3章 第5話 玲華の狙い⑤
玲華が凛の方を見て、監督に話を続ける。
「RINなら監督が望む役を演じられる⋯⋯むしろ、監督はこの作品にRINが欲しいと思っていた⋯⋯違いますか?」
「ちょ、ちょっと待ってよ玲華? 何言ってるの? 正気?」
玲華が勝手に話を進める中、凛が慌てて口を挟んだ。彼女からすれば、本人の意思とは無関係に推薦されているわけで、堪ったものではないだろう。
「私、もう芸能界辞めてるんだよ? 演技の練習もしてないのに、いきなりできるわけないでしょ」
「でも、練習はしたでしょ? ”沙織”じゃなくて”優菜”の練習だったと思うけど⋯⋯それでも、この話のストーリーも、展開も、そして”沙織”の立場も、全部知ってる」
「そんな! それは、確かにそうだけど、それとこれとはっ⋯⋯!」
玲華の言っていることは、凛からしてみれば、むちゃくちゃだった。
しかし⋯⋯この状況を見ても、そして、犬飼監督がRINを求めているという情報を知っていれば、玲華の提案は渡りに船である。
犬飼監督は、無言で玲華のほうを見て、考えている様子だった。
「リン」
玲華は凛の目をしっかりと見据えた。
「リンは今日の現場を見ていて、なんとも思わなかった? ここにいたかもしれない自分を、全く想像しなかった?」
「⋯⋯⋯ッ」
凛がハッとしたように玲華を見て、気まずい表情を見せた。
そして、玲華から目を逸らす。
「思ったでしょ。だって⋯⋯あなたの中で、RINはまだ生きてるから。ずっとリンはRINだった。RINは私よりも高いところを目指してた。そう思わないはずがないよ」
玲華が冷静に、しかし容赦なく凛を突き詰める。
「でも、私はっ! 1回逃げた! いろんな人に迷惑をかけた! 監督にも、田中さんにも、事務所にも、私を指名してくれてたクライアントにも⋯⋯それに、玲華にも、たくさん迷惑をかけた!」
凛は珍しく感情的になって、ヒステリックにそう叫んだ。
「それなのに、こんな状況になってからやりたいなんて⋯⋯言えるわけないでしょ!?」
悲痛な叫び。
きっと彼女の中にも演じたい気持ちがどこかにあるのだと思う。
凛は俺から見ていても何となくそれがわかるくらい、今日の撮影を食い入るように見ていた。自分にすら隠していた本心を言い当てられたことに対する苛立ちと、自分が犯した誤ちと後悔とが入り混じっている。
そんな表情だった。
「何ムキになってるの?」
玲華はそんな凛に対して、さらに挑発的な言葉を吐きかける。
「挫折して逃げて、仕事から逃げて、次は自分の本心からも逃げるんだ?」
玲華は容赦がない。
でも、吉祥寺で玲華が凛を罵っていた時とは、雰囲気が違う。
あの時は玲華自身の感情から怒っていた。きっと、それは俺が絡んでいたからだ。そして、凛の尻拭いのせいで大変な生活を送っていたからというのもあるだろう。
でも、今の玲華は、怒っているわけではない。あくまでも、煽り。ただ挑発しているように見える。
凛の本心を引きずり出すために。
「たった1回の失敗で躓いたくらいで、勝手に引退表明して、オマケにこんな田舎まで逃げて。そんなの私の知ってるリンじゃないね」
小バカにしたように、笑いながら言う。それに対して、凛も苛立った態度を見せて、自らの肘を人差し指でトントンとつついていた。
「あのさ、玲華の知ってる私ってなに? 教えてよ」
凛がきつい視線で玲華を睨んだ。こんな風に怒っている凛を俺は初めて見た。吉祥寺で玲華と再会した時は怯えきった目をしていたのに、今はキッと睨んでいる。
多分、こうして凛を怒らせる事に、玲華には玲華なりの意図があるのだろう。でも、俺は、こんな凛を見たくなかった。出来ればで⋯⋯彼女の意思に反する事に巻き込んでほしくないとも思っていた。
そんな凛を見て、玲華は自信ありげに笑って言った。
「──つらくても、逃げない子」
その言葉で、凛がはっとした表情をして玲華を見つめる。
「いつも上を見て立ち向かってて⋯⋯私が唯一仲良くできるって思った女の子で、最高にかっこいい友達。それが、私の知ってるリン」
玲華はにやりと笑って、凛に言った。
その言葉を聞いて、凛の表情から敵意が消えていって、蒼白になっていく。
「やめて⋯⋯」
声を震わせて、凛は顔を伏せる。
でも、玲華はやめない。
「この仕事してればうまくいかない事もあるし、失敗する事もある。それはリンもよく知ってるでしょ? まさかリン、私が1回も失敗してないとでも思ってるの? 私だって何回も失敗してるよ。リンが知らないだけで」
凛は顔を伏せたままだが、肩が震えていた。
「リンの代打で復帰してからなんて特にそう。初めてのことだらけで、期待に応えられなくて、失敗してる。田中にも何回も謝らせちゃってる」
そうだったのか⋯⋯。
玲華はそんな失敗をおくびにも出さず、淡々と学業と仕事を両立していたのか。
何が、玲華は完全無欠の人間だ⋯⋯彼女も努力しているんじゃないか。
俺は、自分が努力していないことを棚に上げて、全て玲華が他と違うから、と思い込んでいた。そう思うことで、出来ない自分から逃げようとしていた。でも、違ったのだ。
「失敗したら、その都度共演者からは『REIKAって実物大したことないしブスじゃん、なんでゴリ推しされてんの?』とか聞こえよがしに言われるし、クライアントからだって『RINの方がよかった』って言われた事だって一回や二回じゃない」
「⋯⋯⋯」
「今回の撮影だってそう。全然監督の期待に応えられなくて、サヤカと一緒に足を引っ張ってた」
でも、と玲華は続けた。
「失敗したら、それ以上のものを出して、挽回していくしかない。そういう業界でしょ?」
玲華が昨日見せた涙が脳裏に蘇る。
彼女は俺の知らないところで⋯⋯復帰を決めてから活動している中で、昨日みたいに1人で抱え込んで泣いていたのかもしれない。
それを乗り越えて、昨日も乗り越えて、監督に自分の演技を認めさせて、彼女は自身を確立している。
本当に強い女性だった。玲華は、俺なんかとは、やっぱり住んでいる世界が違う人間なのだと思えた。むしろ、完璧な超人でいてくれた方が幾分かはマシだったかもしれない。
たった1度の挫折で崩れ落ちてしまった自分が惨めに思えてならなかった。
「もし、リンが『迷惑かけた』『悪かった』って思ってるんなら⋯⋯今が挽回のチャンスなんじゃないの?」
玲華のその言葉で、凛が驚いた方に顔を上げる。
玲華は悪戯げな笑み凛に向けていた。まるで、ここに導くための導線だったと言わんばかりに、策士としての顔がそこにあった。
そこで、ひとりの人間が拍手をした。
拍手していた主を見ると、それはなんと、犬飼監督だった。
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【ひとこと】
この小説の中で好きなシーンのひとつなのですが、翔くんが空気すぎてつらい。主人公なのに。
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