3章 第23話 天使の寝顔⑤

「どうした?」


 少し気になったので、訊いてみた。


「⋯⋯こんな"沙織"でいいのかなって、ほんとは不安だったりして」

「⋯⋯⋯⋯」


 ああ、やっぱり。凛も気付いているんだ。


「翔くんもさ、『記憶の片隅に』の原作、読んだことあるんじゃない?」

「え?」

「あの漫画、玲華好きだったからさ。私も玲華に貸してもらって読んだし」


 凛は特に嫉妬しているとか、そういった感情は見せず、ごく自然に訊いてきた。


「⋯⋯うん、読んだ事あるよ。台本読んで思い出した」


 変に隠すのも変だと思ったので、正直に言ってみる。


「あ、やっぱり」


 言うと、凛はどこか少し寂しそうな笑みを見せた。

 きっと、俺と玲華の過去を一瞬考えてしまったのかもしれない。

 でも、そんな表情はすぐにかき消した。


「だからさ、玲華の演技見てびっくりしたんだよね。全然"優菜"じゃないじゃん、って」


 少し大袈裟に仕草も加えながら話す。


「私も原作みたいな"沙織"になれないしさ。ほんとにこんなのでいいのかなーって。私もサヤカちゃんみたいに監督に怒られるかなぁ⋯⋯」


 凛はクッションの上に座って、はあ、と溜息を吐いた。

 作り込んでみたが、やはり不安は拭えない、という感じだった。


「んー、どうだろう。玲華の”優菜”を見ている限り、”沙織”まで原作みたいに強くなっちゃったら物語のバランス的には悪くないか?」


 というか、強い女VS強い女だと、その間に挟まれる達也がかわいそすぎる。いや、現状でも既に俺みたいで可哀想だけども。


「それもそっかぁ⋯⋯でもそれって『記憶の片隅に』じゃなくない?」


 喉を潤すように、彼女は紅茶を口に含んだ。

 彼女の懸念ももっともで、原作から乖離しすぎた実写映画は悲惨なまでに叩かれる。某格闘漫画が良い例だ。

 ただ、原作を忠実に再現するのが実写映画ではない。アニメ映画などの場合は原作を再現する必要があるが、実写の場合はそこまで原作に合わせる必要がないのではないかとも思う。

 現に、これまで実写化された作品の中では、原作にはいないキャラを登場させたり、原作とキャラの性別を変えたりしても成功した事例はある。何も完璧に再現するのが実写映画ではないはずだ。


「犬飼監督が玲華の演技にOKを出したってことは、もう原作の再現路線は諦めたってことなんじゃないかな」


 俺は犬飼監督の人柄や性格などは知らないが、仮に犬飼監督の立場で考えるなら、そうする。


「あとは、犬飼監督が何を理想としているか。それはもう監督にしかわかんないし、凛は自分のやれる事をやればいいと思うよ」

「⋯⋯うん」

「準主役の女優がいきなりいなくなって、イレギュラーな事態だっていうのは監督もわかってると思うし。そのイレギュラーな状態で当初の理想に縋ってたら良い作品って絶対できないから、その中で最善策を探すんじゃないかな」


 あまり犬飼監督の映画を好き好んで見ているわけではない。ただ、玲華や陽介さんも話していたように、自分の理想だけを求めるタイプではないはずだ。


「そう考えると、凛の演技って、”優菜”とうまく対比できてるから、監督的にはまとめやすいと思う」


 自分の考えを話すと、凛は感心したようにこちらを見て固まっている。


「⋯⋯なに?」

「ううん、翔くんってやっぱりすごいなぁって」

「なにが」

「だって、なんか大人みたいな考え方してる」

「そう?」

「そうだよ」


 凛は一度立ち上がって、俺の横に座り直した。すると、右手をそっと握ってきた。

 ふわりと凛の香りが鼻腔をくすぐる。


「だから私、あの時もすぐ決断できたんだ」


 俺の肩に頭を乗せてくる。

 ”あの時”⋯⋯おそらく、一番最初に話した時だろう。

 最後の夏の朝、悩める少女に言った言葉。

 俺はその時、あまり深く考えていなくて、ともかくただ自分が思った事を話しただけだった。

 そんな相手と今こうしてこうなっているなんて、あの時は露ほども思わなかった。


「また助けられちゃったな」

「何もしてないよ」

「したよ。不安を消してくれた」

「それは、凛がこの2日間死ぬほど努力した結果だよ」

「そんなこと⋯⋯⋯」

「⋯⋯? 凛?」


 途中で言葉が止まったかと思うと、途中から寝息が聞こえてきた。

 肩に頭を乗せたまま、寝てしまったようだ。おそらく、この2日間ほとんど寝ていないのだろう。安心したせいか、スースーと可愛い寝息を立てている。

 たった2日で台本を覚えて、役作りまでできて、完成。それが並大抵のことではないことは、素人の俺にもわかる。

 というより、天才なんじゃないかと思う。天才が努力した、という感じだ。


『だから私は、あなたの方がこの仕事に向いてると思った』


 再会した時の玲華の言葉が脳裏に蘇った。

 玲華が芸能活動をやめた理由。それは、凛のほうが自分よりも芸能の仕事が向いていると思ったから。情熱を持っていて、上を向いていたからだと言っていた。

 玲華は、もしかすると、凛⋯⋯いや、RINを引き戻したくて、世間にRINをもっと世間に知らしめたくて、彼女を監督に推したのではないだろうか。凛が反発することを知ってたから。


(玲華は⋯⋯どうしたいんだろうな)


 彼女の狙いというか⋯⋯何を考えているのかがさっぱりわからなかった。

 仮に、俺のことがまだ好きだったとしても⋯⋯わざわざ凛を復帰させる必要がない。あの現場にだって、わざわざ呼ぶ必要がなかった。

 そんな争い方をしなくても、もっと簡単にやれる方法だってあったはずだ。

 なのに、どうして?

 玲華は何を望んでいるのだろうか。

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