4章 第14話

「原作ではどうなの? 俺さらっとしか読んでないんだよね」


 少女漫画は得意じゃないんだ、と陽介さん。

 確かに、あまり男で少女漫画を読む人は少ない。俺も玲華の部屋にあったから読んだだけだし。まあ、こんな事は言えないけども。


「原作ではね、"優菜"はずっと昔から"達也"に憧れてる。でも、昔からずっと一緒にいるから、その関係が壊れるのが怖くて踏み出せない⋯⋯そんな関係。だから、急に現れた"沙織"のほうばっかり見ちゃう"達也"を見て焦って、必死にこっちを見てもらうように頑張るんだよ」

「なるほどねえ⋯⋯それで、こっちを見てもらえた、というわけだ」


 陽介は玲華の説明にうんうんと頷いている。


「そう。その必死さが女子中高生に共感されて、あの作品は人気が出たってわけ。でも、やっぱり不自然だし、卑怯なんだよ、"優菜"は」

「卑怯?」


 思わず訊いてしまった。俺が見ている限り、卑怯さは感じなかったからだ。


「そう。"優菜"は"達也"のことをよく知ってるから、こうすれば"達也"に断られない、気を惹けるっていう方法も知ってるの。"達也"の優しさに付け込んだ戦い方。"達也"は優しいから、結局そこで"優菜"を見捨てられない⋯⋯それで、最後に"達也"を勝ち取る」

「うへえ。結構ドロドロしてるんだな」


 陽介さんは苦笑いしている。


「中学生の時には気付かなかったんだけど、ちょっと大人になってから読み返してみるとね、あの漫画は細かいところで女子の駆け引きが結構使われてるんだよ。作者は、前向きに恋に頑張る女の子の裏に、好きな男への女の執念みたいなものを本当は描きたかったのかなって、今は思ってる」


 それは、原作に深い愛情をもって、何度も愛読しているからこそ得る感想なのだろうな、と思った。

 流し読みしていた程度の俺は、そんな事を考えた事がない。


「でも、それ玲華の感想だろ」

「うん。でも、そう考えないと『記憶の片隅に』っていうタイトルに繋がらないんだよね」

「というと?」

「さっきヨースケも言ってたけど、過去の描写が少ないのは漫画も同じだよ。なのに、記憶っていうものを全面に押し出すタイトルって変じゃない?」

「ああ、まあ、言われてみれば。映画も3角関係がメインだしな」


 ストーリーを思い返すと、確かに"記憶"に繋がるエピソードは少ない。たまに、『昔こんなのあったよね』という会話がある程度だ。


「これはね、あくまでも私の推論なんだけど⋯⋯」


 少し、玲華は言うのを躊躇っているように感じる。


「"達也"が抱いた"沙織"への気持ちを、"優菜"が記憶の片隅に追いやるっていう意味なんじゃないかなって。"達也"の中から"沙織"を消し去るの」

「⋯⋯おいおい。清らかな青春ラブストーリーがすごい泥沼なサスペンスになってるじゃないか」


 陽介さんがヒェッと震えている。

 あくまでも、それは玲華の推測。ただ、どこかつじつまが合うように感じる。それは、玲華が原作を何度も読み返したからこそ、思い至った推論なのだろう。裏を返せば、そういう風な見方もできる作品ということだ。


「⋯⋯そう考えると、きっと私は"優菜"の適役なんだよね」


 少しだけ、だれにも聞こえない独り言のように、玲華はつぶやいた。

 ふとそれに気付いて俺が彼女を見ると、彼女は力なく笑って、首をかしげていた。

 玲華が話し終えたと同時に、ちょうどバスの中から凛が出てきた。

 外に出ると、大きく伸びをする。伸びしたついてであくびをしそうになった時、こちらの視線に気づいて、慌ててごまかしていた。そういうところは凛のままで、可愛いなと思ってしまうのだった。


「寝れた?」


 少し悪戯っぽく訊いてみた。


「少し」


 照れくさそうに笑って応える。


「はあ。緊張するなぁ⋯⋯って、玲華は大丈夫だよね」

「まあね♪ 今回もNGなしでいくから、よろしく頼むよ、リンくん」


 なぜか芝居がかった話し方をする玲華。


「⋯⋯セリフ多いから飛ばさないようにしないと」

「さっき監督が一発撮りしたいって言ってたよ」


 陽介さんが楽しそうに凛にもプレッシャーを与えている。この人、後半に自分のNG増えてきてるから、若手二人にもミスらせて自分のミスを濁そうとしてるんじゃないか。

 凛は額に手を当てて、大きく溜息を吐いた。


「まあ、大丈夫だって。今回玲華しかいないから、最悪何回ミスっても気にしなくていいだろ」

「あ、私、3テイクまでしかやらないから」


 玲華はチッチッチと指を口元で振った。

 彼女は長いセリフでも完璧に覚えられたのだろう。あるいは、もともと作品が好きだからなのかもしれないが、撮影への気負いや不安は一切なさそうだ。


「まあ、私もここは必死に練習したけどさ。この映画の見せ場だし」


 困ったように笑う凛。

 そろそろ休憩時間も終わりに近づいてきて、スタッフが準備のため動き始めた。


「あ、リン」

「なあに?」


 玲華が神妙な顔つきで、凛を見つめる。


「⋯⋯どうしたの?」


 玲華の雰囲気が変わった事に、凛も気づいたようだ。

 かと思うと、


「この勝負、負けないからね♪」


 いつものくだけた口調でそう言った。

 勝負とは、さっき言ってたガチンコバトルとやらのことを言っているのだろう。


「いやいや、私の負け、台本で決まってるってば」


 凛は呆れたように笑って返す。


「まあそう言わずにお手柔らかに頼むよ、リン」

「はーい、NG出しても怒らないでねー」


 そんな友達同士みたいなやり取りをして、撮影場所に向かった。

 ふざけた口調とは裏腹に、玲華は大きく息を吐いていた。

 まるでさっきのくだけた口調が演技だったかのように、表情が真剣だった。やはり、長いセリフで長いシーンとなると、玲華でも緊張しているのだろうか?

 それはまるで、何かを覚悟しているかのような、本当に戦いに挑むような表情だった。

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