5章 第5話

「くっそ⋯⋯あのアマ、やっぱり気に入らねえ」


 撮影現場で起こった事を全て話し終えると、愛梨は吐き捨てるように言った。


「ああもう腹が立つ! あんたの元カノ、最低な女だぞ! それわかってんのか!?」

「玲華自身、自分でも『最低な元カノ』って言ってたよ⋯⋯」

「そうじゃねえ! そこ含めて最低なんだよ!」


 愛梨はイライラしたようにタバコを踏みにじった。ちなみに3本目だ。

 もう6限目の授業も始まってしまっていて、結局俺は今日午後の授業全てサボる事になってしまっている。まあ、次は家庭科の授業だからサボっても大して問題はない。


「どういう事なんだ、愛梨? 俺からしてみれば、REIKAちゃんは潔く負けを認めただけって思うんだが?」


 純哉が愛梨に訊く。

 確かに、一般的に見れば、純哉の認識だ。あの場にいる誰もがそう思うだろう。ただ、どうやら愛梨はそうではないらしい。


「そうだな、潔く負けを認めたな。でも、はっきり言ってそれ爆弾抱えたまま相手に突っ込んで自決したようなもんなんだよ。しかもそれを美談にしようとしてる節さえある。くっそ、ほんとにイケ好かねえ女だな、あいつ⋯⋯!」


 愛梨はむしゃくしゃした様子で近くにあった穴の空いたバケツを蹴った。


「どういう事なんだよ、俺にはさっぱりわかんねーぞ、愛梨」


 純哉の問いには答えず、愛梨はギロッと俺を睨んだ。


「相沢がどこまで気付いてんのかは知らねー。そんで、あたしが全部それを教えてやんのも簡単だ。でも⋯⋯それはフェアじゃねえ」


 そう言ったかと思うと、頭を掻いて大きな溜め息を吐いた。

 愛梨は、きっと俺には見えない玲華の狙いが見えたのだろうか。それはおそらく、凛が見せた悔しそうな表情や、自信を無くしてしまった理由にも繋がっている。


「あんたが自分の意思で決断して、自分の本音をREIKAに伝えに行くんだろ」

「ああ、そのつもりだ」

「なら、あたしは言わない。これを言うとあんたはあたしの考えに沿った結論を出す事になる。それは、きっと凛も求めてない」


 どかっと壊れかけたベンチに座って、愛梨はタバコに火をつけた。

 結局、こいつはとことんなまでに凛の味方なのだ。俺ではなく、凛。彼女の為になる事を想って、我慢してくれている。本当は全部ぶちまけたいはずなのだが、我慢してくれているのだ。

 良い奴だな、と思う。


「ええ⋯⋯俺だけわかんないのかよ」

「あんたには明日こっそり教えてやるよ。凛がいないとこでな」

「お、まじかよ! やったぜ!」


 純哉と愛梨がそんな会話を交わしている。

 純哉だけがこの話を聞いても、お気楽そうだった。実際、純哉はきっと、一番この問題からは遠い。愛梨ほど凛に強く肩入れしているわけでもないし、感情移入しているわけでもない。多分、対岸の火事にしか見えていないのだ。

 そして、その反応は間違っていない。俺だって、純哉の立場なら、他人事で「なんかすげー事起こってんだな」くらいにしか思わないだろう。むしろ、羨ましくも思うかもしれない。それを責めるつもりもない。


「ただ、あんた一人で行かせるの不安なんだよな」


 愛梨がじとっとした目で俺を見る。


「なんでだよ?」

「あの女の口車に乗せられて絆されて、そのままラブホにでも連れ込まれそうなんだよ」


 全くもって信用されていなかった。

 いや、信用されないのもわからないではないけれど。


「ねーよ」

「ほんとかぁ? お涙頂戴で『ショー、捨てないで?』とか言われて、それで『やっぱり俺は玲華が好きだ!』とか言って抱き締めて、そのままラブホ直行とか有り得そうなんだよな」

「なにー!? それは許さん!」


 愛梨の言葉に純哉が反応してガタンと立ち上がる。


「あのな⋯⋯そんな事する為にわざわざ東京行くかよ」


 信頼がないにもほどがある。

 この二人には死んでも言えないが、もし絆されているなら、あの時に絆されていたはずだ。玲華に騙されて、部屋に連れ込まれた密室のあの時。

 ただ、あの時でさえ、そうはならなかった。確かに玲華に情が湧かなかったかと言えば嘘になるが、それでも俺は、そうなる事を望まなかったのだ。


「安心してくれ。それはねーよ。今更、そんな事にはならない」

「どうだか。男ってやつは元カノ大好きだからねー?」


 呆れたように俺を見る。愛梨はどうやら元カノというものに対して、何か嫌な事があったのだろう。


「まあ、もしそうなったら正直に言えよ? お前のサオ、二度と使い物にならないくらい金属バットで殴ってやるから」


 まるで人を三十人くらい殺めていそうな冷酷な瞳を覗かせつつ、とんでもなく恐ろしい事を仰られた。

 この瞳は本気でやりそうだな⋯⋯想像するだけでサオどころかタマまで縮み上がってしまいそうだ。

 純哉も想像してしまったのだろう。自分の股間を覆い隠してしまった。


「わかってるよ。そうはならないから、安心して待っててくれ。もし本当にそうなったら、そうしてくれていいから」


 俺の言葉に愛梨は「楽しみにしてるよ」と恐い笑みを見せた。何をどう楽しみにしているかは聞けなかった。


「とりあえず、明日一日だけだ」


 愛梨がタバコの煙を大きく吐いて、俺を睨んだ。

 タバコの先が、じりじりと灰へと化していっていた。指でタバコを弾くと、その灰がぽとりと地面に落ちる。


「明日一日だけは、あたしが凛を支えてやる。それ以降は、あんたの役目だ。もしそれができないなら、あんたは男としての機能を失うって思いな」

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