて事は伝えていない。学校に行くでいるので、いつも通りの時間に家を出るつもりだ。夜は純哉と遊ぶから遅くなるかもと伝えてあるし、純哉にもそこのアリバイ作りには協力してもらっている。映画撮影のバイトで遅くなっても特に何も言われなかったので、大丈夫だとは思うが、念の為だ。

 平日の昼間から制服で歩いていて補導されないかが心配だが、とりあえず新幹線にさえ乗ってしまえばこちらの勝ちだろう。万が一補導されそうになったら全力で逃げる。その時の為にも、鞄の中もできるだけ軽くしてあるし、生徒手帳も抜いてある。

 幸い、往復の新幹線を指定席で買ってもおつりがくる臨時収入もあった。陽介さんには感謝すべきだろう。残りの使い道はどうしようか⋯⋯これ終わったらみんなで焼肉にでも行こうかな。こういうパーッとした頭の悪い使い方が良い。


「ねえ、翔ー!」


 そんな事を考えていると、階下の母から呼ばれた。


「なにー?」


 やばい、もしかしてバレたか? と不安になりつつも、出来るだけ平静を装いつつ、返す。


「凛ちゃん、迎えに来てるわよー? 上がってもらう?」


 なんだって?

 予想外の事態に、思わず胸が高鳴る。まさか、凛からコンタクトを取ってくると思わなかった。これまで何の連絡もなかったし、スマホを改めて確認しても、メッセージはない。しかも、朝こうして凛がわざわざ俺の家まで来た事なんてなかった。学校に行くには、凛の家から俺の家までは遠回りなのだ。


「あ、ああ。もう出るつもりだったから外で待っててもらって」


 ちょっと声が上ずりそうになったが、平静を装って返す。何が目的だろうか。色々考えるが、思い当たる節がない。

 緊張しつつ、コートの袖に腕を通した。


 ◇◇◇


「⋯⋯おはよ」


 玄関を出ると、困ったように笑っている凛がいた。「おはよ」と返しつつ、門扉から出て、凛と向き合う。やっぱりちょっと気まずい。


「じゃあ、いくか」

「うん」


 そう言って、二人で歩きだす。

 凛は何も話さなかった。いつもみたいに腕を絡めてくる事も、手を繋いでくる事もしない。むしろ、いつもより少し間隔を空けて、歩いている。

 うーん⋯⋯今日はこのまま学校に行くわけにはいかないんだけどな⋯⋯なんて言おうか。


「あの」


 言い訳を考えながら歩いていると、凛が不意に言葉を発した。


「今日、東京行くんだよ、ね⋯⋯?」


 おずおずと、少し怯えたような表情で訊いてくる。

 そこには、強気なRINの姿ではなく、付き合い始めた当初のような弱々しい凛がいて、見ているだけで切なくなる。


「愛梨に聞いて、さ。駅まで見送ろうかと思って」

「⋯⋯そっか」


 愛梨の奴、余計な気を回しやがって。

 ちょっと心の中で毒づくが、同時に感謝もした。凛に見送ってもらったなら、必ず帰ってこなければならないという気持ちをより強く持てる気がしたからだ。きっと、これも愛梨の狙いだろう。全く、女ってやつが、どうしてこうも人の気持ちの裏を察するのが上手いんだろうか。愛梨の歴代彼氏はきっとこの鋭さに耐えられなかったんだろうな、と思ってしまう。最も、こんな事言おうものなら、頭をバットでかち割られてしまうのだけれど。


 道中、俺達は互いに何も話さなかった。いや、何も話せなかった。

 本当は話したい事がたくさんあったはずだ。俺だって、あの後の撮影の話を聞きたい。でも、今は聞けない。俺が全てを終わらせるまで、聞いてはいけない。凛が何も言わないのは、きっと彼女もそう思っているからだ。

 商店街までくると、駅から来る生徒とは逆方向に歩いていく事になる。怪訝そうに見られるが、今は他人の目も気にしてられない。

 改札横の切符売り場で長野駅分までの金額をICカードにチャージをしてから、改札の前で、不安げな表情をしている凛と向き合う。


「じゃあ⋯⋯行ってくる」

「うん。学校には、途中で具合悪くなったから帰ったって言っておくからさ」

「助かるよ」

「気が利くでしょ」


 そう言ってあっけらかんとした笑みを作ろうとするが、上手くいかず、泣きそうな顔になっていた。

 抱き締めてやりたいけど、今の俺達の関係ではそうしてやれなくて。少なくとも俺がここに帰ってくるまではそれができなくて、彼女を抱き締めようとする腕を何とか制御する。


「あのさ」

「ん?」

「凛、今日の夕飯何食べるの?」

「え? まだ献立考えてないけど⋯⋯」

「じゃあ、俺の分も作っておいて。食べに行くから」


 凛を少しでも元気付けたい一心で、そう伝えると、彼女は驚いたように顔を上げて、俺の顔をまじまじと見ていた。そしてまた瞳に涙を浮かべている。

 彼女はそれを零さないように耐えて、優しく微笑んでくれた。


「⋯⋯うん。翔くんの好きなもの作って、待ってる」


 この笑顔を見れたなら⋯⋯絶対に大丈夫。

 俺はそう自分に言い聞かせてから彼女に頷いてみせて、改札をくぐった。

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