4章 第19話
凛は真剣な眼差しで、じっと俺を見据えていた。
「だから、ちゃんと教えて欲しい。翔くんの事」
俺達はあの時も似たような会話を交わした。付き合った初日の夜だ。
『こんな俺でいいのか。凛が憧れてた俺は⋯⋯もうどこにもいないんだぞ』
彼女はそれに対して、
『私も同じだから⋯⋯二人で一緒に乗り越えよ?』
と言ってくれた。
俺達は、互いのかっこ悪さや醜ささえも受け入れ合っていた。だから、彼女が俺の事をかっこ悪いとは思わないのだろうとも思う。
それでも、俺は⋯⋯彼女を支えたいと言った俺の口から、これは言いたくなかった。
しかし、凛は立ち止まったまま動かない。話してくれるまでここから動かない──そんな彼女の意思を感じた。
これは諦めるしかないと思い、大きく溜息を吐いた。
「凛と一緒だよ」
「私と⋯⋯一緒?」
「そう、嫌だったんだ。凛が陽介さんに恋してるように見るのも、陽介さんに触れられたりするの、すごく嫌で⋯⋯」
「ごめん⋯⋯」
ああ、もう。やっぱり謝らせてしまった。そうじゃない。そうやって謝らせてしまうから言いたくなかったのに。
「いや、凛が悪いわけじゃない。それに、陽介さんの事だって好きだよ。二人とも仕事だっていうのもわかってる。きっと画面越しとかでカメラ通して編集された映像を見てたらそうでもないんだろうけど⋯⋯それでも、間近でリアルに見るのは、嫌だった」
「うん⋯⋯」
彼女はこっちをちゃんと見て、頷きながら聴いてくれている。
「あとは⋯⋯疎外感がすごかった。俺だけあそこでは何者でもないから」
話していて、バカバカしくなるような、子供っぽい理由。
凛と玲華があれだけのやり取りをしていたのに、やっぱり俺だけ矮小で、彼女達に並ぶに値しないように思えてならない。
「役者でもなくて、スタッフではあるけど何か明確な役割があるわけじゃなくて⋯⋯ただの一般人だから。会話にもついていけないし、きっといろんなスタッフさんからはこいつなんなのって思われてただろうし。俺だけみんなが何のこと話してるのかわからないし、口も挟めないし⋯⋯ただ話聞いてるだけで、俺なんていなくていいじゃんって⋯⋯」
話してる最中、凛は俺の手を握ってきた。
「そんな事ないでしょ?」
「え?」
「翔くん、すごく頑張ってたよ。犬飼監督の話とか、他の人との話でわからないところあっても次の日には会話についていけるようにしてた。それだけじゃなくて、色んな人の仕事手伝ってたよね? 誰もやりたがらないような事、自分からしてた」
「凛⋯⋯」
「翔くんのそういうところ、色んな人が見てたよ。私だって見てたし、山梨さんだって、玲華だって、驚いてた。スタッフさんだって、あの犬飼監督だって、RINちゃんの友達の子物知りだね、若いのに気が利くね、機転利くねって⋯⋯言ってくれてた」
俺の、無駄だと思えてた頑張りが、そんな風に凛に伝わっていただなんて、夢にも思わなかった。
でも、それは本意じゃなくて。ただ、何もする事がなかったから、何も役割がなかったから、他にできる事がなかったからやっていた事に過ぎないんだ。ただ、嫉妬心や疎外感で苦しくて、その感情を誤魔化す為に始めた事だった。そんなに大それたものではない。
「私さ、嬉しかったんだ。みんなが翔くんの事褒めてくれてて、やっぱり翔くんって凄いなって、誇らしかった。でも、だから⋯⋯余計に、翔くんがそんなに苦しんでたなんて、気付けなかった」
凛は肩を落とした、溜め息を吐いた。
「考えてみれば、当たり前だよね⋯⋯。ごめん、やっぱり私、配慮不足だった」
額に手を当て、自らの髪をくしゃっと掴んだ。その表情には、やっぱり悔しさと無念さがあって、俺が我慢していたばっかりに凛にそんな思いをさせてしまっているのが、ただただつらい。
「凛はいきなり代役任されたんだからさ、そんな余裕なくて当たり前だろ」
「それでも! それでも、気付きたかった⋯⋯ひとりで先に帰った時とか、元気ないなって感じた時とかに一瞬そうじゃないかって思ったのに⋯⋯結局私は玲華の言った通り、自分の事で手一杯で、そこまで気を回せなかった」
ごめん、と凛はうなだれた。
「さっきも言ったけど、凛には気付かれたくなかったんだよ。なんかかっこ悪いじゃん。彼女が頑張ってるのにしょげて寂しがってるなんてさ」
「そんな事ない。絶対にそんな事ないから。ていうかさ、あんな環境にいきなり入れられたら、誰だってそうなっちゃうって。それなのに⋯⋯翔くんは役割を自分で作って、私の事を応援する為に毎日来てくれてた」
じっとこちらを見上げて、泣きそうになりながら、彼女は言った。
「ありがとう」
心を込めて、そう言ってくれた。
彼女のこの言葉は、涙が出そうになるくらい、嬉しかった。
「私がちゃんと今日まで心折れないで、撮影に参加できたのって、翔くんのお陰だから。翔くんに見られたくなかったシーンもたくさんあっただけど⋯⋯それでも、翔くんがこうして毎日見てくれてるから頑張らなきゃって奮い立たせて、だから頑張れてたんだよ、私」
俺は、凛の支えになれていたのか。当初参加した目標を達成できたという事なのだろうか。凛の支えになれていた事は、正直嬉しかった。
ただ、それは全部ハッピーエンドでこそ嬉しいことで。
今日の現状を鑑みる限り、素直に喜べなかった。
「そうやって頑張って毎日行った結果がこれだろ⋯⋯俺なんてやっぱりいないほうがよかったんだよ」
結局、この撮影や台本をぶち壊してしまった原因の半分は俺にある。色んな人に迷惑をかける結果になってしまった。
玲華だって⋯⋯ボロボロになってしまっている。凛だって、傷付いている。俺なんていない方がよかった。
凛は顔を伏せて、小さく溜め息を吐いた。
「玲華はさ、多分"優菜"のことが好きで、嫌いだったんだと思う」
凛がぽつりと言った。
「好きで嫌い、か⋯⋯」
「うん。ひたむきに自分の気持ちに素直になれる反面、その真っすぐさがあるが故に卑怯なこともできる⋯⋯それが自分の中にもあって、その卑怯さを玲華は許せなかったんじゃないかな」
聞き覚えのある話だった。
「確か、原作の"優菜"に対してもそんな事言ってたな。ほんとは"達也"は"沙織"が好きだけど、情けで"優菜"を選んでるって」
「そっか。玲華はそう思ってたんだね」
「凛もそう思った?」
凛は首を小さく横に振った。
「私はそこまでは思わなかったけどさ⋯⋯でも、玲華がそう言ってたのなら、この結末は、もしかしたら玲華が望んだ『記憶の片隅に』の終わり方なのかもね」
自分が演じる以上、脚本も原作も捻じ曲げて、自分で完成させる。それは何んとも玲華らしいと言えば玲華らしいが、それであれだけ自分も傷つく必要があるのだろうか。
「でもさ、"優菜"の持ってる卑怯さなんて、ほんとは誰でも持ってると思うんだ」
「そうなのか」
「うん。もちろん、私の中にもあるよ?」
「え、どこらへんが?」
「それは内緒」
言ってから、凛は眉根を寄せて笑った。
どうやら教えてくれる気配はなさそうだった。
「でも、玲華は強いから、自分の弱さを許せなかったんだろうな」
強いからこそ、弱い自分を許せない。それは彼女のプライドの高さでもあるのだろうか。
「そういうところ見ると、やっぱり勝てないなぁって、思っちゃう⋯⋯」
はあ、と白い息を吐いた。
どことなく光のない山を眺めて、暗い夜道を二人で歩いた。
「私が玲華に勝ってるものって⋯⋯結局何だったんだろうな」
彼女はそう、独り言のように言った。
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