4章 第10話 

 あの凛との電話は、俺の行動に少し変化をもたらした。

 全く役に立たないながらも、犬飼監督の過去作品を寝落ちするまで見たり、撮影スタッフ業務について調べたりし始めたのだ。

 好みでない作品を見るのは苦行でしかなかったし、インターネットを介した映画業界での仕事内容なんてどれが正しいのかなんていまいちわからないが、無いよりはましだと思って知識を詰め込んだ。

 あとは犬飼監督の好みだとか、そういった類のどうでも良い情報まで入れている。特に役立ったのは、犬飼監督の著書だ。

 犬飼監督自身による、映画制作の過程を日記風に書いている本を密林サイトで発見したので速達で購入して読んだのだが、これが結構役に立った。犬飼監督と運悪く休憩所で鉢合わせてしまった時に、話の繋ぎでこの本を読んだ事を話したら、とても喜んでくれたのだ。

 本を読んで、俺がいまいち理解できなかった箇所について質問すると、快く話してくれた。説明に熱中するあまり、助監督の佐藤さんから『監督、もう始まりますよ』と注意される始末。あの時監督が見せた恥ずかしそうな笑みは、まるで悪戯がバレた子供のように幼かった。

 著書を読み、そして直に犬飼監督と話す事でわかった事は、彼は本当に映画の事が好きで、映画の為に人生を費やしている人だという事だ。オーディションの際に凛や玲華に対してした質問はやはり看過できないが、それでもこの人は映画の為を想って、彼なりに必要な質問だったのだろう、と今なら理解できる。

 これを切っ掛けに犬飼監督から名前を覚えられて、よく話し掛けられるようになってしまったので、これはこれで少し気が重い。だが、監督相手とも話せるようになったのは、大きかった。


 それ以外では、スタッフさんとのやり取りでわからなかった話題について調べて、翌日には話についていけるようにもしていた。これはもちろん、業務の事だけでなく、音楽や小説、俳優など日常会話についても含まれている。

 話せる事がない、会話ができないのであれば、話せるようになるしかない。そして、自分で調べなくても"話したがり"の人に興味深そうに訊いてみるだけで、ペラペラ話してくれる。そういった会話から得た情報を忘れないようにこっそりスマホにメモする事も忘れない。

 あとは、現場で手伝えそうな仕事は積極的に手伝うようにしていた。と言ってもほとんど雑用だし、最初は『山梨さんのスタッフを勝手に使うわけにはいかない』と断られる事が多かった。

 そんな中、ゴミ捨てや掃除、あとは飲み物を渡したり準備したり、監督の好きなお菓子(カントリーマームのバニラ味が好きらしい)を自腹で買って、それとなく休憩所に並べておいたり⋯⋯誰の許可も要らなそうな事を細々とやっていた。

 はっきり言って、どうして自分はこんな事をやっているのだろう、と疑問に思う事は多かった。形だけのバイトの為に、何だって寝る時間を惜しんでまでこんな事をしているのか、甚だ疑問だ。

 別に映画が好きなわけでも、撮影に興味があるわけでもない。俳優が好きなわけでも、映画撮影バイトを志願したわけでも、ましてや犬飼監督が特別好きな映画監督だったわけでもなかった。それでも、俺は⋯⋯自分の孤独感や疎外感を打ち消す為に、こういった雑用を細々とやり続けていた。

 これらの行いは、自分の為に行っているのか、凛の為に行っているのか、見て欲しいと言った玲華の為に行っているのか、一応は雇い主である陽介さんの為に行っているのか、もう自分でもわからなかった。

 ただ、凛を支えると約束をした。彼女を支えると自分に誓った。だから、俺がここにいて、凛の僅かな休憩時間を共に過ごす。それで彼女の背中を支えてやれるなら、それだけの役目でもいい。その僅かな時間以外が苦痛なのであれば、何か気を紛らわせる事を探すしかない。

 陽介さんと凛の絡みを見るのを避ける為というのもあっただろう。でも、ただ突っ立って陰鬱な気持ちになって逃げだしてしまうよりは、きっとマシだ。

 俺は選んだのだから。ここに来る事を、そして陽介さんのよくわからないスタッフをする事を、選んでしまったのだから。

 なら、そこから逃げ出すのはダメだ。

 例え、"沙織"が"達也"に恋をしていても、それを見るのが辛くても⋯⋯この前みたいに逃げ出すのは無しだ。嫌ならその時は見なければいい。

 何の立場も仕事もない俺は、こうして自分の心を守りつつ、この場に居て凛の背中を押してやる事しかできないのだから。


 そんな事を数日続けていると、「これ手伝ってくれない?」「ちょっとこれしておいて」等と少しずつ仕事を任されるようになった。もちろん、雑用や荷物運び、簡単な設営や撤去等だ。何も特別な事はない。俺でなくても出来る。でも、手すきの人間がいない時にさっと手伝ってくれる人間がいるのは、割と助かるらしかった。

 一応雇い主の山梨さんには、手伝える事ならなんでも手伝って良いという許可をもらっている。陽介さんに、俺が雑用を手伝いたいと言った時は「え、そうくるの?」と驚かれたが、快く承諾してくれた。他のスタッフにも、危険じゃない仕事なら手伝わせてやってほしいと頼んでくれたようだ。このあたりは有り難い。

 これは何となく感じた事なのだが⋯⋯陽介さんは、俺がどういう人間なのかを見ようとしているようにも感じた。この状況で、俺がどう動くのかを観察しているようにも思えるのだ。それが"達也"を演じる上で必要なのか、ただ個人的な興味かはわからないけれど。だからこそ、俺が雑用班を手伝いたいと言った時に「え、そうくるの?」とぽろっと出てしまったのではないか、と感じるのだ。

 それから、荷物運びや掃除、或いは機材の撤収・準備など⋯⋯と本当に簡単な雑用だったけども、少しずつやらせてもらえるようになったのは自分の中でも喜びだった。


 そういえば、こんな事もあった。

 急いで移動しなければならない時に、誰かが積み込む順番を間違えて機材車に機材を詰め込めなくなった、という事件が起きた。人手が足りず、助監督の佐藤さんが機材搬出で頭を抱えていたところ、機転を利かせてほんの少し機材を組み替えるだけで、問題を解決してみせた。

 その時は助監督から「君、天才なの!?」とえらく感謝されたものだ。俺からすればパズルの要領だったのだが、時間的に切迫していた場面だったので、かなり助かったようだった。

 あとは、犬飼監督の機嫌が良かった日、何故か過去作品の感想を求められるといった事もあった。著書も読んでいるのだから、映画も当然見ているのだろう、という推測のもと訊かれたらしい。2日か3日ごとに1本ずつくらいしか見れてないが、これまで映画も見ておいて本当によかったと思った。

 自分の好みだった作品と理由を監督に伝えると、彼は喜んで話を聞いてくれていた。意外な事に、好きじゃなかった作品と、その理由も訊かれた。

 監督からすると、利害関係もない、一般の高校生の生の感想を聞けるのが貴重らしい。かなり言葉を選んで顔色を伺いながら話したが、監督はマイナスな感想に対しても、「若い子はあのシーンをそう受け取るのか。なるほど、勉強になる」と素直に聞いてくれた。これはこれで俺にとっても貴重な経験となった。

 それを遠目で見ていた陽介さんは「よくあの鬼監督と普通に話せるな」と感心していた。ちなみに、普通に話してるわけではない。緊張で胃がねじ切れそうになりながら話している。


 でも、俺のやっている事なんて誰だってできる。凛や玲華、陽介さんみたいに、唯一その人にしかできない仕事ではない。

 それでも、『山梨さんとこの子』や『バイトくん』から『相沢くん』と名前を認識されるようになったのは嬉しかった。

 こうして仕事を片手間にやっていれば、撮影中に嫌な気持ちになる事は少なかった。肝心の撮影見学を疎かになっていたが、それでも暗い気持ちになるよりは少しはマシだった。

 俺は、自ら役割を作る事で、救われていたのだ。

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