1章 第14話 愛梨の詮索

 翌日は強い雨となった。朝方から降り始め、登校時間には土砂降りになっていた。傘はさしていたが、靴の中に水が染みてきて不快だ。初秋の草の匂いが雨により強くなり、鼻を擽る。

 いつもは近道で畑の合間を区切る農道なんかをショートカットするのだが、雨の日は靴が土でぐしゃぐしゃになってしまうので、大人しくコンクリートの道を歩いていく。

 普段は流れの穏やかな川も、今日は雨の影響で水位も増して急な流れになっていた。

 汚ねぇ水、と思いながら増水した川を眺めていると、橋の上で歩いている愛梨を発見した。後ろ姿でも、愛梨の怠そうな歩き方とスレンダースタイルは一発でわかる。

 少し歩を進めて横に並んで「よう」と挨拶すると、開口一番が「雨うぜえ」だった。


「髪染めたら早速かよ。喧嘩売ってんのか」


 愛梨はぼやく様に続けた。

 言葉通り、愛梨の髪は昨日と違う髪色になっていた。

 濃い赤に近い茶髪で、明るさが目立っていた昨日まで、というか凛と同じ系統の髪色ではなかった。髪型もポニーテールにしていた。やはり、昨日俺が言っていたことを気にしていたみたいだ。

 ちなみにうちの学校の校則は緩い。染髪とピアスくらいでは特に何も言われない。田舎の公立高校なんてこんなものだ。

 俺も東京の私立高校に通ってた時は校則で短かめの髪だったが、こちらの高校に通い始めて伸ばし始めた。


「別に……アンタに言われたから変えたわけじゃないからな。括ったのは雨だったからだ」


 愛梨が俺の内心を読みとったかの様に付け加える。

 それ、逆に肯定してると思うのだけれど。そう思いながらも、俺は何も反論せず頷いておいた。もう殴られるのは懲り懲りだった。


「で、昨日大丈夫だったのかよ」


 愛梨が突然切り出してくる。


「なにが」

「凛」


 ああ、そっちか。てっきり愛梨にやられたボディブローの話かと思った。


「まあ、大変だったけど何とか」

「鼻の下伸ばしてたわけか」

「ちげーよボケ」


 朝から何なんだ、このやりとりは。


「ただ、何で嘘吐いてまで相沢に拘るんだろうな、あの子は」

「え?」

「昨日の昼休みに言ってた理由……多分本心じゃねーぞ」


 愛梨は遠くを歩く同じ学校の生徒達をぼんやり眺めつつ言う。

 愛梨も俺と同じ疑問を感じていたみたいだ。


「何でそう思った?」

「女の勘ってやつ」

「え、お前女だっけ」

「殺すぞ」

「ごめんなさい」


 危ない危ない。つい癖で余計な事を言ってしまった。命は粗末にするもんじゃないのに。


「そういえば……相沢は好きな女とかいねーの? あ、凛以外で」


 何でいきなり凛が出てくるんだかわからない。


「は? 何で?」

「いや、何となく。相沢のそういう浮いた話、聞いた事ないし」


 それもそうだ。

 俺は鳴那町に引っ越してきてから恋愛沙汰なんて全くないつまらない日々を送っている。


「鳴那に来てからの俺は、お前の知ってる通りだと思うけど」


 恋愛沙汰どころか友達も少ない俺に何を求めてるんだか。転入当初は、都会から引っ越してきた物珍しさという点で人が集まってきたが、存在に慣れてしまえば影は薄くなった。

 その理由は俺にあって、多分人に必要以上踏み込めないからだ。極端に敵視してくる奴以外とは誰とでもある程度仲良くなれるし、それなりにやり過ごせる。だが、それはあくまでも知人レベルの付き合いであり、友人とはほど遠い。オフで誰かと遊んだりする事も少ないし、誘われない様に避けていた様に思う。

 俺は元来、あまり人付き合いが好きではないのだ。そんな付き合い方をしていると、徐々に連む連中が狭まり、最終的に残ったのが、純哉と愛梨だった。

 なんて言うか……純哉はお調子者で友人は多いのだが、何故か俺を気に入っているし、あいつは極端に人の領域に入って来ようとしない。良い距離感を保ってくれて心地よい関係を築いている。

 愛梨は元々純哉とよく連んでいたから自然と仲良くなったが、純哉みたいに決して相性が良いわけではない。ムカつくし恐いし暴力振るうし元ヤン疑惑あるし。ただ、何故か気を許してしまうところもある。女と意識しなくていいのが楽かもしれない。

 そんな純哉と愛梨だけが、暇な休日なんかは三人でダラダラ過ごしたりする時もある。


「東京に居た時は? 彼女とか好きな子とか」


 そろそろ校門が見えてきたのだが、何だかまた変な質問を受けた。

 一般的には変ではないのだろうが、俺と愛梨の間では変だ。こいつと恋愛についてなんて今まで話した事がないし、こいつの彼氏の話は純哉と二人で居る時に純哉が話題として出すものなので、直接訊いたものではない。


「まあ……引っ越す少し前まではいたけどな。中学から同じ塾に通ってた」

「へえ……初耳」

「誰にも言ってねーからな」

「で、どんな子だったんだよ? なんで別れた?」

「もういいだろ」


 愛梨が面白いおもちゃを見つけた様な顔になっていたし、何となく思い出すのも嫌だったので、会話を終わらせた。もう学校にも着いたし、嫌な話は終わりだ。

 下駄箱から廊下、教室までの道のりで愛梨はずっと食いついてきたが、彼女にそれ以上教えてやる義務はない。


(なんで別れた、か……)


 別れた理由は簡単だ。俺が、彼女──玲華とは釣り合わなかっただけだ。想い出す度に自分が情けなくなって……自己嫌悪に陥りそうになる。

 誰にだってそういう事はある。

 そう思いながら教室の前に出来た群衆をかぎ分けて教室の中に入ると、やはりと言うか、凛の周りに人だかりが出来ていた。教室が見せ物小屋状態になっているのは凛を見に来た観客共だ。

 おそらくもう暫くはこんな日が続くだろう。


「あ、翔くん、おっはよー」


 目敏く俺が来たのを見つけた凛は、人混みに埋もれながらも挨拶をしてくるので、一瞬にして観客の視線がこちらに集中した。

 またこのパターンか、と思いながらも無視するわけにも行かず、「おう」と視線を合わせずぶっきらぼうに答える。

 様々なところで舌打ちが聞こえた気がした。勘弁してくれ。

 愛梨はそんな俺を遠巻きに見て笑っていた。

 そういえば、この雨宮凛も今までに居ない人種だった。

 元有名モデルとかそういった事ではなく、何というか……彼女は自分のプライベートゾーンに一気に俺を引き込むのだ。言い換えるならば、彼女はまだ俺が靴を脱ぎ終える前に腕を引っ張って土足のまま部屋にあげてしまった、という感覚。かと言って俺のところには入って来ようとしない。不思議な子だった。

 そんな凛は、愛梨を見て一瞬顔を輝かせたかと思えば、周りに群がっていた女子からそれとなく離れ、愛梨のところに駆け寄っていた。


「愛梨おはよっ。髪色変えたんだ?」


 特に他意なく俺は二人の会話に耳を傾ける。


「あ、ああ。なんか上手く色入んなくて苦労した」

「え、これ自分で染めたの? 凄い! 似合ってるね」


 まさか自分のところに来ると思ってなかったであろう愛梨はやや驚き気味だが、どこでもあるような女の子同士の会話が広げられている。愛梨がこんな女の子らしい会話してるのも珍しいのだけれど。

 思ったより凛も愛梨のことが気に入っているようだった。彼女と上手くやれる女の子がいるとは驚きだ。というか、人を殺す気満々で棒切れを振り回すあの姿を見てよく仲良くしようと思うけれど……もしかしたら凛は凄く懐が深いのかもしれない。

 今、二人は髪の染め方について話していた。凛はいつも美容院でやっていたので、引っ越してからどこの美容院に行こうかと悩んでいる旨を愛梨に相談していた。もちろんこの町には洒落た美容院は少ないが、商店街方面とは逆にあるショッピングモールの中に良い美容院があって、いつも俺はそこを利用している。やや高いけど。


「じゃあ、今度皆で遊び行こーぜ!」


 二人の中に突然、会話の流れをぶった切ったのは、やはり純哉だった。


「はあ? 何でそうなるんだよ」


 当然、愛梨は反論する。


「いいじゃんかよー、凛ちゃんこの町全然知らないんだしさ。ね、凛ちゃん?」

「え、うん。私はそうしてくれたら助かるけど……皆忙しいんじゃない?」

「大丈夫! 俺も愛梨も相沢も常に暇人だ!」


 何故か俺まで入っているらしい。俺が常に暇人だったとは、初耳だ。大体合っているけれど。


「そのメンツだとあんた要らなくない?」

「えっ……?」

「別にあたし等二人で行ってもいいわけだし、まあ相沢は荷物持ちで連れてってもいいけど、あんた煩いし」


 ね、と凛に訊く愛梨。凛は困った笑みを浮かべている。


「……すみません、俺も連れてってください」


 ぼそっと言う純哉。


「あ? なんだって? 聞こえねーなー」


 愛梨は大袈裟に耳を傾ける仕草をする。

 よくこの二人は今迄喧嘩しないでやってこれてるな。それが不思議でならない。


「俺も連れてって下さい! お願いします!」


 土下座でもしかねない勢いで言う。


「嫌。無理。断る。死ね」


 それに対する愛梨の返答はただただ酷い。鬼かお前は。


「ちょっと愛梨、そんな言い方しなくても……」


 見かねた凛が助け舟を出す。


「冗談だってば。これくらいがいいんだよ、こいつは」


 どんな扱いだ、純哉。純哉は純哉で凛の言葉に「女神様ァ」とか言いながら涙してるし。なんなんだこの気持ち悪いグループは。


「そういうわけだから、相沢もそれでいいだろ?」


 愛梨はいきなりこっちを向いて、にやりと笑ってくる。

 どうやら俺が聴き耳を立てていた事に気付いていたらしい。

 俺は溜息を吐いて、頷くのだった。

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