Dec.23

まりもっち

その日。

 人類の明暗を託された最後の作戦が、いよいよ今夜に決行される。時は西暦20XX年、12月23日。2日後に訪れるクリスマスを、来年も再来年も同じように祝えるか否かの分水嶺だ。

 "終末の日"が定められたのが3年前。各国の首相や政治家、有能な学者や医師たちなど選ばれし民を乗せたノアの方舟が、遠い宇宙へワープするどころかほんの数ミリ浮き上がることすら叶わず爆発四散したのが1年前。

 絞りかす同然となってしまった人材と資源をかき集め、なんとか完成に漕ぎ着けた第二の方舟は、たった2人の搭乗員と、分け合って半年持つかどうかの食糧を積み込むのがやっとという代物であった。

 もし、奇跡的に人が活動できそうな惑星近くの座標を捉え、奇跡的に空間跳躍が成功し、奇跡的にその星での定住が可能になり、奇跡的に産めや増やせやで人口が増え文明が栄え、奇跡的に時間すら跳躍する技術がいつの日にか開発されれば……。今から2日後、西暦20XX年12月25日の地球に向けて、遠い星、遠い未来より人類救済のための救世主が派遣されることになっている。終末の日を回避する何らかの手段を引っさげて、宇宙からやってくるサンタクロースというわけだ。

 そんな奇跡づくしに頼った作戦とも呼べない作戦に傾倒するくらいには、人類は皆、やけくそになっていた。そんなものでも信じていなければ、人としての生活を保っていられなかったのだ。


 はたして、人類最後の希望として選ばれた搭乗員は日本人の男女であった。



「いよいよこの日が来てしまった」

 男が言う。

「アダムになるなんてまっぴらだ」

「仕方ないでしょ。当たりクジを引いたんだもの」

 私だってイブなんて柄じゃないわよと、女が返す。

「当たりか……それが"神様の言う通り"だというなら、やはりその通りに人類は滅ぶべきだったんだろう」


 男と女は、当然と言うべきか、特に愛し合ってなどいない赤の他人同士であった。そして彼らにとって不幸なことに、互いに別の想い人がいた。加えて人類にとって不幸なことに、ふたりとも人と人類を天秤にかけて後者を選ぶような殊勝な性格の持ち主ではなかった。

「決心は変わらないな?」

「そっちこそ。後悔するんじゃない?」

「するかもな。でもまあ、大したことないだろ」

「大したことないわよね」

「よし、じゃあ手筈通りに。……良いクリスマスを」

「まだイブのイブじゃない。でもそうね、あなたも、奥さんと素敵なクリスマスを」

 これがふたりの最後のやりとりになる。そういう手筈になっていた。



 男には愛する妻がいた。今はもう、土の下で眠っている。彼は生涯その人以外の女性を愛さないと心に決めていた。

 誰もが終末の日に怯え、あるいは怒り、あるいは絶望した。暴徒化する者、自分だけでも生き残ろうと策を巡らせる者、ただただ泣き叫ぶ者。崩壊寸前の社会で満足な医療など受けられるはずもなく、不安と焦燥の中なすすべもなく息をひきとる難病患者が後を絶たなかった。男の妻もその一人だった。

 長い闘病生活を越えてようやく病状が安定し、田舎の病院に移って静かに暮らそうかと考えていた矢先のことであった。

 どうせ終わるなら、最期の時まで一緒に居たかった。意味もなくいたずらに蹴落とされて死んだなんて、許せるはずがなかった。妻は殺されたのだ。誰に殺された? 誰に復讐すればいい? 見知らぬ誰かか? それともこの世界か?

 

 そんな男に搭乗員のが当たったのが、丁度ひと月前のこと。運命としか言いようがなかった。



 女には愛する女性がいた。今は女の隣で、アダムになるはずだった男の影武者として寄り添っている。防護服を着込んだままで、杜撰なチェックを通過し方舟に乗り込んだ。

 本人は可愛くないからと気にしているがっしりとした体型も、目くらましの小細工に一役買った今回ばかりはありがたいと思った。それに、内に秘めた可愛らしさを知るのは世界にひとりで充分だった。


 シートベルトを装着し一息つくと、ふたりはぽつりぽつりと話し始める。

「これで私たち、人類史に残る大犯罪人ですねぇ」

「その人類史も、もうすぐ終わるのよ。関係ないわ」

「関係ないって人の顔じゃないですよ。ふふ、私だんだん先輩の嘘見破れるようになってきました」

「うるさいわね……関係ないと思うしかないでしょ」

「わかんないですよ? 案外あっさり良い星に飛べるかも。そしたら私たち一気に人類の救世主です」

「あなた、こんな時にまで楽観的なのね」

「どうせなら、先輩との赤ちゃんが産める星だったらいいなぁ」

「…………え、そっちが産むの?」

「え?」

 顔を見合わせ、どちらからともなく吹き出して。そのまましばらく、クスクスと笑いあった。

「……頭のこれ、取っちゃダメですかね? 今猛烈にちゅーしたいんですけど」

「だーめ。昨日沢山してあげたでしょ」

「ちぇー。じゃあこの船から無事に降りられたら、その時に」

「……そうね。そしたら、その時に」


 ブザーが鳴る。作戦決行の合図だ。

 20、19、18……。無機質な声が船内に響き、離陸までのカウントダウンが始まった。エンジンが起動し、出力を加速度的に上昇させていく。


「……愛してるわ。ずっとずっと」

「それも降りてから言ってくださいよぉ」

「じゃあ、今は何を言おうかしら」

「メリークリスマス、とか」

「まだイブのイブだってば」



 人の流れに逆らって歩く男の後方、唐突に轟音が鳴り響いた。しばらく空気を震わせたかと思うと、急にしんと静まり返る。

 一拍おいて、割れんばかりの歓声。どうやら空間跳躍は成功したらしい。

「ざまあみろ」

 吐き捨てるように呟く。アダムは依然地上にいる。イブは、もう一人のイブが攫っていってしまった。人類はもうおしまいだ。復讐はここに遂げられたのだ。

 愛というのは、世界を救うにはまったく足りないけれど、世界を滅ぼすには充分すぎるくらい大きな力なのだなと、ふとそんなことを考えた。


 足早に人混みを離れ、家路を急ぐ。これからクリスマスまでのつかの間、人々は思い思いの時を過ごすのだろう。自分も、好きに過ごさせてもらう。ここ最近は慌ただしくて、妻の墓の手入れもしてやれていなかった。

「お前がイブだったら、どんなに良かっただろう」

 叶わぬことを、口にしてしまう。

 せめて今は、ふたりで静かにクリスマスを過ごそう。来るはずのないサンタクロースを、夢に見ながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Dec.23 まりもっち @marimochi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る