アフター① 姉の独り言


 さくらが笑わなくなったのは、一体いつからだろう?

 家族の反対を押し切って、さくらは上京した。

 高校進学に合わせての上京。

 普通なら、姉として笑顔で送りだすべき事柄。

 けれど素直にそう思えない理由があった。


 上京の理由は、お父さんに憧れた結果、職業としてのピアニストを目指すため。

 でもさくらには音感の良さに才能はあったけれど、ピアノのソリストとしての才能は無かった。


 これはさくらの先生が断言したことだ。

 先生はピアニストとしても指導者としても実績のある方だ。

 そんな彼女が断言したのだ、間違いはないだろう。

 だがそれは決して本人に伝えられる事は無かった。

 止めたのはお母さんだ。


 けれどクラシック畑はとても保守的な世界。

 どのパートでも楽器は高級品で、弦楽器などは芸術品としての価値も高く、買おうとしてもオークションか、持ち主から直接譲ってもらうコネが無いと手に入らない程。


 当然世界を駆けまわるソリストは、演奏の才能以外にも求められる事も多々ある。

 天才なら成り上がれるのでは? 素人的にそう思いがちだけど。

 ただクラシックの世界が特殊なのは、古典という伝統を重んじる面が大きい。

 なぜなら、その優れた楽曲を生み出す天才たちは、既にあの世にいるからだ。

 

 現代でも天才は多くいる。

 音感に関して言えば、さくらもその類だったろう。

 けれど、いわゆるクラシックの楽曲とは、1550年あたりから生まれた物だ。

 現在から見れば500年近くも昔。


 コンピューターや電気の概念が存在しないアナログの時代。

 娯楽であり権力の象徴であり、宗教であったクラシック楽曲は、無数の人間の勝ち組への登竜門でもあったという。

 封建社会が当たり前の時代に、人間以下の平民が才能と運があれば成り上がれる可能性のある分野。


 それが芸術。貴族等の尊い義務を持つ層には、大金をはたいて芸術家のパトロンになるというのがステイタスだったのだ。

 誰でも、という訳でもない。

 素晴らしい作品を生み出す芸術家を、市井から見出した、その審美眼こそ周囲に敬われる理由になる。


 だから見出される側も死ぬ気で取り組んだだろう。

 よくハングリー精神なんて言うけれど、本当にハングリー精神を発揮できるのは、ポーズでもファッションでもなく、事実として追い込まれている人間が魅せる奇跡を、言葉として端的に表したものだと思う。

 その追い込まれるというのは、比喩でもなく、文字通り、失敗すれば死すら現実となりえる、という意味だと思う。

 

 偉大なコンポーザーたちは、まさにそういう環境の中で勝ち上がった奇跡の体現者だろう。

 もちろんそれなりに裕福な家の出身の者もいただろうけれど。

 ただ時代的に圧倒的に命が安い時代では、命がけで取り組み、立身出世を願う人が多くいたんだと思う。


 だからこそ、時代背景も絡んだ土壌で生まれた名曲たちは生まれるべくして生まれ、逆に豊かさが飽和した現代では、同じくレベルの作品が生まれる可能性を限りなく低くした。


 とは言えそれはクラシックに限らないだろう。

 それは現代で流行している音楽、例えばポップス。

 それだって「今の音楽はくだらない」と年長者が吐き捨てるのをよく聞く。

 くだらないかはその人の価値観だし、私にはどうでもいい。


 けれど事実として、確かに60年代や70年代は世界に戦争や貧困が現実問題として存在して、社会にはドロップアウトしてしまう人間が多くいた。

 人種差別やドラッグ。労働者階級と特権階級の軋轢。

 世界は閉塞感に満ちていた。

 

 そういう中で、カントリーミュージックに扮した社会風刺が生まれたり、攻撃的なパンクミュージックが若者の心を捉えたり、或いは化粧に服装と中性的なスタイルで世間をあざ笑うグラムロックが台頭したり。


 それらを生み出した天才や奇才達も、現代には無い社会の問題に苛立ったり、逆に悲観したりして、それらが原動力となってこの時代の音楽は生まれた。

 結局、クラシックと同様に、時代背景に即したそれらは生まれるべくして生まれ、現代では社会が共通認識としての飢えを共感できないから、新たな物は生まれにくい。


 だから現代の天才扱いをされるクラシックのコンポーザーも、その楽曲はどこかで聞いたフレーズが入っていたりする。

 だからこそマスターピースと呼ばれる作品群が存在し、人々はそれに魅了されるのだ。

 

 例えばフランツ・リストのパガニーニへのリスペクトからパガニーニの協奏曲をアレンジして生まれた難解すぎる名曲「鐘」にしたって、無数のソリストたちが自分の曲にしようと挑戦し続ける。

 ベートーベンにしろバッハにしろ、新しい曲が生まれる以上に、過去の名曲をどれほど上手くやれるか? という思想の方が上回っている。


 だからある意味では保守的と言いつつも、伝統に真っ向から挑戦していると思えば、保守的とは言い切れないのかもしれない。

 そんな場所にさくらが憧れ、そして目指したとしても、おそらく卒なくはやれるだろうが、彼女の希望が高ければ高いほど、現実を知ったときに折れるだろう――先生が言うのはそういう事だった。


 私にはピアノの事はわからない。

 お父さんはジャズの人だから、そもそも畑は違うけれど。

 そんなお父さんが久しぶりに帰国したある日、彼は戯れに「イパネマの娘」をジャズアレンジで演奏した。

 うちではあまり演奏をしないお父さんが、さくらの身長が伸びた事を喜び、気まぐれにプレイしたのだ。


 小さな頃からお父さんをヒーローだと思っていたさくらは、「わたしも弾きたい!」と目を輝かせた。

 久しぶりに会えた大好きな父親に甘えたかったのだろう。

 年に4、5回しか帰宅しないのだからそれも当たり前か。


 お父さんは最近ランドセルを背負いだしたさくらを膝に抱き上げると、連弾をしながら一音一音、指一本で教えていく。

 さくらは初めて鍵盤に触れる。だからそれは決して上手じゃなかったけれど、音の連続が繋がったときに、曲のように聞こえた瞬間、さくらは興奮したように騒いだ。


 それがきっかけだった。

 ピアニストを目指すと言い始めたのは。

 その元凶たるお父さんの、メインの楽器はギターだというのに。

 

 ――まあ、飽きるまではやらせてみよう。


 それが呪いの始まりだった。

 そのことで私はお父さんを憎んでいる。

 貴方が、気まぐれにしか帰ってこない「父親の様な何か」でしかない貴方が、きまぐれにさくらを誑かしたのだ。


 世界中で引っ張りダコの貴方には、さくらに才能が無いことはわかったでしょうに。

 それを責めるのはお門違いでしょうけれど、恨まずにはいられない。


 さくらの音感は凄まじく、一度聞いた音は外さない。

 ――おねえちゃん、風の音はこうだよっ!

 目に見えない風の音を音符に変換し、さくらはそれを誇らしげに教えてくれた。


 けれど、身体がついていかないんだ。

 先天的に持っている神経疾患。

 脳に問題があるとかで、これをしようと脳が決めても、それが肉体の末端に届くまで、少々のラグが生じる。

 病名は複雑すぎて覚えていないけれど、難病の一種だそうだ。


 さくらは何かに憑りつかれた様に練習に打ち込んだ。

 次にお父さんが帰ってきたら、上手くなったのを見せるんだと言いながら。

 彼女は時間が許す限り、とにかく鍵盤をたたき続ける。

 自宅の空き部屋は防音加工がされていて、いつでもピアノが弾ける環境だものね。

 お母さんがやんわり止めても、私が怒鳴りつけてもさくらは止まらない。


 ハンデを背負っているさくらは、それでも努力でどうにかその欠損を埋めていった。

 中学レベルのコンクールで上位入選できる程度には。

 家族の贔屓目を差し引いても、さくらの容姿は人目を惹く美しさだ。

 当然それも彼女の一部としてカウントされる。


 浮世離れした欧米人並みの容姿。

 中学生としては上等な腕。

 閉塞したクラシック界の新星か、なんて業界紙では騒がれていたっけ。


 ――ひまお姉ちゃん、わたし、お父さんみたいになれるかな?


 なれないよ。

 ならないでよ。

 爪痕だけ残してあっさりと死んだあいつになんてなるな。


 ――ひまお姉ちゃん、泣いてるの? だいじょうぶだよ。さくらがいるもん!


 家が裕福というだけで、子供の世界では揶揄いの対象になる。

 私は小学校の低学年の時から虐められていた。

 お前の親父、有名人だよな。

 お前んち、金持ちでいいよな。

 ひまわりちゃんはいいよね。綺麗だしお金持ちだし。


 全部私に関係ない物ばかりだ。

 毎日が憂鬱で、今思うと、きっかけさえあれば自殺でもしていたと思う。

 それほどに、私の世界は真っ暗で、叔母さんとお母さんが、家の事で罵り合うのを見るのが苦しかった。


 お母さんも苦しかっただろう。

 でもそんな母さんを支えなきゃいけないお父さんは、数か月に一度しか帰ってこない。

 だから誰も私を助けてくれない。


 さくらだけだった。

 情緒不安定な私が、近寄らないでと突き放しても。

 えへへと笑いながら、ひまお姉ちゃん泣かないでと、精一杯背伸びして頭を撫でてくれる。

 どれだけ私がそれに救われたか。


 告白しよう。

 私にとって、世界はさくらと私、それだけあればよかったんだ。

 さみしいくせに、たまに帰ってくる父親へ健気に、気丈に振る舞う母さんも憎かった。

 さくらだけが、私の世界に色を与えてくれた。


 そのさくらが、先生にいつかは折れると予告されているのに、上京すると言い出した訳だ。

 私は思いっきり叫びたい衝動に駆られた。

 高校進学の願書をどこに出すか、そんな時期にさくらは、家族に相談も無く決めてしまった。


 どこか歪な我が家。

 そこかしこに軋む音は昔からあって。

 お母さんはお父さんが死んで以降、笑顔を絶やさないだけの人形になってしまった。

 だから彼女はさくらをちゃんと見ていない。


 うちが高科の本家から法的にも分離した際に、いくばくかの現金と、唯一譲渡された東京のマンション。

 さくらはそこに一人暮らしをしながら、音大を目指すための私立に通うという。


 お母さんは一度も止めなかった。

 この頃のさくらは、かなりの障がいが表に出てきていた。

 夜、トイレに起きると、夜叉のような表情で、鍵盤に拳を落とすさくらを何度も見ている。

 通院もこっそりしていたみたいだ。


 母さんはそれを見て見ぬふりをした。

 保険の通知でどれだけの医療費がかかっていて、どんな科にかかったのか、そんなのすぐにわかるのに。

 さくらが求めるままに小遣いを渡し、「あまり買い食いなんてしちゃダメよ」なんて、全部わかっている癖に、娘の夢を後押しする理解のある母親を演じている。


 多分、お父さんの面影が強いさくらを傍で見たくなかったのだ。

 さくらはもう、壊れかかっていたというのに。

 それでも結局は、さくらは家から出て行った。


 ――えへへっ、お父さんみたいになるからねっ! 行ってきます! ひまお姉ちゃん。


 なるなっ!

 なるなっなるなっなるなッ!!

 どうして私は引っ叩いても止めなかったんだ。

 どうして私は、地面に這い蹲って泣いて見せ、情に訴えてでも止めなかったんだ!!!


 そして決定的な瞬間がやってきた。

 随分とさくらも東京の生活に慣れただろう2年生の頃だ。

 通学中のバスが事故で横転したと連絡が入ったのは。


 どうしましょう。どうしましょう。

 壊れたレコードの様に電話口でそう繰り返すお母さん。

 それを見ていた私の髪の毛が、怒りで逆立ちそうになりながらもどうにか抑える。 

 そして私たちは東京に向かった。


 ――えへへっ、ごめんねひまお姉ちゃん……わたしの手、動かなくなるんだって……


 私は泣いた。

 ベッドで弱々しく微笑むさくらを抱きしめて。

 生きてさえいてくれるだけでいいの。

 私はそれしか言えなかった。


 さくら、どうして申し訳なさそうに言うの?

 いいんだよ諦めてくれて。

 私たちは、いや、私は、さくらがピアニストになってほしいなんて、一度だって思った事は無いんだよ。


 でもどこか救われた表情にも見えた。

 そうだよね。

 ずっと隠してきたもんね。

 無理だって知ってたのに、お父さんになりたくて止まれなかっただけだもんね。

 

 さくら、もう大丈夫だよ。

 事故で、手が動かなくなったんだもの。

 だからピアノは弾けないもんね?

 仕方ないんだよ。後遺症・・・で弾けないんだから。


 私は一縷の希望を見た。

 さくらに憑りついた呪いが、お父さんの呪縛が。

 これで断ち切れた、そう思ったんだ。


 浅はかな私。

 結局私もお母さんと一緒だった。

 見たい物しか見ようとしなかったのだ。

 本当なら、自分も一緒に住む、そう押し切っても良かったのに。

 

 退院後、さくらは高校だけは卒業するよと言った。

 ピアノはもう無理だけど、友達もいるからって。

 お母さんはほっとしていた。

 友達もいるなら、さくらは元気になるだろう、そう思ったんだろう。

 私もそう思った……。


 さくらのブログを知ったのは偶然だった。

 同郷で、さくらとよくコンクールで競っていた子と千種の駅でばったりと出会った。

 私とさくらは身長は違うけど、顔の造り自体は似ているから。


 垂れ目がお母さんの遺伝で私は垂れ目。

 釣り目がお父さんの遺伝でさくらは釣り目。

 差と言えばそこだろう。


 ――さくらさんのお姉さまですか?


 そう声をかけてきた彼女は、さくらが心配なので連絡を取りたいという。

 聞けば切磋琢磨していた当時、つまり彼女たちの中学時代に、さくらと彼女はメールアドレスだけ交換していたそうだ。

 交換したきっかけはコンクールで。

 

 けれど最近になってアドレスを変えたらしく、連絡が取れなくなったという。

 さくらが家族にも内緒で中学の時から更新していたブログがあるらしく、父さんの好きなエディットピアフの代表曲「La Vie en rose」から借りた「薔薇色の人生」というブログタイトルで、でもいつの間にか「涅槃の住人」という物に変更されていた。


 ブログの内容も高校生が綴るには重たい物ばかり。

 彼女は苦笑いしながら「言ってはなんですが、メンヘラ……って言われてもおかしくない文章で……」と言うと、すみませんっと慌てて顔を伏せた。

 

 それに昔は読者のコメントが書き込めるようになっていたのに、今は閉じられていてブログ経由で連絡もできない。

 さくらがどうであれ、彼女は純粋にさくらを心配していたのだ。


 私は「いまスマホを修理に出しててわからないの。戻ってきたらお知らせするから、貴方の連絡先を教えて」とウソをついた。

 そして自宅に帰りPCからブログを確認。

 

 絶句した。

 涅槃の住人なるタイトルに変更し、文章が重たすぎる詩的な物に変化した最初の日付は、さくらが家を出て東京に向かった日からだった。

 意気揚々と、お父さんみたいになるからねと笑って背を向けて出て行ったあの日だ。

 

 さくらはとっくに壊れていたのだ。

 高校生活の楽しさを伝えてくるたまの電話、それは彼女の仮面だった。

 それを知った瞬間、私は死にたくなった。

 自分の馬鹿さ加減に、能天気さに。

 

 それからの私はことあるごとにさくらの住むマンションに通った。

 それしか出来る事が無かったのだ。

 SMSでメッセージを送ろうと、返ってくるのは今日の天気。

 文字数いっぱいにメールを送ってもそう。


 それだって、私が泣きながら返事だけはしてと強要したからだ。

 壊れてしまったさくらは、家族の言葉すら煩わしかったんだと思う。

 まるで風邪で寝込んだとき、身体に触れられると苛立つ時の様に似ていて。

 

 家を訪ねても、ドアは合鍵で開けられても、チェーンは常にかかっていた。

 声だけは聞こえる。


 ――ひまお姉ちゃん、ごめんね。帰ってほしいの。ごめんね。

 

 どうして謝るの?

 謝るべきは私なのに。

 さくらはとっくに死にたかったはずだ。

 それを私は、私が死なない・・・・ために貴女を縛り付けたのだ。

 貴女に死んでほしくない、それは本心でも、さくらという楔が無ければ、とっくに私は世に絶望をしている。そういう事だ。


 その後、さくらから私に小包みが届いた。

 中身は私たちが子供だった頃、父さんがロシア公演のお土産にと買ってきた、マトリョーシカの絵が入ったお菓子の缶。

 さくらは妙に気に入って、私とさくらの分と言って2つ渡されたのに、珍しく駄々をこねて両方さくらが持っていったあの缶が送られてきたのだ。


 中はがらんどうだった。

 白い折り鶴が一匹いただけ。

 それは便せんで作られていて、筆圧の強いさくららしく、裏側に文字が透けていた。


 私は何か叫んだかもしれない。

 震える手で開こうとした。

 何度も破れそうで、必死に抑えつけながら。

 いやな予感がしたのだ。


 そこには、余白が一切ないほどに埋め尽くされた、さくらの書いた独白だった。

 私に向けた手紙じゃない。

 便宜上私に送るという体を取っただけの、彼女の最後の悲鳴だった。


 綴られているのは長い長いさくらの独白。

 ――さようなら、ひまお姉ちゃん。わたし、疲れちゃった。

 最後はそう締められていた。


 わたしは既に眠っていたお母さんに声をかけもせず、クレジットカードだけを手に、駅に向かった。

 この時ほど、自分で車が運転できない事を呪ったことは無い。

 けどギリギリ、新幹線の最終に間に合いそうだった。


 名駅についたころには、残念ながら最終は出た後だった。

 呆然と立ち尽くす私は、なぜか気が付くと売店でういろうを買っていた。

 東京に住む妹に会いに行く、そういう日常的なシーンを取り繕う事で心の平静を保とうとしたのか、それは私にもわからない。


 そしてタクシーを捕まえ、東京に行ってくださいと頼み込む。

 ドラマじゃないのだ。名古屋から東京まで行ってくれるドライバーは簡単に見つからない。

 結局は7台目の運転手さんが行ってくれた。


 高輪についた時には午前十時を回った頃だった。

 抑えきれない体の震えを無視しながら、私は鍵を開けた。


 ――あ、えっと、その、姉さん?


 ドアはきちんと開いた。

 あれだけ長かった美しい髪をバッサリと落とし、男の子みたいな恰好のさくらがそこにいた。

 私を姉さんと呼ぶ、さくらっぽい誰か。


 ――昔はお姉ちゃんって呼んでくれたのに


 そういうと、さくらは伏し目がちに微笑みながら、


 ――ごめんね。お姉ちゃん。


 さくら、あなたは一度だって私をお姉ちゃんって呼んだことは無いよ。

 でもね、あなたがそこにいてくれる。

 私を姉と呼び、無邪気に振る舞う私に向かって困ったように笑いながら、それでも距離をつめて来ようと足掻く貴女が、そこにいてくれるだけでいいのだ。


 ――さくらは、死んだのだ。


 それでも、私の世界には、まだ色が残っていた。

 


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