第11話 everyday life ②
「……うわ、すごい」
マンションの傍にあるコンビニのATM。
お財布に少し現金を入れとかなきゃとまずは残高照会をすると、あり得ない金額が振り込まれていた。
思わず後ろに視線を向ける。
誰かが覗き込んでたら怖いと思って。
そんな事はなかったけれど。
慌てたにしても挙動不審すぎたかな。
ムーツベの収益化の際の振込口座は、さくらが使っていなかった通帳を見つけてそれにした。
都市銀行だし、支店も近所にあるからね。
理由はまあ、保険金の振り込みがあった口座をメインバンクにしていたんだろうけれど、カードの引き落とし口座にもなっているから、何となく。
一緒にしたら面倒かなぁ? ってさ。
姉さんのアドバイスもあり、税金関係でわかり易くするためもあるけど。
いまどきネットでの金銭トラブルも無いだろうけれど一応と予防のためにも気をつけなきゃだし。
一応ムーツベに登録しているメールアドレスに収益金の振り込みがあったとの通知を見てはいた。
急いでいたからきちんと見てないけれど、多分金額も乗っていたんだろう。
で、実際の口座残高は100万を越えている。
端数もかなりあるから、ムーツベ側の細かい計算式みたいなのがあるんだろうね。
その結果コンビニで何かを買うつもりだったのにそれも忘れ、オレは品川駅付近にあるホテルのラウンジカフェに駆け込んだ。
そしてスマホから銀行の取引詳細を閲覧した。
なるほど、サイト側の手数料が10%程度差し引かれるも、ほとんどが手元に来るみたいだ。
リスナーによるいわゆる投銭が収益の大部分だけど、30%くらいが動画関連の広告収入らしい。
あまり意識しなかったけれど、姉さんが今までの生配信のタイムシフトが残っている奴を編集して、動画として残しているから、そっちの再生数も平均で20万ほど行ってるそうな。
その動画に最低限挟んであるCMの金額が結構大きいみたい。
その仕掛け人である姉さんと言えば、長い休暇も終って帰っていった。
こっちに住む! とか騒いでいたけれど、大学を辞める訳にいかないからね。
崎陽軒のシウマイ弁当を3つ買って新幹線に消えていった。
相変わらずの胃袋である。
「でもなあ。お金貰っても仕方ないんだよね」
空になったコーヒーカップを突きながら呟く。
周囲に人がいないからね。
オフィス街と言えど、週の真ん中の午前10時だもの。
まばらに客はいるけれど、ほとんどは喫煙エリアに偏ってら。
ほんと喫煙者には世知辛すぎる世の中だよねえ。
昔は喫煙者だったから尚更そう思うけれど。
確かに他人の煙草の匂いとかは喫煙者当人でも嫌な物だ。
まして今の自分は女だし、髪や服に臭いはつけたくない。
恋の相手の性別がどうであれ、事実オレは女なのだ。
歯が黄色くてヤニ臭い女とか駄目でしょ。
そうだとしても、喫煙者だけ締め付けられるのは可哀想だとは思う。
煙草の税金も多いんだしね。
煙草が健康に害のある嗜好品だから高額の税がかけられる、というのが表向きの理由だ。
なら食品添加物と凄まじい糖分だらけのスナック菓子類や清涼飲料水だって一緒だよね。
我ながらひねくれた考えだとは思うけれど。
けど世界はヘルシーな日本食ブームになっているのに、当の日本人は肥満体質だらけでしょ。
それって高カロリーな食事や間食に慢性的な運動不足が原因なわけで。
ほーら政府の偉い人、どんどんお菓子やチョコ、ジュースに税金かけなさいな。
「ふふっ……あ、ごめんなさい。ブレンドおかわりください」
「かしこまりましたっ」
駄目だ。
間抜けな含み笑いが漏れてしまう。
横に可愛らしい制服の店員さんがいて見られちゃったよ。
慌てて追加オーダー。気を付けねば。
というか含み笑いの声がモロに女の子しているから、少し遅れて自分の声だって気が付く。
こういうのを思うと、まだ完全にアジャストしてないんだなあと実感。
笑ってしまったのは、オレにもひどいブーメランが思いっきり刺さってるなって思ってね。
口座に金があるから仕事もせずブラブラしているんだもの今のオレ。
それも事故の保険金というね。
なら怠惰に生きればオレも肥満になりそうだし気を付けないと。
さくらボディはかなり小食だけど、身体を動かさないでいると増えちゃうと思うしね。
まあ一応毎日の日課の様に、けっこうな距離を散歩しているからいいのだ。
食材を買うのはおもに品川イ○ンタウンで、そこまで歩いてるんだからね。
数キロはあるでしょ。充分だよ。帰りはタクシーのっちゃうけど。
バイクはキャンプにつかったおっきいのと、元々あった883のスポーツスター。
どっちも買い物には向かないから使ってない。
なので徒歩が多くなっちゃうんだよな。
しかし収益ねえ。
金額自体はキャンプの前に買ったバイクの価格に届くくらいだ。
けどこれを自分の収入と言い切って使うのは気が引ける。
いや悪い事とは思わないけどさ。
だってムーチューバーとか言われている、これを生業としている人もいるんだ。
そう言う人は動画なんか毎日あげたりとかしてる。
自分で放送をしてみて思ったんだ、これ毎日はやりたくないってさ。
それは自分を切り売りする事へのストレスとかじゃなくてね。
単純に面倒臭いんだよ。
何がって放送をしながらそれを管理するあれやこれ。
姉さんがいる時はいいんだけどさ、1人でやるとなると、例えば放送に音ズレみたいなラグが起こったりとか、チャット欄を荒らす人が出たりとか、リアルタイムで対処しなきゃいけない事も実際多い。
けどオレ自身、PCは仕事で長年使っていたからそれなりに使えるけれど、放送の為の機材とかアプリなんかは、有志の作ったWIKIとか見ながらじゃないと対処できないからね。
自慢げに言う事でもないけれど。
なのでイレギュラーが起きたら無理って言って番組を切るしかない。
実際姉さんが帰ってから5,6回の放送をしたんだけど、2回くらいトラブルが解決できなくてやめた。
オレは見ないけど、姉さんがラインで教えてくれる掲示板でのリスナー達からの反応を聞く限り、その素人っぽさがいいのだと肯定的には見られているけれどさ。
だからマメに、能動的にやっている人たちと比べ、圧倒的な片手間感のあるオレが大金を貰うって事に気が引けるのである。
いやこれが当然とか思っちゃ駄目だよ。
なんか人として終わる気がする。
オレが古臭い考えにとらわれているにしてもだ。
なんとなく面白がってるだけのチェリーに対し、多額の金が投げられたとしても、人は慣れると飽きるからね。
コメントでは一生推しますなんてよく見るけれど、それはまあノリって奴だろうし。
それを真に受けたらアウトだ。
まあそんな訳で、いつまでライブ配信をするかは決めていないにしても、やるからにはこっちもスキルアップしないと駄目だなあと。
それゆえに面倒臭い、なんだ。
今やお金を払われる側になってる以上、来てくれている時間の間、リスナーと向き合う必要があるというか。
そりゃね。
今のオレの容姿は、手前みそな感想を差っ引いても普通以上に整っているだろうさ。
それを見て男性的な欲望を持つリスナーだって多いんだろう。
言ってしまえば小さな世界のセックスシンボル的な。
モンローやマドンナとは規模がアレだけどさ。
けど元男性だからこそ、その感覚はわかる。
若い時は週刊誌の袋とじのグラビアアイドル、その然して際どくも無い水着でもムラムラできた経験もあるし。
でも何というか、それは上手くいなせるんだな。
モロに向けられているのを感じてはいても。
だって今のオレ、多分だけど感覚的にはオンラインゲームで性別を偽ったネカマみたいなもんでしょ。
いや語弊はあるけれど、イメージ的に。
体も服装も間違いなく女だけど、精神はどう足掻いても男って言うね。
だから一歩引いて自分を見ていられるというかさ?
けど身体に馴染むたびに、口調も全部女に寄って行っている。
思考の中での一人称は、意識してオレと言うけれど。
それは流されてどうにかなるのが嫌だという最後の抵抗みたいなモンだ。
何というか、元のオレ、その人格が消えるみたいで寂しい。
怖いと言ってもいいかもな。
それはそれとして、この収益はいずれリスナーに還元する為に使おうと思う。
なんか法律とかで現金とか電子マネーとかを直接プレゼントするのは駄目らしい。
だったら放送のクオリティをあげるための機材とかに使えばいいかなと。
その結果どうなるかは知らないけれど、やってみる価値はあるかなって思う。
とりあえず姉さんに相談してみよう。
【さくら】姉さんそうだんがある
【ひまわり】なに? なんでも言って
スマホでアプリを開いてテキストを打ち込む。
すると20秒くらいで既読どころかレスがあった。
姉さん、早すぎてびっくりだよ……。
大学にいるんだよね?!
☆☆☆☆☆☆☆☆
収益の使い方について姉さんと相談して決めたのは、周辺機材のグレードアップをしようという事。
放送用PCをさらに高スペックなやつを導入する。
キャンプ放送で反省点のあったカメラ関係を充実させる。
有線・無線、どっちも対応できる高性能マイクの導入。
ざっくりとこんなところか。
細かい理由としては――
チェリーのチャンネルの今後の方針については、ツーリングとかキャンプ放送の評判的に、姉さんは野外放送がオレのメインにすればいいのではとの事。
その為にはやはりカメラは複数ある方がいい。
高感度で夜でも映像をストレスなく撮れる物とか、防水面とか。
そうなると当然、それに付随した理由でマイクだねってことになる。
後は姉さんがいる時限定とつよく念をおされたけれど、リスナーが喜びそうという理由で、バイノーラルに対応したマイクとか。
詳しくは知らないが、ステレオ放送の凄いやつとかで、マイクを中心として音声が飛んで来た状態を正確にとる事が出来るとか。
つまりまるで自分の耳元近くで誰かがささやいているみたいな臨場感を得られるとか。
それだけ聞けばオレでもわかる。
エロ目的だろそれ。
まあ理解できなくもないけれど。
PCを新調すべきと言うのは単純に、OSがWIN系の方が色々なアプリを使えるかららしい。
なので今のマックブックはサブPCとして使うといいよってさ。
あとは保険としてWIFIタイプのタブレットも買うといいと。
一応今後の配信とかは、姉さんにディレクター目線でアドバイスをもらうってことにした。
その方が間違いないだろうし。
自分でもリスナーにストレスがかからないようにスキルアップはしなきゃいけないにしても。
ま、そんな感じかなあと思いつつ、もう一杯コーヒーをおかわりした。
結局最初はラインアプリでのテキスト会話だったのに、気が付けば音声会話になってて笑っちゃった。
姉さんは大学でランチ中だったらしいけれど、友人だろうか?
漏れてくる声が「誰? 彼氏?」とかいかにも女子トークって感じだったし。
なんだか微笑ましいとか思いつつも、姉さんが「ま、そんなとこかな?」とかドヤってるのが聞こえ、この姉はもう駄目かもしれないとか密かに思ったり。
そんな感じで、いつの間にか、カメラの向こうの顔も知らない大勢とのコミュニケーションを待ち遠しく思っている自分に気が付き、軽い驚きを感じたオレである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます