4章 第15話

 このシーンでは、初めて"沙織”は"優菜”は直接対峙する。

 今まで”達也”を間に介して3人で話すことはあっても、直接2人だけで話すのは初めてだ。

 この言い合いで、"沙織”は"優菜”の”達也”への想いの大きさを知って、引き下がってしまう。そして、自分が如何に”達也”を知らないかを思い知るのだ。確かに、言われてみれば、"優菜”はズルいのかもしれない。

 2人は台本通り、さんざん詰り合っていた。自分こそが、"達也"にふさわしいのだと、相手を否定している。


「これ以上達也の周りをうろちょろしないでくれる? ドロボウ猫みたいに」

「は? 私がドロボウ猫? だったらあなたはなに? 幼馴染だとか言って、ずっと付きまとってる背後霊じゃない?」

「背後霊かぁ。背後霊だったらずっと達也と居れるし、それはそれで幸せかも」

「そうかな? ずっと妬んでるだけでしょ? あ、それは今もか」

「妬んでる? 勘違いしないでよ。達也に変なムシがつかないようにしてるだけだから」

「私からすれば、あなたがずっとついている変なムシだと思うけど」

「何も知らないくせに⋯⋯勝手な事言わないでよ!」


 2人は全く引かない。こんな言い合いを、ずっと続けるシーンだ。

 見ている方の胃が痛くなるような言い合いが、何分か続いた。

 そんな時、


「ていうかさ、あなた、本当にの事好きなの?」


 "優菜”がこう言った時、周囲の空気が一瞬変わった。

 "沙織”⋯⋯いや、凛の表情も一瞬迷いが生じる。玲華が今言ったこのセリフは、台本に書いてないのだ。"優菜”が"達也"の事を"あの人"と呼ぶ事はない。

 しかし、玲華の視線は凛を射抜くように睨んでいる。


「ほんとに好きって言える? ほんとにあの人の事見てるの? ほんとは、ただ自分が欲しかったものを手に入れたいだけだったんじゃない? 私から奪いたかっただけなんじゃない? それって⋯⋯ただの所有欲だって知ってる?」


 続け様に、また玲華はセリフにない事を言った。

 ここで察した。これは故意だ。玲華は故意で台本にない台詞を言っているのだ。

 スタッフ達が揃って監督のほうに目を見るが、監督はじっと2人の様子を見ている。


「私はずっと見てた。傷ついているところも、挫折してるところも、後悔で泣きそうになってるところも、ずっとずっと見てきた。あなたの知らないあの人をたくさん知ってる。早く前みたいに前向きになってほしかった。だから、ずっと応援してた。背中を押した。私にできることならなんでもやった。それを、いきなりしゃしゃってきて付きまとって自分のモノ面って⋯⋯バカにすんのも大概にしてよ」


 困惑している凛をよそに、玲華は立て続けに責め立てる。


「なんとか言いなさいよ。それとも、何も言い返せない? ただの所有欲だから?」


 挑発的な玲華の言葉に、凛もキッと玲華を睨み付けた。


「私だって⋯⋯私だって好きだから。ちゃんとの事、好きだから。所有欲でもなんでもない。あなたよりも⋯⋯ずっとあの人の事、好きだよ。勝手な事言わないでよ!」


 遂に、凛も玲華に返した。


「付きまとってるのはあなたじゃない⋯⋯! まるで呪縛霊みたいにずっと縛り付けてさ、幸せになろうとしてるのに邪魔ばっかりしてきて。自分から手放したくせに、今更何言ってるの? 自分のモノ面してるのはそっちじゃないの? どっちが所有欲なの? ふざけないでよ!!」


 これは、もう"沙織”としての声じゃない。

 ただの凛の声だった。そして、玲華の声も、"優菜”の声じゃない。

 俺は思わず陽介さんを見るが、彼もちらっと俺に目配せしただけで、また2人に目線を戻した。

 監督も助監督も動く様子はなく、カメラも回っている。


(誰も⋯⋯誰も止めないのかよ)


 こんなの、もう演技でもなんでもない。ただお互い傷つけ合ってるだけじゃないか。公衆の面前で傷つけ合っているだけだ。どうしてこんなものをカメラに収めようって言うんだよ。


「私よりずっと好き? ほんとにそう言える?」


 玲華も凛を睨みつけた。憎しみを込めた眼。それはまるで、再会した時のような眼だった。

 そして、玲華は⋯⋯感情を解き放つように怒鳴った。


「ほんとに好きなら⋯⋯ほんとに好きなら、あの人がつらい時ちゃんと見ろって言ってんの! 自分のことでイッパイイッパイになりやがって、そんな事だから隙だらけなんだろうが!!」


 感情を解き放つと同時に、玲華の口が一気に悪くなった。監督に対しての不満を叫んだ時のように、彼女は罵った。


「どうして1人で不安がってるのに気付いてやれないんだよ! どうして見てないんだよ! 立場的に一番つらいの誰かわかるだろ! 私が気付いてる事になんであんたが気付かないんだよ!」


 玲華の言葉に、凛が絶句する。

 ちらっと視線だけこっちを見ると、凛の表情がみるみるうちに絶望感で染まっていった。


「あなたが気付かなきゃいけないのに⋯⋯私が気付いちゃうから⋯⋯!」


 凛はわなわなと震えている。唇が震えて、何か言おうと開くも、何も言えないで、言葉にならないまま、また口を閉じた。


「ほっとけないじゃん⋯⋯好きな人がさ、つらそうにしてたら、気になっちゃうじゃん⋯⋯声かけたくなっちゃうじゃんか⋯⋯」

「⋯⋯ごめん」


 凛は絞り出すように、声に出した。

 後悔の色が広がり、凛の瞳から涙がこぼれ落ちた。


「謝んな、バカ⋯⋯!」


 玲華は震える自分の肩を抱きしめるように抱えて、座り込んだ。


「もう自分に気持ちなんてないってわかってるけどさ⋯⋯ちょっかい出しちゃうじゃんか⋯⋯つらそうな顔、見たくないから⋯⋯」

「ごめん⋯⋯」


 もう、凛は誰に謝っているのかもわかっていないように。ただ、誰かに許しを請いたくて、謝っているようだった。

 座り込んでいる玲華に近づき、彼女の前で立ち尽くす。


「ごめん⋯⋯私⋯⋯」


 凛は玲華に手を指し伸ばそうとするが、玲華は手でそれを制した。


「──って、言いたかっただけなんだよ。ほんとは」


 急に玲華の声が冷静なものに戻る。

 まるで、さっき罵っていたのが嘘のように、泣きそうになりながら叫んでいたのが嘘のように、普通の話し方。

 膝についた埃を叩きながら、玲華は立ち上がって、自嘲の笑みを浮かべていた。

 スタッフも周囲の人と顔を見合わせる。

 俺も陽介さんと視線を合わせた。

 犬飼監督だけが玲華を迷わず見据えていた。

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