3章 第7話 玲華の狙い⑦

 凛の背中を見送った後、自分の荷物をまとめている玲華を見つけたので、そちらに向かった。


「玲華。お前さ、仕組んだろ、これ」

「さあ?」


 玲華は相変わらずすっとぼけたように答えた。

 おそらく、玲華はサヤカちゃんとやらが遠からず辞めることを予期していた。或いは、本人から聞いていた。

 だからこそ、凛を撮影に誘って、さらに煽っていたように感じた。言い合いをしている時も、彼女の表情から悪意や敵意を感じなかったからだ。

 彼女は凛に戻ってきて欲しかったのだ。この現場に。


「素直じゃないって⋯⋯大変ねぇ」


 玲華は少し笑って空を見た。


「あれが自分へのペナルティってやつか」

「さあ?」


 彼女はまたさっきのようにすっとぼけて、笑ってみせた。

 玲華が凛を引き入れるメリットは、俺が見ている限りない。

 むしろ、映画撮影が中止か延期になれば、実は嬉しいのではないのか、とも思っていた。


「そういえば、言うの忘れてた。ショー」


 玲華がにこっと振り返って言った。屈託のない笑顔だった。

 しかし、彼女の笑顔から発せられた言葉に、俺は耳を疑った。


「リンに言ったから。昨日のこと」

「は?」

「だから、昨日電話で。ショーを騙してうちに連れ込んで、課題手伝わせたって事、リンに言ってあるから」

「はあああああ!?」


 思わず大声を上げてしまった。

 視線が集まってしまったので、焦って玲華を人のいないところに連れていく。


「ちょ、ちょっと待って。言ったって、何を?」

「だーかーら、昨日ショーがうちに来て、課題を手伝ってくれたこと」


 すごく楽しそうに。面白いことを発見した子供みたいに無邪気で、子供が昆虫の足を引きちぎって遊ぶように、残酷だった。


「あ、でも安心して? ショーが弱った私をぎゅーって優しく抱きしめてくれた事と、私の手料理をおいしそーに食べていたことは、伏せてあるから♪」

「⋯⋯⋯⋯」


 おいおいおいおいおいおい。

 待ってくれ。

 それは、なんの冗談だ?

 じゃあ、昨日俺が玲華と過ごした事を知った上で、凛は電話をかけてきて、今日1日普通に過ごしていたってことか?


「あ、でも、演技見てもらったって監督と戦う事にしたって話はした」


 そうか⋯⋯それで凛はさっき山梨さんとの会話で何も反応しなかったのか。そして、凛はそれに対して全く俺に悟らせないで今日という1日を過ごしていた事になる。女優って恐ろしい。


「これが私のペナルティ♪ もちろん、別のペナルティも課すつもりだけどね」


 待て。どう考えてもそれは俺にとっても大きなペナルティになっている。

 むしろ俺のほうが損害はでかい。この後どうやって話せばいいんだ。別のペナルティというのも気にならなくはないが、それどころではない。


「感謝してよね。ショーが不利になるような事は何も言ってないんだから」

「もう十分不利だよ⋯⋯」

「ほー? じゃあ、ベッドの上で裸で抱き合って、昔に戻ってたって話してもよかったんだ?」

「捏造はやめろ」


 恐ろしい事をさらっと言いやがる。


「仮に捏造したとしても、二人に信頼関係があるなら、別に気にしなくていいんじゃない?」


 楽しそうに、彼女は本当に楽しそうにニコニコして言う。

 その通りなところもまた腹が立つ。

 そして、俺がこうして凛に対してうしろめたさを感じているのは、そこで信用してもらえる人間ではないと自分を評価してしまっているからだ。

 こんな事があれば、俺は彼女からの信用を得られていないと思っている。ただ、これは細かく言うのであれば、"彼女からの信頼"ではない。

 自分に自信がないのだ。全てに於いて。そんな事があれば、自分なんて簡単に嫌われてしまう。俺は、そう自分を評価しているのだ。嫌われる自信がなければ、何もなかったと堂々と言えるはずなのである。


「⋯⋯それで、凛はなんて」

「気になる?」


 気になるだろう、それは。気になって胃がねじ切れそうだ。


「本人に聞いてみれば?」

「てめぇ⋯⋯」

「あははっ、怒ってはなかったよ。ちゃんと私が嘘ついて心配かけて呼び出したってちゃんと言ったし、そこはリンにも謝った。本当に何もしてない事も、ちゃんと伝えたよ」


 内心リンがどう思ってるかわからないけどね、と不吉な言葉を付け足した。


「その上で⋯⋯やっぱり私はショーが好きだと伝えたし、リンを出し抜こうとも思ってない事も言った。正々堂々とリンに宣戦布告したから」


 文化祭から引き続いて、本格的に宣戦布告。

 なんでこうも、楽しそうにそんな修羅場になりそうな出来事を発生させて、笑顔で居られるんだ。


「だから、ショーも⋯⋯ちゃんと自覚して?」

「な、何を」


 声が上ずる。

 心拍数が上がるのを感じた。


「私とリンが、ショーの争奪戦に合意してるってこと」

「ま、まてまてまて! 俺の意思は!? 俺の合意は!?」

「まあ、とりあえずそれは要らないかなって」

「いるだろ! 絶対いる!」


 勝手にバトルの景品にされて堪るか!


「そう? だって、ショーの意思とは関係なく、どっちにしろ私とリンは戦うわけだし。そう考えると、要らないでしょ?」


 妙に説得力がある。


「私は私で後悔のようにやるし、きっとリンもそう。その結果、ショーがどういう決断をするのかは、ショー次第。私たちの戦いとショーの意思は、関係あるようでないんだよ」


 それに、と彼女はとても小さな声で続けた。


「⋯⋯自分が不利だってことも、もうわかってるから」


 ほとんど聞こえるか聞こえないかの小さな声で。

 自分だけに言うように、ぽそっとつぶやいていた。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

「じゃあ、そういうことで、私も打ち合わせに参加してくるから。バーイ♪」


 玲華はそう言って、笑顔でそそくさとその場を立ち去った。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 勝手すぎる。

 玲華も凛も。俺のいないところで話を進めないでくれ。

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