第19話 The Door into Summer 試される大地へ⑦
熱気球から見下ろす十勝平野は、言葉で表すのが難しかった。
籠にのって上空に行き、ベテランのお兄さんによる操作で一時間ほどの空中遊覧。
配信はしたままだけど、地上に固定し、リスナーたちは空に浮かぶわたし達を見上げる構図だけで我慢してもらった。
理由はまあ、お姉ちゃんによる決定。
Dからの指令だしね、仕方ない。
これは別枠の動画の方で公開しますっ!
そういう事らしい。
そして上空では、開陽台よりもさらに遠くまで見通せる絶景に黙るしかなかった。
わたしは自然とよこにいるお姉ちゃんの手を握っている。
一瞬驚いた顔をしたお姉ちゃんは、一度顔を伏せた後、強いくらいに握り返してきた。
わたしたちはこれから、旅の終わりへと向かう。
はじめは勢いというか、リスナーから貰った大金を、みんなに見える形で使う事で還元する、そういうテーマ。
そうしてスタートした旅だったけれど、雄大な自然を目の当たりにし、どこに行っても人が少ない事で、わたしも、多分お姉ちゃんも色々と考えるきっかけになったんだろうと思う。
紋別市の観光ホテルで二泊した最初の夜。
あれはわたしの消耗がかなり大きかった事で決めた、予定しない延長だった。
その晩、カニなんかを満喫してリスナーと雑談し、先に眠ってしまったお姉ちゃんをベッドに寝かせた後、わたしはシャワーを浴びてからベッドに戻った。
旅の間は出来るだけ一緒に寝たい。
それがお姉ちゃんの要望だった。
わたしの中の精神がどうであれ、姉妹が旅先で一緒に寝るのはそこまで変な事ではないと思う。
だからわたしは特に違和感もなく、お姉ちゃんと一緒に寝ている。
あの日も特に何も考えていなかった。
シャワーで火照った体を冷まそうと、部屋のバースペースにある冷蔵庫から冷えたモヒートを取り出し、グラスにたっぷりの氷をいれて飲み乾す。
間接照明で薄明るいリビングで、汗が引くまで休憩したわたしは、ベランダに面した大きな窓から暗い海に漁火があるのに気づき、暫く眺めていた。
ベッドルームに戻ると、寝苦しかったのか、お姉ちゃんは布団をよけて眠っている。
白いキャミと体重が林檎三個分の猫がプリントされたボクサーショーツ。
お姉ちゃんが寝る時の定番の姿。
ブラをしていないから、凄い事になっている胸を苛立たしく思いつつ、わたしはお姉ちゃんに布団を被せようとしたんだ。
「さくらちゃん……私を置いていかないで……」
キャミを直そうと近づいた瞬間、わたしはお姉ちゃんに引き寄せられた。
両手を首の後ろに回す様にして、凄い力で。
お姉ちゃんはわたしの耳元で呻くようにそういうと、すぐに寝息を立てていた。
起きていたのか、いや多分、寝ぼけてはいたと思う。
わたしが始めてみる、お姉ちゃんの鋭い声だった。
とてもショックだった。
セリフの内容に、ではない。
もしかすると、お姉ちゃんにはわたしが知らない何かがあって、天真爛漫な普段の姿はある種のペルソナなのではないか、そう疑ってしまった事実にだ。
正直に告白すると、この旅の終わりで全てを清算しようと決めたのは、お姉ちゃんの不可思議な行動が一番のきっかけかもしれない。
とは言え、その結果どうなるか? という部分に恐怖感はあれど、清算自体を避けたいという怖さはない。
覚悟――とはそういう事なのだ。
いま手を握り返しながら遠くを見ているお姉ちゃんに、わたしはあの時の彼女を重ねている。
だからなおさら、旅の終わりを強く意識せざるを得ない。
今は確かに現実で、わたしは久慈直人ではなく高科さくらだ。
そこにもう疑問を持ってはいない。
けれどそれはただ現状を受け入れると決めただけに過ぎない。
どういうことかと言えば、例えばホテルで泊まった朝、起床する。
わたしは真っ先にシャワーを浴びて汗を流し、洗面所でポーチに詰めてきたコスメ用品でスキンケアを行うだろう。
頭にタオルを巻いたままそれは行われ、あらかた終わった頃には髪の余分な水分はなくなっている。
そのまま流れる様にブローをし、手に含ませたワックスを髪に馴染ませると、あの時のスタイリストがしてくれた姿をイメージしてスタイリングを行う。
空気をいれてふわっとさせ、後ろに流すように。
けれど左耳だけを露出させる。
定番となったわたしのスタイルだ。
あとは当たり前にショーツを履き、ブラをつける。
小さくとも谷間は出来る。
そのやり方すらも意識せずに今はしている。
下着自体も毎回どの色にしようか? なんて悩みつつ。
こうやってわたしは、日々女であり続ける。
けどそれは、やはりどう足掻いても己の肉体が女性だから、それに付随した生活習慣に順応しただけに過ぎないのだ。
この旅の中で、リスナーらしき男性に何度か声をかけられた。
顔が整っている若者もいた。
わたしは感謝の言葉を言いながら、それ以上の何かを感じたことは無い。
異性にときめく、この感覚が今の自分から欠損している。
つまり、所詮わたしは男なのだ。
だからわたしは、今後も迷いなく、このルーチンを続けていける。
しかしそれは、久慈直人と高科さくらと言う2つの人格にどう折り合いをつけるのが正しいのかという問題とは別の話なのだ。
わたしはこれを正しい意味で受け入れる為に清算をしなければならない。
お姉ちゃんの、お母さんの、愛しいだろうさくらに自分は成った。
理由や過程はもうどうでもいい。
目が覚めて鏡を覗き込む。そこに二度と直人の顔が写る事は永遠にないのだから。
けれどそれは高科の母娘には関係ない事だ。
たとえわたしが今、さくらとして生きているとしても。
お姉ちゃんが時折醸し出すシリアスは、やはり疑念なのだと思う。
それを含んだ上で、お姉ちゃんは今を肯定している。
わたしは、いやオレは。
前世を含んだ人生経験の中で身に着けた知識や常識、そのフィルターを通して考えてみても、容姿が同じでも、他人の人生を完璧にトレースできるなんて絶対に無理だと断言する。
おそらくそれが、お姉ちゃんが抱く疑念につながっていると思う。
だってそうでしょ。
久しぶりに実家に帰ったとして。
何年も会っていない家族と対面して再会を喜ぶ。
だとしても、何か変化があれば気づけると思うんだ。
あれ? 何か変わった? とか。
端的に何かあったの? とか聞いちゃうと思う。
小さな変化、違和感、それが気づける程に時間を重ねているのが家族なんだし。
今のわたし、オレの宿ったさくら。
果たしてそれは、オレが宿る前のさくらと一緒なのか?
もし劇的に違ったとして、じゃあなぜ姉は何も言わないのか。
言わない理由があるのか。
言えない理由があるのか。
彼女は馬鹿を演じる事はあっても、馬鹿であることは無い。
それはこれまでの少ない時間で理解している。
根は天真爛漫、それはある。
けれどそれが全てじゃなあい。
大学で、職場で、わたしの知らない姉は必ずいる。
だからわたしは清算する。
全てを吐き出し、わたしの気持ちを告白し、その上で判断を向こうに預ける。
わたしはそれを全て受け入れよう。
その上で、わたしはわたしとして生きていく。
だから、
「お姉ちゃん、札幌についたら、話したいことがあるんだ」
遠くに見える大雪山を眺めながらそう言った。
無言、無音――おそらく逡巡。
やがてお姉ちゃんは言った。
ぎゅっとわたしの手を握りなおして。
「うん、待っているね、さくら」
ってさ。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「あ゛~~ダメかな? ……うん、もう少し、がん ば る……」
「……私もだめ……いや、いける?」
【草ァ!】【この姉妹面白すぎる】【チェリーもう休めっ】【もうゲロイン定着しすぎちゃうの】【顔やべえ】【真っ青やもんなぁ】【(50000円)】【無言ニキ……生きてたのか】【だから高速使えとあれほど……】
いやあ、うん、これは失敗だった。
いまわたし達が何しているか。
それは単純に言えば、大型バイクで酷いワインディグが続く峠道を下っている。
なんだけど、峠を越えたあたりから胸がムカムカしてきたんだ。
完全に乗り物酔いのソレなんだけど、こんなになるって思ってなかったから、そもそも酔い止めなんか飲んでないんだ。
日勝峠という、日高山脈を突っ切る道で、わたしたちは朝一番で十勝側の清水町からスタートして、ゴールである日高側までは33kmある道のりの途中。
最初は良かったんだけど、どんどんつづら折りになって行って、短いスパンでシフト操作と体重移動の繰り返し。
いやこんだけ大きいバイクだと、軽くハンドル切っただけだと曲がんないんだよ……。
それで身体もヘトヘトな所に、ふと気が付けばじわじわと吐き気が……。
路肩にある標識に、今何合目みたいな表記があるんだけどさ、漸くてっぺんを過ぎてやったー! とか言ってたのも束の間、下りも十分アレだった……。
あのね、有料道路を通るルートを拒否したのはわたしなんだ。
お姉ちゃんは止めよう? 素直に乗ろう? って言ってたし、リスナーもやめとけの大合唱。
それで多少意地になっていたことは否定しない。
けど、ゴールが近づいて、旅の終わりを意識したら、わたしの中で「まだ終わりたくない!」って欲求が芽生えたんだ。
ゴールが札幌っていうのは、帯広郊外のラブホで一泊した夜に決めた。
お姉ちゃんと話しながらさ。
いやでもね、前世でもラブホは利用したことはあるよ。
女性と入るだけじゃなく、仕事で半日時間があいたけど、夜接待だから家にも帰るのもなーとかって時に、休憩で入ってシャワーを浴びて昼寝をするとかで。
けど事情は色々あるにせよ、姉妹でラブホは色々アレだったんだな……。
何がってやはりそういう目的のホテルだからさ、しかも北海道の田舎ってのもあったのか、今時巨大な丸いベッドで、あちこち鏡張りなんだもの。
お風呂だって全面ガラス張りだから、お風呂に入ってる姿は丸見えだし、意図的なんだろけど、トイレもそうだからアレでしょ。
実際お姉ちゃんが先にお風呂入ったんだけど、お姉ちゃんが巨大な胸を持ち上げて、南半球の下をごしごしと洗っているシーンを睨んでいると、思いっきり目が合ってね……気まずいにも程がある。
まあその気まずさが嫌になって、わたしは服を脱ぎ捨てると、一緒に入ると開き直ったんだ。
まあいい……。
そんなラブホの夜に、最終的には苫小牧のフェリーに乗るけれど、エンディングは札幌にしようって提案したんだ。
理由は色々あるけれど、主に夜景が綺麗なポイントがいっぱいあるからさ。
旅動画として上げる方の演出的にもいいんじゃない? って感じでお姉ちゃんも同意してくれた。
だから十勝から札幌方面に向かいつつ、その間にある見るべき場所に寄り道をしていこうとルートを大まかに決めたんだ。
話を戻すと、そうやって明確な終わりを感じたわたしの悪あがき的な感じ。
みんなが止める中、「お姉ちゃんとのんびり旅を満喫したいんだよ」とじっと見つめながら言うと、もじもじした挙句「……うんっ」と同意してくれた。
その結果がコレだよ……。
お前らもさ。
コメントで【あら^~】だの【尊い】だの掌返してないでもっと必死で止めてよ……。
役に立たないなあもう!
運転してるわたしも大変だけど、実はサイドカーも割と大変なんだよ。
当然自家用車に乗り心地は叶う訳もない。
それにね、車高と乗員のポジションの関係で、視点がね地面スレスレに見えるんだ。
だから体感速度もおそらく実速度の+2、30kmに感じると思う。
これは前世での経験で理解している。
わたしは接待絡みで結構大きなゴルフコンペに出たことがあるんだ。
ハンディキャップは30の上手いとも下手ともいえない腕前のわたし。
それは医療系企業が協賛してお金を出している大きなプライベート大会でね。
30位くらいまで、割と豪華すぎる商品ももらえる。
参加しているドクターや関係者も300人はいるのかな?
わたしは自分の会社の代表で出た。
で、当然接待的な意味で本気は出せない。
なので絶妙に手を抜いた結果、なんかブービー賞を貰ったんだ。
その景品がまさかのフェラーリ・テスタロッサ。
当時はもうエンツォとかが発売されていた時代だから、中古市場でも500万前後で買えたと思うよ。
種明かしをすると、関係者の某医院の理事が、新しいフェラーリを買うっていうんで寄贈したんだね。
で、メンツを潰すのもアレだし、一応登録はしたんだけど、やっぱ自分はオートマのゴルフやアウディでいいやって思ったね。
イタ車だからマニュアルなのは当然で、クラッチがとんでもなく重い。
クラッチ自体の遊びが殆どないから、かなりシビアにつながないといけない。
ハンドルの遊びもほとんどないね。
だから高速走行中は、少し切るだけでカクカク曲がる。
問題は街乗りで低速で走る時に、回転数を上げないとデンジャーって警告ランプが付くんだよね。
ドイツ車みたいなターボ車じゃないから、高回転型のV型12気筒で排気量も5千近くあるエンジンなんだね。
だからノロノロ走っていると、簡単にプラグがカブる。
で、シートポジションがとんでもなく低くて、自分で運転してみると、100kmも出てないのに、その倍くらい出てるって錯覚するほどの加速感がある。
笑っちゃうよね。ニュートラ状態で空ぶかしすると、生ガス吹いてバックファイヤーするんだよ。
見た目があんなだけで、中身はレーシングカーだよ……。
結局これは波風立たない様に配慮しつつ処分したんだけど、二度と外車のピュアスポーツカーは乗る物か! と決意したね。
スーパーカーは外から眺めるのが正解だって思った当時のわたしさ。
話がそれちゃったね。
だからお姉ちゃんのダメージもかなりあるんだな。
登りの時、ヘアピンカーブの時に絶叫してたもの。
リスナーの中のMP3職人が歓喜するレベルで。
で、だ。
この峠、上のあたりにドライブイン的な場所がない。
どっち側も下の方じゃないとない。
ちなみに十勝側では結構な数の食べ物屋とロー●ンがあったよ。
それに、降りたとしても延々と細い道を行くことになる。
じゃあ有料道路に復帰するかと言えば、降りた後、かなーり走って「むかわ穂別IC」まで行かないと乗れない。
つまりまだしばらーーーーくこの地獄は続く!
「ごめんお姉ちゃん、次のエスケープゾーンあったら停まるわ……」
「うん、休憩しよぉ……」
【嘘だゾ絶対吐くぞ】【せやな】【しゃあない】【反省しろよチェリーィ!】
【しゃあない。久しぶりのイキりや許したれ】【もう許した】【お前の基準ガバガバすぎひん?】【wwww】
人のいう事は良く聞きましょう、そう思った。
でもそう、多分わたしは不安定になってたんだろうね。
うん。
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