3章 第24話 天使の寝顔⑥

 眠る凛に肩を貸してぼんやりと考え事をしていると、スマートフォンが震えた。

 凛を起こさないように、体を捻りつつ、手を繋いでいない方の手でスマートフォンを取り出した。

 ディスプレイを見ると、陽介さんからのLIMEだ。


『RINちゃんの様子はどう? 明日から撮影参加できそう?』


 凛の出来栄えを心配するものだそうだ。この人はこの人で、きっと良い人なんだろうなと思う。俺にもわざわざ声をかけてくれるし⋯⋯そもそも、この人の機転がなければ俺なんかが撮影に参加できなかった。陽介さんの狙いが何であれ、俺はこの誘いに乗るしか選択肢がなかったのだ。


『多分大丈夫だと思います。やれるだけの事はやってる、という感じです』


 そのまま利き手でない方の手でスワイプして返事をする。ちなみに、俺の右手は凛の左手でがっしりと繋がれている。左手だけでスマートフォンの返事を打つのは慣れてなくて少し困難だ。

 あくまでも素人目だが、俺は大丈夫なんじゃないかな、と思っていた。


『そうか、よかった』

『撮影のほうはどうですか?』


 陽介さんに訊いてみた。一応、スタッフとして参加する以上、状況だけでも知っておきたいと思ったからだ。


『順調だよ。REIKAちゃんの路線がはっきり決まった事もあって、予定よりもスケジュールの進みが早い。あの子、ほんとに天才だね。あれ以降NGなし』


 あれ以降とは、おそらく監督とバトってからの話だろう。


『これで演技初めてって言うんだから、俺の立場ないわ』


 立て続けにメッセージがきたかと思えば、スタンプも追加で送られてきた。陽介さんの興奮が少し伝わってきた気がした。


『明日は何時からくる?』


 そう⋯⋯明日から遂に俺も参加する。特に役割も仕事も与えられていない、謎のスタッフ業。


『多分、学校終わりで直でいっても4時半とかになります』

『了解! マネージャーに伝えておくよ』

『よろしくお願い致します』


 そう返すと、スタンプがまた送られてきた。

 なんだか俺のよくわからないスタッフ生活が始まってしまうんだな。一体何をさせられるやら。

 小さく溜め息を吐いて、肩で眠る姫君を眺めた。


 それからしばらく同じ姿勢のまま、彼女に肩を貸していた。眠った後も、彼女の手は俺の右手を握ったままだった。

 特にやることもなく、ぼんやると凛の香りと重みを感じていると、びくっと凛が震えた。


「⋯⋯あ、やばっ」


 そんなつぶやきと共に凛が目を覚まして、ばっと顔を起こした。

 無言で目が合う。


「おはよう」

「⋯⋯おは、よう」


 彼女は恥ずかしそうに、目を伏せる。


「⋯⋯見た?」

「見た」

「バッチリと?」

「バッチリと」


 さきほどの教室でのやる取りが、また繰り返された。


「はぁぁぁ⋯⋯さすがに1日で2回はないよね」


 手を繋いでいないほうの手で、額に手を当てて落ち込んでいる。


「寝てないんだろ」

「うん⋯⋯まあ、あんまり」


 さっきの演技を見ていればわかる。

 本来一朝一夕でやるべきでないことを一朝一夕でやってのけたのだ。きっと寝る時間も惜しんでこの部屋で練習していたに違いない。


「次は起こしてって言ったのに」

「あんな可愛い寝息を横で立てて寝られたら、起せるわけないだろ」


 言うと、彼女は頬を赤く染めた。


「寝顔は見えてないよ」


 残念ながら、場所的に絶対に寝顔は見れない。鏡を使う必要がある。


「でもさ、せっかく2人でいる時間なのに、寝てたら勿体ないじゃない?」


 こちらも赤面させられるようなことを言ってくる。

 おそらく、明日から彼女は忙しくなる。俺と遊んでいる時間どころか、学校に来る余裕すらないはずだ。

 そう思うと、彼女がどこかに行ってしまうようで、寂しかった。

 繋いでいた手を離して、肩を引き寄せると、凛は抵抗もせずに、身を寄せてきた。


「撮影終わればいくらでも2人でいれるって」

「うん⋯⋯」


 そうして俺たちは目を合わせ⋯⋯今日二度目の口付けをした。

 誰にも邪魔されない空間で、きっとそこにはもう嵐もなくて。

 俺も凛も過去を乗り越えて、そこにいるはずだ。

 そう信じたかった。

 俺達はどこかで不安を感じながらも、その不安を掻き消すように、何度も何度も唇を重ねた。

 そして、彼女の細い肩を、ぎゅーっと抱き締める。

 大丈夫、何も起こらない。俺はこうして凛の事が好きで、何事もなく乗り越えられる。

 それを証明する為に、俺は撮影に参加するのだから。

 凛を絶対に離さない為に、立ち向かうと決めたのだ。

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