3章 第9話 凛と翔の大切なもの
凛の打ち合わせがまだ終わらない。
そろそろ3時間は経とうかというところだが、まだ連絡がないので、俺はずっと待ち惚けだ。
途中で陽介さんから『打ち合わせまだ時間かかりそうだから帰ったほうがいい』とLIMEが届いたが、帰る気にもなれず、ひたすら待ち惚けた。
数日前に玲華と話していた自販機の前で、目をつぶって、ただ待つ。
俺はどうして待っているのだろう?
待たせていると思わせているほうが、凛は気遣いそうだ。
先に帰ったほうが彼女も気兼ねなく打ち合わせに集中できるだろう。先に帰ったほうがいいに決まってる。
しかし、それでも俺は待った。帰りたくなかった。彼女を待ちたかった。
ただただ、不安なのだ。
凛は、昨日俺と玲華が会っていたことを知っていた。
部屋に行った事まで知っている。その状態で、どう思われているのか、誤解されていないかが不安で仕方ないのだ。誤解されるような事も実際してしまっている後ろめたさもある。
それだけではない。
俺は、彼女が遠くに行ってしまいそうで、怖いのだ。
こうして意地けたように待っていれば、きっと彼女はきてくれる⋯⋯そんな女々しい気持ちも、実のところあるのかもしれない。
(情けないな⋯⋯)
自販機にもたれかかるように座って、膝に顔を埋めて、目を瞑る。
完璧に思えた玲華は、失敗してながらもそれを跳ね除けて今日まで辿り着いていた。
凛も挫折を乗り越えて、過去の誤ちを払拭するために、今立ち上がった。
俺だけが、一度の挫折から立ち直れずにいた。
まだ逃げ続けているのかもしれない。
凛はもう逃亡者を辞めたというのに。
彼女が芸能の世界に戻れば⋯⋯きっと俺なんて、捨てられてしまう。
なんの価値もない、ただの田舎の高校生。魅力なんて何もありはしない。そんな事は1番俺がわかっている。
今日の撮影で俺が感じた感情は、疎外感だった。陽介さんは、役作りの為なのかおもちゃを見つけた感覚なのかわからないが、何故か仲良くしてくれているにせよ、それでも、俺だけが住んでいる世界が違った。
(あんな怖そうな監督に意見できるか?)
玲華は名監督と名高い邦画界の重鎮に真正面から意見した。
(あんな怖そうな監督に頭を下げさせられるか?)
凛もその重鎮から求められている才能。
あの2人は例外だから比べてはいけない、という陽介さんの話は、きっと間違いない。
彼女達は特別だ。
しかし、俺は? 俺は何を持っている?
俺は何様だ? どうしてそんな彼女達の横に並んで立っているのだ? なぜ関係者ヅラしているのだ?
できるはずがないのだ。
(俺は、何もない。何者でもない)
それが俺なのだから。
それなのに、そんな何もない俺を、彼女達は奪い合うという。
もう、わけがわからない。俺はそんなに大それた人間じゃないんだ。
俺は彼女達に何を与えられるというんだ?
劣等感だけが積もっていく。何も持っていない人間なのに、何も与えられない人間なのに、大人ですら一目置く才能を持つ女の子が俺を特別視している。
ただただ怖い。
俺が何も持っていないという事を気付かれるのが怖いのだ。
何より、俺には武器と呼べる武器がない。
演技も、人脈も、金も知恵も、何もない。自分で自分に自信を持てるものがないのだ。そんな俺が彼女達になにを与えられるっていうんだ。何を満たせるっていうんだ。
ここで陽介さんを引き合いに出すのは変な話だが、俺なんかよりもあの人の方が絶対に相応しい。輝かしくて、爽やかで、彼女達と似たようなオーラを持っていて、華々しい未来があって。きっと俺よりも苦労をわかってやれるはずなのだ。
(こんな俺をどうして⋯⋯)
自分の矮小さだけが際立って、嫌になる。
(こなければよかった)
凛が逃げないと選んだから、凛に決意させたから、半分義務感でここにきた。
でも、判ったことは、自分の矮小さだけだった。
最初からわかっていた、自分の矮小さ。
あの日、あの雨の日に玲華が離れた日に知った自分の矮小さ。
その矮小さから、俺は今も逃れられない。
ここから逃れるには、きっと自分に自信をつけないといけない。
(逃れる、か。また逃げるのか、俺は)
逃れるんじゃない。
打ち勝つんだ。
でも、何で? どうやって? 俺の手札には何がある? なんのカードもありはしない。
俺は、一介の田舎の高校生でしかないのだから。せめて、ワセ高の学生という立場だけでも持っておけば、違ったのだろうか?
学歴は自信になったのだろうか?
わからない。何もわからなかった。
わかるのは、自分の矮小さだけ。
「あのー⋯⋯翔くん?」
そんな時、ふわっとした綺麗な声が聞こえてきた。
ゆっくりと顔を上げると、そこには、やや気まずそうな顔をしていた凛がいた。
「ご、ごめんね? さすがに監督いる前で連絡できなくてさ」
「⋯⋯いいよ」
「ほんとにごめん。まさか、こんな時間まで待ってくれてると思わなくて」
「違うよ。陽介さんがLIMEで、長引きそうだから帰ったほうがいいって連絡しれくれてたのに、俺が好きで待ってたから」
「そうなんだ」
少しほっとした表情をして、彼女は小さく息を吐いた。
「それはもしかして、私に会いたくて待っててくれたのかな? あはは、嬉しいぞ、この」
凛が冗談交じりで言いながら、肘でつついてくる。
機嫌はは良さそうだから、きっと打ち合わせはうまく進んだのだろう。
「うん。会いたかった」
彼女がうまくいっている事は嬉しいはずなのに、疎外感が拭えない。
ああ、離れていくんだなって⋯⋯そう実感する。
凛も、玲華と同じ場所に行ってしまうんだ。俺を置いて。
そう思うと、情けなさと孤独感で、胸が痛くなって、危うく泣きそうになってくる。
「ちょっと、冗談だってば。どうしたの? 大丈夫? なにかあった?」
凛が心配そうに眉根を寄せて、顔を覗き込んでくる。
「⋯⋯大丈夫だよ。帰ろっか」
顔を見られたくなかったので、俺は立ち上がって、歩き始めた。
「打ち合わせ、どうだった?」
歩き始めると、俺はあらかじめ考えていた質問を投げかけた。
「打ち合わせは⋯⋯うん、とくに滞りなくって感じかな。役作りの指針と、あとはどこまで今進んでるのか、とか、いつまでに何をやらないといけない、みたいなスケジュール面の話がほとんど。覚えること多くて死にそう」
打ち合わせの話を振ると、凛が声を弾ませた。
きっと、楽しかったのだろう。やはり、田舎の高校生活は彼女にとっては退屈だったのかもしれない。
「撮影の日、学校はどうする?」
「基本的に私の撮影は土日とか放課後にしてくれるって言ってるけど、それだと回らないからさ。やっぱりたまに早退とか休んだりとかしないといけないかも。学校にも相談しなきゃいけないかなぁ」
「大変そうだな」
「うん、まあね。でも、自分で志願したから」
逃げられない状況作られてたけど、と愚痴りつつも、やっぱり彼女は嬉しそうだった。瞳が輝いている。
「撮影はいつから参加?」
「三日後の放課後から。それまでに死ぬ気で台本覚えてこいって、割と鬼畜だよね? 役作りもまだなのに」
凛は苦笑いをしているが、それでもやり切れるという自信の表れなのか、悲観している様子はなかった。
今の彼女は、雑誌に載っていたRINだった。
「そういえば、いつの間に山梨さんとLIME交換したの?」
「凛が打ち合わせに行ってから、交換しようって言われて。で、放課後に撮影の手伝いしてくれって言われた」
「え? じゃあ、翔くんも撮影くるんだ?」
「うん、一応そのつもりだけど⋯⋯もし嫌だったら、やめとくよ」
「ううん、そんなことない! むしろ、すっごく嬉しいかな。翔くんにかっこいいとこ見せるためにも、頑張らないとね」
彼女の声は相変わらず弾んでいる。
本当に嬉しいと思ってくれているようだった。
どうして凛は⋯⋯俺の事をそんなに大切に想ってくれるのだろうか。
俺は君に何も与えられていないと思うのだけれど。
やっぱりそれがわからなくて、どうしても俺は不安になってしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。