殺しの世界
中華街にある奇妙な店
手当たり次第に東京を探し回っても、見つからなかった。
そもそも、クリヤマの居場所などわからない。
クリヤマはいつもわたしに言う。
「この業界には入るな。お前は一般人でいろ」と。
請け負っている仕事もわからない。何も、わからないのだ。
新宿からの帰り電車内。夕方になった頃、脳裏に浮かんだのは数回連れて行ってもらった、あの奇妙な店。
中華街から一本裏へ。そして、潰れている店の地下室。
どでかい蛍光色の紫が一面に塗りたくられた、店名もなにもない重そうな扉。
生唾を飲み込み、覚悟を決めて開ける。
「あら、いらっしゃい」
ピンク一色に塗られたカウンターの奥で、煙草を吹かして目を細めたのは、この店の店主、ミツコ。
男にしては綺麗で細い手足、女にしては大きすぎる背丈と喉仏。長い足を組んでいるミツコは、透き通るような美声でわたしを呼ぶ。
「いつだったかクリヤマが連れていた……葵ちゃんね、貴女。まあまあ、そんなところに突っ立ってないで、おいで」
客がまだいないの、と薄く笑う。その唇は真っ赤で、色気が漂う。
促されるまま、カウンターを挟んでミツコと向き合う形で腰をかけた。
「あの、ここって、情報屋さんですよね? どんな情報もあるって――――」
「嗚呼、ダメよ」ちっちっち、と長い指を左右に小さく振った。そして「そんなに大きな声で、そんな物騒なこと言っちゃ」と笑う。
「え、あ、ごめんなさい」
「わかっているわ。聞きに来たんでしょう? クリヤマのこと」
「あ、はい! 実は――――」
「嗚呼、ダメ。落ち着いて。まずは何か飲みなさいよ。そういう店よ、ここは」
そう言うと、ミツコは奥にあるこれまたピンクが激しいのれんの向こうへ声を上げた。
「フジコ、オムライスとオレンジジュース持って来て! ……女子高生でしょう、葵ちゃん」
「あ、はい」
何か探るようなミツコの視線から逃げたくて身じろぎをする。何だか苦手だ、この人。
「それで? 葵ちゃんはアタシに何をくれるのかしら」
妖艶に微笑まれ、ぶわっと汗が出る。なにせこういう店や裏業界はクリヤマ無しで来たことだがない。
「お、お金、でしょうか?」
「人によるわ。クリヤマは、そうね。いつも三十万は持ってくるわ」
「そ、そう、ですか」
そんな大金、持ってない! 再び嫌な汗が首を伝う。嗚呼、臓器とか売らなくてはいけないのかな。
そうこうしている間にも、ミツコの瞳が細められ、舌なめずりを始める。
「うふふ、女子高生、か。アタシ、若い子は好きよ? 一体、何をくれるのかしらねえ?」
あ、だとか、う、だとか。そういう言葉ばかりが漏れる。
よく考えてから来るべきだった。そうだよ、世の中何でも等価交換だって習ったのに! クリヤマも言っていた、この世界は欲深いのばかりだって。
「嗚呼、もう我慢できないわ!」
堪え難い声を上げながら、ミツコが取り出したのは実験などで使うスポイト。
「え? な、なに――――」
スポイトを手に息の荒いミツコが身を乗り出してわたしに近づく。
ひっ、と恐怖で目を固く閉じる。すると、スポイトが首元に軽く当たった。
「え、え?」
「しっ、動かないで。今が一番いいトコロだから」
ミツコの真剣な眼差しには興奮が混じっており、怖くなる。痛くもなければ痒くもない。ミツコにガッチリと身体は固定されているが。
待つこと数分。様々な所にスポイトを当てていたミツコが恍惚とした表情を見せる。
「嗚呼、美しいわ! なんて良いのかしら! 若い……それも、女子高生の、汗! 堪らないわ!」
「あ、汗? わたしの」
信じられない、と髪の後ろ、後頭部などにも手を這わせてみる。わざわざスポイトで摂取したというの?
「あら大変」
這わせた手を、ガッチリと素早い手つきで掴まれ、べろり、と長く赤い舌が器用に舐め取った。
大変、気味が悪い。
「あ、えっ、あのっ」
「嗚呼、これよ、これ! 青春の、若さの味だわぁ!」
はあはあと興奮冷めやらない様子で口角を上げる。
この人、頭おかしい! 怖くなり、じりじりと距離を取るようにして離れる。
「大切な汗、大事にしないと!」
次はあっさりとわたしから離れ、スポイト内にある、わたしの汗を丁寧に透明な瓶へと移し替えている。その眼差しは真剣で、とても先ほどまでの余裕たっぷりな大人には見えない。
なんとなく声はかけずらくて、様子を眺めていると、オムライスとオレンジジュースを持って現れたのは真っ赤な首輪を着けた、真っ黒なボディビルダー。
「あ、ありがとう、フジコ」
フジコは話さない。クリヤマに初めて連れて来られ、待っているように言われた時は大層フジコが怖かったが、今はミツコの方が怖い。
首輪についたチェーンが、フジコが歩く度に金属音を鳴らす。
この二人の関係は知らないが、ミツコの豹変ぶりには馴れているみたいで、フジコはまるで相手にしない。
やっとミツコが落ち着いたのは、わたしがオムライスを半分まで食べた辺りだった。
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