1章 第15話 暗い雨の日はあの時を思い出してしまう

 昼になっても雨は遠慮なしに降り続けている。空は灰色というより真っ黒で、雷も鳴りそうである。秋雨というやつだろうか。

 今は昼休みで、この雨故に昨日の裏庭にはいけないので、家庭科室に侵入して昼食を取る事にした。今週の日曜に皆でどこへ遊びに行くのかを愛梨と純哉が揉めている。隣町まで行くべきだと言う愛梨に対し、まずこの鳴那町を知ってもらう方が先であるという純哉で意見が分かれている。

 凛はどちらでもいいから喧嘩しないで、と半ば呆れた様に困った笑みを浮かべていた。

 正直言うと、俺はそんな会話など上の空で、陰鬱な気分で窓の外に視線を向けて暗い雨空を眺めていた。

 こういう日は、決まってあの日を思い出してしまう。

 一年と少し前……高校に入って六月を迎えた梅雨の最中、今日みたいな黒い雲が空を覆っていた日だった。当時付き合っていた彼女・久瀬玲華と家デートをしていたら、その帰りに今日みたいな豪雨に見舞われ、慌てて屋根があるバス停の下に逃げ込み、雨宿りをした。

 彼女の髪から滴り落ちる水滴と、雨に濡れて透けたブラウスが色っぽいと感じつつも、俺は溜息を漏らしていた。その溜息は雨に見舞われたから出たものではなかった。心のどこかで彼女と居る自分が辛かったのだ。

 そんな時、彼女は呟く様に言った。


『……もう、終わりにしよっか? 私達』


 突然の出来事、全く予期していなかった発言に、暫く唖然とした。どうして、と切り返すまで、時間がかかった。


『君は私に負い目を感じてる。約束を守れなかったと、一人で自分を責めている。そんな事気にしていないのに』


 元々彼女はキツい目つきをしているのだけれど、この日だけはそのキツさがなく……諦めた様な優しい目をしていたのをよく覚えている。今でも明確に思い出せるくらいには、はっきりと。


『そんなショーを見ているの、もう辛い……』


 言いながら、彼女は自分の額を押し付けるように、俺の胸にもたれかかってきた。

 そして、そっと軽い口付けをしてきた。

 最後に触れたその唇は冷たく、震えていた。その冷たさは今でも覚えている。

 俺は玲華の言葉を何一つ否定出来なかった。彼女の言う通りだったからだ。

 元々彼女とは中学は違うものの、同じ塾に通っていた。そして成績を競い合う仲だった。いや、彼女からしてみれば、最初は競い合っていたつもりはなかったのかもしれない。俺が一方的にライバル視していただけだった。

 今ではこんな風に落ちぶれたが、当時はかなり勉強家だった。常に塾内テストでは玲華と一位を争っていたし(大体負けて俺が二位だった)、勉強にすべてを賭けていた時期があった。ただ、そうやってライバル視するあまり、彼女が気になってきて、好きになっていた……よくある話だ。

 玲華は非社交的で、人と殆ど話さなかったが、俺とは話す様になった。きっかけは、確か俺が塾内の友達に勉強を教えていたら、彼女が横からいきなり間違いを指摘してきて、大恥をかかされたことだった。きっかけは最悪だったが、彼女の指摘の御陰で次のテストで間違わずに済んだ事もあり、彼女を認めざるを得なかった。

 志望校が同じという事もあって次第に彼女と話す様になるまで時間はかからず、俺達はお互い分かり難いところを教え合う仲になっていた。彼女は理系科目が得意で俺は文系科目が得意だったから、必然的に苦手分野を補強し合った。彼女の教え方が塾の講師より上手かったからだ。

 それは彼女にとっても同じらしかった。次第に無表情な彼女の笑顔が見れる様になり、純粋に嬉しかった。

 関係が変わったのは、どういうわけか、中学三年の夏期講習終了テストで、彼女が勝負しようと言い出したからだ。条件は、勝ったら自分の言う事を一つだけ聞く、というものだった。

 その勝負で俺は、初めて彼女に勝った。彼女に唯一勝てたテストで、奇跡だったかもしれない。普段は冷静沈着な彼女が、本気で悔しがっていたのだ。

 そんな俺が出した勝者の命令は、『俺と付き合ってほしい』という……まさに狡いにも程があるものだった。彼女は驚きのあまり呆然としていたが、コクリと頷き承諾した。

 それから俺達の交際はスタートしたが、雲行きが怪しくなったのは、受験だった。彼女は志望校である都内一の偏差値を誇る海成高校に合格し、俺はそこに落ちて第二志望の高校に進学した。

 そこから俺はどんどん卑屈になった。玲華に申し訳なくなって、かっこ悪くて顔向けできなくて……毎週末のデートも、どこか息苦しくなっていた。受からなかった自分が許せなくて、こんなバカな俺なんかより海成高校にもっと彼女に合う良い男がいるんじゃないかと不安にもなり始めた。海成高校の全生徒に嫉妬心を持っていた。

 それに我慢を切らした彼女からの言葉が、それだった。

 反論なんて、出来るはずがなかった。

 俺の中で、重荷から解放された気がしたのも確かだったのだ。


『もしあのときの勝負で私が勝っていたら……何て命令していたと思う?』


 わからない、と答えた。

 すると彼女は、


『一生私の傍から離れないで、だよ』


 そう答えた。そして──


『もし私が勝ってたら……未来は違っていたかな』


 それが彼女の最後の言葉だった。

 鳴那町への引っ越しの話が出たのはそのすぐ後だった。それ以来彼女とは会っていない。

 その時の暗い雨と、今日の雨はどこか似ていた。

 いつもこういった雨が降ると、俺は陰鬱な気分になるのだった。

 あいつは……今なにをしてるんだろうか。新しく彼氏を見つけただろうか。もし俺があの勝負に負けていたら、結果は変わったのだろうか……。

 そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。


「……どうしたの?」


 気付けば凛が俺の横に座って、こちらをのぞき込んでいた。

 まだ純哉と愛梨は揉めているようだが、凛も仲裁を諦めたみたいだ。

 そういえば、彼女も校長室で俺との関係に『同じ塾に通っていて勉強を教えてもらっていた』という言葉を用いた。ただの偶然なのだろうけど、どうして凛はわざわざ嘘に塾の友達を選んだのだろうか。嘘でいいなら何でも使えたと思うのだけど。


「別に、何も」

「そう? その割には……凄く暗い顔をしていた様に見えたけど」

「雨は嫌いだなって……それだけさ」

「そう……」


 寂しそうに呟いて、凛は窓の外に視線を移して暫く黙り込んだ。

 強い雨の音と、愛梨と純哉のどうでもいい口論が続いていた。


「あのさ」


 凛はいきなり、純哉と愛梨に呼びかけた。

 二人は口論をやめて、凛を見る。


「日曜は皆で隣町に遊びに行ってみようよ」


 凛は楽しそうな顔に戻って、皆を促す。


「さすが凛、わかってるじゃねーか。こんな屑の意見よりあたしを選んだ方が絶対に正しいから」

「ぐっ、何だと……!? やはり俺じゃダメなのか……!」


 愛梨は勝ち誇り、純哉はしょぼくれた。

 そんな二人を見て、凛は慌てて否定した。


「違うってば。その隣町ってここより都会なんでしょ? そしたら、皆で遊ぶ場所も多いかなって」

「おお、そうか! さすが凛ちゃん!」


 凛の言葉に即座に折れる純哉。何の為の口論だったんだろう。さっさと凛が行きたい場所を選んでれば二人の昼休みはもっと有意義だったのではないか。

 しかし、凛の言う事はもっともで、隣町は鳴那町よりは遙かに遊ぶ場所がある。カラオケやボーリング場、ゲーセン、まあ大体揃っている。明らかに鳴那町よりは遊ぶには適していた。


「それならあたしも言っただろうが……」


 愛梨は呆れた様に手を額に当てたが、純哉は全く聞いてなかった。もうこいつは凛がいれば何だっていいのだろう。

 昼休み終了の予鈴が鳴り、俺達はぞろぞろと家庭科室を後にした。純哉、愛梨、俺、凛の順で扉を出る際、俺が出ようとした時に後ろに居た凛が俺の袖を摘んで引っ張った。


「……っと。なに?」


 この袖を引っ張られるのって、なんだかどきどきするよな。心臓に悪い。


「その代わり」


 凛は囁く様に小さな声で、


「鳴那町は翔くんが案内してよ。次の休みに」


 悪戯気に笑って言った。

 って……それって単純にデートになるんじゃないのか?


「別に構わないけど……案内する場所なんか知れてるぞ」

「いいからいいから!」


 純哉にバレたらまた怒られそうだが、彼女がそういうのであれば、俺が拒否る理由もない。


「約束ねっ?」


 そんな心配を余所に、凛は嬉しそうにはにかむのだった。

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