最終話 The Origin of Love
「綺麗だね……」
「うん……」
札幌を一望できる、いわゆる夜景スポットにわたしたちはいる。
旭山記念公園という、円山や藻岩山と言った、札幌中心街から少しだけ移動した場所にある山手エリア。
そこの高台にあるここは、札幌がある平野全域、日本海がぐるっと望める。
わたしたちは、というか、わたしが最後の場所として選んだ。
というか静かに2人で話せるならどこでも良かったんだ。
それこそ藻岩山でもいいし、札幌駅の駅ビルに併設された高層ホテルの空中ラウンジだって素敵だったろう。
だからここにしたのはほんの気まぐれ。
タブレットで「札幌 夜景」で検索した中にここがあって、何となくタップしてみたらよさそうだなって。
動画と、そして生配信としてのエンディングは既に終わらせた。
あとは明後日。
苫小牧西から乗るフェリーの中で雑談をするとだけリスナーには約束してある。
理由は単純に、旅の打ち上げとして、札幌観光を姉妹でしてくるっていうね。
特にブーイングも無く、楽しんで来い! とは我がリスナー達の言葉。
エンディングは札幌ドームの隣にあった、羊ヶ丘展望台ってところで撮った。
こちらも札幌を見渡せる景色のいい丘で、有名なクラーク博士の像がある定番観光ポイントだ。
そこで配信をしつつ、この旅をリスナーには未公開なシーンも含めて編集して、シリーズ動画としてリリースするのだけど、その最後のシーンの演出という意味で、配信のチャット部分をPCのディスプレイに最大にして映し、わたしたちがその両脇に立って「みんなありがとー!」って叫ぶのにあわせ、リスナー達のコメントを大量に打ってもらったんだ。
最後だしね。全員参加的な。
だから札幌の街のパノラマを背景に、笑顔でエンディングって感じ。
そのままわたしとお姉ちゃんは、さっき言った札幌駅の駅ビルのホテルにチェックイン。
取った部屋は34階にあるスイートルーム。
平日で二連泊があっさりとれたけれど、値段もそれなりに言う。
おそらくこの旅の中で一番の出費になるかな?
まあこのホテル内での事は、許可が下りたエリアのみで撮影をし、後程リスナーにも公開するけどね。
とんでもないロングツーリングのシメだし、お姉ちゃんとエステとかスパを楽しむつもりだ。
そして荷物を部屋において、バイクもホテルが契約している駐車場に。
完全に身軽な旅行者に戻ったわたしたち。
自由に動ける準備が終わったのは、午後4時くらい。
夜はわたしの為に時間を割いてとお願いしてあるから、まずは徒歩で行ける範囲内で、何か食べようかって事に。
そして決めたメニューは、お寿司だ。
そう言えば魚介類でも有名な北海道にきてるのに、ここまでお寿司を食べてなかった。
いや正確に言うと稚内で回転ずしは食べてるんだ。
けどそうじゃなくて、きちんとしたお寿司さ。
回らなくて、お店にお任せを頼むと、懐石のように何品か、その日の仕入れに合せたメニューが出てきたり。
そういう趣があっていとをかしな寿司屋を探したのさ。
札幌市内にはいくつかミシュランの格付けに載っている寿司屋はある。
でもなーそれもなんか違うんだよな~と、トイッターを使って地元リスナーにオススメを聞き、その結果、大通り公園の近くの雑居ビルにあるお寿司やを紹介された。
大変おいしゅうございました……。
客単価は1.5万円くらいだったけど、うん、凄かった……。
気さくな大将で、出来れば何品か動画で使いたいと相談すると、快く許可をくれた。
なのでカメラを据え置きにさせてもらい、わたしたちは大将が語るネタごとの蘊蓄を聞いたりして、とても楽しい時間を過ごせたな。
そして地元リスナー達に「がっかりするから行くな!」とアレな事を言われた札幌時計台を見て、ノーリアクションのままテレビ塔に昇り、後は大通り公園を西方面、つまり円山公園がある方向に向かって歩き始めた。
もうその頃はかなり暗くなっていたけど、わたしとお姉ちゃんは手を繋ぎ、ただ歩いた。
わたしはもう観光気分はなくなっていて、お姉ちゃんもきっとそうだ。
けどお姉ちゃんから拒絶されている印象はなくて、けど何かあるのはにじんでいて。
だからそこに向かったんだ。
そして結構な勾配を登って、わたしたちは旭山記念公園に着いたのだ。
もう人の姿はほとんどない。
すれ違った人たちは家路につく為に駐車場や出口に向かっている。
わたしたちはただ、一番夜景が見えるという場所に向かうだけ。
そこにはあっという間についた。
白い柵があって、その向こうは鬱蒼とした黒い木々。
昼間なら青々としたいい景色なんだろうなあ……。
夜景が拡がっている。
このあかり、ひとつひとつが人の営みの証なんだな。
それは前世でも、今でも、世界が、時代が違っても。
地球に人が現れてからずっと、一緒なんだろう。
それに対し、わたしたちの感想は綺麗としか言えなかった。
それ以上何があるんだろうね? 逆に。
きっと夜景なんて、東京でも横浜でも神戸でも、ここ札幌や小樽、函館だってきれいなんだ。
100選とかは、雑誌が勝手に言っているだけで、夜景なんてどこも綺麗に決まっている。
ただそこに、わざわざ行くという事に価値があるんだと思う。
それは恋人だったり、家族だったり。
特別な相手と行くから、その時間が特別になって、夜景すらも価値が増す。
わたしの横にお姉ちゃんがいる。
高科さくらと高科ひまわり。
身長は違うけど、わたしは左手を柵に、お姉ちゃんは右手を柵に。
空いている手は繋がれている。
だからわたしは、前を向いたまま言ったんだ、
「ねえお姉ちゃん。人が死んだらどこに行くと思う?」
☆☆☆☆☆☆☆☆
「……えっ?」
ひまわりは、予感していた言葉とはかけ離れたさくらのセリフに思考が止まった。
妹であるさくら、その違和感は最初からあった。
だがその当人も、必死に取り繕うでもなく、むしろさくらと言うよりは、自分がどう振る舞うかそのものに迷っている、そんな違和感を感じさせている。
さっきから風が冷たい。
この北海道旅行を始めてから常に感じていた気候の差。
ひまわり、もちろんさくらもであるが、故郷である愛知県名古屋市は、札幌の街並みと非常に似ている。
大通り公園に札幌テレビ塔。
久屋大通に名古屋テレビ塔。
街の中を分断するように存在する2つの類似した公園。
けれど名古屋の夏は死にたい程に蒸し暑く、札幌は年中通して平均気温が低い。
実際この似通った公園は、特別どちらかが片方を参考に、としたわけではなく偶然そうなっただけだ。
というのも街を分断する事自体に意味があるからだ。
現代と違って昔は、民家に長屋も多く、木造建築が密集して建っていた。
その為、ひとたび大火事が起きると、消化する以上に延焼が早く、大ごとだ。
それを防ぐためにこれらの公園は作られたのだという。
そんな景色を眺めていたひまわりは、なるほどシンパシーはそれほど感じないのだなと納得したものだ。
それが気候。初夏はいよいよ暑さが台頭してきて、本格的な夏を予感させて憂鬱になるのが名古屋人のサガであり、北海道の場合は、漸く長い冬が終わって夏がやってくる! と気持ちも華やぐ。
その印象は全く逆なのだ。
「だからさ、お姉ちゃん。人は死んだらどこに行くって思う?」
聞き間違えではなかった。
「えっと、それは、死後の世界とかそういう話? ちょっとさくらちゃんが何を言いたいか、お姉ちゃんわかんないかな」
思いのほか無機質な声が出た。
ひまわりはそのことに内心で怯えた。
今まで抑えてきた感情、それが漏れだした、その事で。
しかしさくらの顔が今までとは違った。
彼女は前を向いていたはずなのに、今はひまわりの手を握りつつも、しっかりと正対しているのだ。
女性としてはかなり高い部類に入るさくらの身長。
昔は長かった髪も、今はショートになっていて、片耳を見せるヘアスタイルで、余計に中性的な美しさが露わになっている。
だがそれ以上に、ひまわりを射抜くような真剣な表情は、どこか男性的な精悍さを感じられた。
「お姉ちゃん。わたしは、いやオレは、さくらじゃないんだ」
言った。
決定的な言葉だった。
ひまわりは先ほどまで感じていた肌寒さが一瞬で消えた様に感じた。
音も、匂いも、すべて消えて、たださくらが醸す異様な雰囲気だけが支配している、そう感じた。
ごくり、と自分の喉が鳴った。
さくらが言う、さくらじゃないとはどういう風に受け取ればいいのか。
額面通りなら、さくらに似た別人。
だがそれはありえない。
なにせさくらはあの部屋にいて、
でも、この予感はあった。
なにせ、姉妹だからこそ、
けれども消去法的にありえない事を排除していくと、結果的に違和感はあれど、確かに目の前のさくらはさくらなのだと認める以外に法はない。
でも、と。ひまわりはさくらに先を促すしかなかった。
「どういう、ことか……説明して、くれる?」
滑舌には自信がある。
歯並びは良いし、生まれてから一度も虫歯になった事も無い。
友人たちは「乳児の時、親からキスをされなかったんだ」と揶揄われた物だが、虫歯が無い事は密かな自慢だった。
けれどもひまわりは、逸る気持ちのせいで、何度も吃音となりそうなのを抑える努力を強いられた。
「わたしも、いやオレも、正確にはどういうことかはわかってないんだ。ははっ、今じゃすっかり一人称がわたしで定着してさ。オレって言うのを意識しないと言えない。…………頭がおかしくなりそうだよ……」
くしゃりとさくらの顔が歪む。
俺、オレ――一人称。
何か言おう、ひまわりは口を開きかけたが、さくらがそれを手で遮った。
「27歳独身。外資系製薬会社に勤務する、いわゆる将来有望な勝ち組サラリーマン。三十路前で年収は1千万を切るくらい。恋人はいない。むしろ仕事が恋人だった――
「え、なに、それ……」
「ある日、そいつは接待のために栃木にあるゴルフ場へと向かう。 キャンプの時、宇都宮に寄っただろう? 行先はもう少し先の鹿沼市。 名門ゴルフクラブが集まっている。 その道すがら、彼が運転する車の前に突如、大型車が視界に入ってきた。 そして暗転。男は、久慈直人は、鏡の中に写る、幸薄そうな銀髪少女を見た。 まあそれがオ、わたし。わたしだった彼。どうお姉ちゃん、これが真実だったとして、信じられる?」
「………………」
さくらは一気に話した。
ひまわりが一言一句理解できるように、途中で何度も間を置きながら。
それを必死に咀嚼する。
目の前のさくらは、久慈とかいう別人で、事故の後、カレハカノジョニナッテイタ。
到底理解できるわけがない。
ひまわりは一瞬で頭が沸騰した様に感じた。
好きの反対は無関心などと言うが、怒りを覚えたのは何ゆえか。
だがひまわりが衝動のままにさくらの胸元を掴もうとした瞬間、聞きたくない言葉が耳に入った。
「さくらはさ、死んだんだよ」
何も言いたくない。
聞きたくもない。
拒否反応なのか、ひまわりは頭を抱えてしゃがみ込む。
悲鳴をあげなかったのが幸いか。
ただ、自然と涙がこぼれ落ちた。
あの日、さくらが笑顔で、「●●●●みたいになるからね、期待しててねっ」そう言いながら家を出て行った時以降、泣いたことは無いのに、勝手に涙が落ちていく。
「ハルシオン。さくらが通院していた病院で処方された睡眠薬。それの入った銀色のケース。たしか40錠ほど、それがあの部屋のゴミ箱に捨てられていた。部屋の中はまるで、患者が退院した後の病室の様に、物という物が片付けられ、わたしは下着もなく素肌の上に白いワンピースを羽織っていただけ。リビングに仰向けになったまま気が付いたわたしは、酷い気怠さを感じたのを覚えている。いま思えば、それが薬の影響なんだろう」
やめて、それ以上言わないで。
ダメなんだって。
私にはさくらがいないとダメなんだってば。
どうしてそういう事言うの?
いいじゃない。貴女はさくらでしょう?
どうして混乱させるの。
やめて、本当にやめて。
私には、も、う、さく、らしかい、ないん、だ、か、ら――
どこかで、いや近くで、鬱陶しい雑音が聞こえる。
邪魔しないでよ。
煩わしさに叫びたくなったひまわりだったが、その雑音の正体が、自分が漏らす嗚咽だと気が付いた。
それでも無慈悲に、さくらの独白は続く。
語られる世迷言。
ひまわりにとっては唾棄したい戯言。
それでもさくらは、自分がさくらとなって今、この場に立つまでの葛藤、思い。
折り合いはいまだつかず、足掻いている。
それを語り切った。
「やだ、やだっ、やだやだやだやだ、やだああああっ、ヤなの、さくら、さくらちゃん、やなんだって、おいてかないでよ、置いてかないでよおおっ! お姉ちゃんじゃないっ!
言った。
決定的な言葉だった。
さくらは先ほどまでの独白で熱く感じていた体温が一瞬で冷えた様に感じた。
音も、匂いも、すべて消えて、ただひまわりの慟哭だけがこの場を支配している、そう感じた。
だが、さくらは、既に覚悟は終えていた。
「ひまお姉ちゃん――それがさくらが君を呼ぶときの名前だったんだ」
ひまわりは涙と鼻水で汚れた顔を静かにあげた。
うん、と頷く。
「さくらはね、とっくに壊れていたの」
アンサー。
今こそ言うべきだ、とひまわりは思った。
呪縛を、自分を、さくらを、或いは母親を縛っていた呪いの事を。
醜態を見せた、そのはずなのに、ひまわりはよどみなく出てきた言葉に自分の事ながら驚いた。
「事故で、じゃない。生まれた時から、さくらの左腕は壊れていたの」
特殊な難病。
神経伝達に遅延がおこり、日常生活には支障がない物の、精密な動作には向かない。
筋ジストロフィーほど深刻ではないが、ピアニストを目指すなら致命的。
だが
その目指すべき父親は、それを見守る事も無く、あっさりと死んだ。
そんな父親に心底惚れ、本来継ぐはずだった高科の家を捨てた母親は、生きているだけの人形になった。
資産家の家の出で、容姿も良い。
未熟な精神でしかない子供が通う小学校では、大人であればステイタスである境遇も、虐めの要因になってしまう。
小さな頃から内気だったひまわりにとって、それは深刻過ぎる事柄だ。
彼女はつまり、酷いいじめに遭っていた。
まだ健在だった両親は、2人の娘を設けても、彼女たちに愛を向けるでもなく、己の愛に忠実だった。
何せ父親は数か月に一度しか帰国せず、母親はそれを待つだけの日常だった。
スタジオを経営したのも、父親の歓心を繋ぎとめるためがきっかけだ。
そして、ひまわりは低学年にして、世の中に期待を持つことを諦めた。
それを無邪気に救ったのがさくらだった。
ひまお姉ちゃん、泣いてるの?
ほんとお姉ちゃんは泣き虫だなー!
さくらがなでなでしてあげるよ! いーこいーこ。
ひまわりの世界に色が戻った。
桜と言えば桃色で、向日葵と言えば黄色。
だがひまわりにとってさくらは太陽で、自分は太陽が存在することで輝く事が出来る月みたいだと思った。
なのに、父親はさくらを憧れさせたまま死に、そんな父親の顔立ちに似ているさくらへ、母親は貼り付けた笑顔と無難な接触しかしなくなった。
いなくなった父、変わってしまった母。
だからさくらは憧れを夢に変え、4人で暖かだったあの頃の様に、もしかしたら戻れるかもしれない、そう考え、絶対に辿り着けない夢を追った。
身体のハンデは、文字通り壊れるほどの練習量で補って。
そういう意味でさくらは天才だった。
音感は正しくとも、動きにディレイがあるなら、そのディレイ分、早く動くことでカバーをすればいい。そんな狂気めいた努力で。
既に壊れていたさくらの身体。
やがて壊れてしまうさくらの心。
ある意味で、さくらの死は必然だったのかもしれない。
ならば、まさしくそれは呪縛だろう。
少なくとも、ひまわりにとって。
「わたしは、貴女が羨ましい」
さくらの言葉に眉を顰めるひまわり。
羨ましい? 意味がわからない。
「わたしは、さくらに会いたい。あいつが少ないけど残した記憶の残り香。それを知り、わたしはさくらが苦しんでいたのを知った。ワタシのセカイはクライ。確かに暗かったんだろうな。泣いてもいたんだろう。でもさ、悔しいんだ。わたしは今の君よりもずっと大人で、さくらが抱いていた大半の事は、どうにかなったかもしれない事ばかりだった。けれど、さくらが死んだから、たぶん同時期に死んだ”オレ”がその中に引っ張られた、今はそう考えているけど、結局どうであれ、おなじ体を共有しているわたしたちは、背中合わせに立っていると顔が見えないのと一緒で、絶対に交わらない存在だったんだ」
それがとても遣る瀬無くて、悔しい。
わたしは、さくらをぶん殴って、ピアノなんかよりも楽しいことが世界には山ほどあるんだって説教してやりたかった。
本気で怒っているのだろう。女性の所作としては荒すぎるが、黒いジャックパーセルのかかとでさくらは地面を蹴った。
そんな事を言いながら、さくらは呆然と見上げるひまわりの手を取った。
ひまわりは払いのけなかった。
両手を絡め、立ち上がる。
呼吸音が混ざる程に近く、2人は向き合った。
さくらの目は遠くを見つめている様で、だが悔しさを滲ませている。
怒りも。
さくらの中の彼は、本気で憤っている。
ひまわりには不思議な感覚だ。不思議と共感を覚えていた。
死んだ、そういわれて、ひまわりの心に抱えていた何かが、ストンと落ちたのだ。
なるほど、さくらは、やっと楽になれたのか、そう思えた。
呪縛、なるほど呪縛だ。
だがそれは、もしかすると
それを認めたくなくて今日まで生きてきた。
だからそれを認めた瞬間、どこかに旅だったさくらの気持ちを、ひまわりは初めてニュートラルに慮れたのだ。
姉として、最愛の妹へ。
それと同時に、これまでと、これからの、さくらがいない世界を認められた。
彼女は死んだ。それを否定しては、さくらの魂にすら呪縛をかける行為かもしれない、ひまわりはそう思った。
「わたしはどうあがいても、これからもずっと、高科さくらとして生きていかなきゃいけない。オレをわたしに矯正し、生理の対処もブラの付け方も、ブローをして髪をセットし、今日着ていく服を選ぶ。そんな女性じゃ当たり前の事を、わたしがさくらとなった日から、わたしは毎日必死に覚えた」
どこか子供っぽい、そう悪ガキが不貞腐れた様にさくらは言った。
それがどうにもおかしくて、ひまわりは笑った。
そうだろうな、そう思った。
自分が初めてブラジャーを付けた時、母親とのぎこちないやり取りを思い出し、胸がちくりと痛む。
そう言えば、自分の生理はいつも軽いが、さくらは昔から重たかったもの――。
嗚呼、自分はどうやらさくらの死を正しく理解した様だ。
理解してしまったんだ。
記憶を、進行形だった筈の思い出を、過去のものとして今、自分は語ってしまった。
その事をひまわりは寂しく思ったが、これが乗り越える為の第一歩なのかもしれない、と肯定する。
「それでもね」
「うん」
「これまで過ごして、その上で、うん、そう言う資格はないのかもしれないのだけど」
「うん」
さくらは少しはにかんで、言った。
「ひまわり姉さんと、これからも家族でいたいんだ。短い時間だったとしても、わたしは姉さんを愛している。ずっと一緒にいたい」
空を見上げる。
夜景は綺麗でも、空はあいにく曇り空。
ちょっと待って。
もう少しだけ。
今はダメなの。
堪えて、よし、もう少し、今は出てきちゃダメ。
うん、大丈夫。零れずに済んだ。
そしてため息をひとつ。
そうだ、これが私だ。
笑顔、そう、ひまわりの名前通り、輝く様な笑顔で――――
「何言ってるの~? 私はずっと、さくらちゃんを愛しているんだよ~?」
こうして姉妹の旅は一先ず終了した。
問題はいくつもあり、処理しきれない気持ちもいくらだってある。
それでもさくらは前に進む事を選び、ひまわりは過去を受け入れた。
だからこの時から、2人は姉妹として始めたのだ。
札幌の夜景を背に、出口へ向かう2人の手は、まるで恋人の様に絡められている。
それでいいじゃないか――だって、人間だもの。
どこかの詩人の様に、2人は前を向くことを決めたのだ。
だからそう、後はどこにでもある姉妹の日常があるだけだ――
~ Fin ~
「さくらちゃん」
「ん? なあに姉さん」
「話の中身はどうであれ、さっきのシチュエーションはカップルみたいだよね?」
「まあ、うん、構図的にはそうかも……?」
「うんうん。でね? 姉さんを愛している、ずっと一緒にいたいってセリフさ」
「うん……うん?」
「まるでプロポーズだよねえ」
「は?」
「実質夫婦って事でいいよね? さくらちゃん、男だったんでしょ? じゃあまともな恋愛はできないでしょう?」
「……まあ、そうだね。男を好きにはなれないよ」
「ほらぁ、実質夫婦だよね?」
「姉さんってさ」
「うん?」
「時折ほんとに残念だよね」
「むう……、じゃじゃじゃじゃあ、もう言わないからさ、その代わりにね? 男だった時のさくらちゃんが女を口説く時にどんな風にしてたかやって?」
「ええ、無理だって。せっかく女に慣れてきたのにさ……」
「じゃ毎日絡むけど~?」
「なんでそんな鬱陶しい事言うんだよ」
「あ、今のちょっとカッコいいかも……」
「やめなって」
「きゃー、どうして今おでこ突いたの!? 完全にイケメンムーブだよぉ。もうさくらちゃんと結婚するぅ~!」
「もうやだこの姉……」
街へと続く暗がりの、円山の住宅街に彼女たちの声が反響した。
そんな2人に呆れたのか、雲の間から月が顔を出したのである。
ほんとにおしまい
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