第9話  先輩の言葉

 先輩をデートに誘う……なんて、俺としてはかっこつけた発言だったな。

 俺は先輩と二人きりになった帰り道で強く思った。


「………………」

「………………」


 だって俺たち、恋人同士なのに──一言も喋ってないんだぞ?

 俺は緊張して、汗だらだらだし。先輩は顔を俯かせて、ずっと口をつぐんでるし……。


 でも、いつまでも先輩任せじゃいけないよな。俺が彼氏として、先輩を引っ張らなきゃいけないよな?


「あの!」


 俺はずっと閉じていた口をやっと開いた。

 でも、何を話そうか?いきなり「デートに行きませんか?」っていうのは早すぎるし、その間に何気ない会話を挟まないとな……。


 よし、この話題にしよう。


「は、八月に、コンクールが始まりますね!」


 先輩、許して欲しい。懸命に頭を回しても部活の話題しか出なかった、コミュ障の俺を許して欲しい。


「えっ? あっ、うん! そそっ、そうだね!!」


 あれ? 先輩?

 コンクールの話題を持ち込むと、先輩はあたふたした様子を見せてきた。


「そっ、そうだ。そろそろコンクールだ。どーしよう……、失敗したら、先輩の足引っ張ったら……。しかも、先輩たちの最後のコンクールだよね……。うっ、頭が……」

「先輩!?」


 先輩は極度に緊張してしまい、頭を抱えてしまった。

 どうやら俺は、持ってくる話題を間違えてしまったようだ。


 だけど、先輩は──


「……でも、ウジウジしてちゃいけないよね」


 顔を上げて、真っ直ぐ前を見つめた。

 かっこいいな。やっぱ、先輩って感じだ。

 おまけに小さな手で作ったガッツポーズ、めちゃくちゃ可愛い……。


「そうだ、志勢ゆきなりくん!」

「はい! って、えぇっ!?」


 突然、先輩が俺の両手を掴んで迫ってきた。

 手、柔らかい。しかもこの感触、なんだかくすぐったい。

 かと思えば、今度はギュッと強く握りしめてこう言った。


「私が同じパートの先輩として、ビシバシ鍛えてあげる!」

「あっ、はい」


 どうやら俺は、先輩の心に火を点したようだ。

 それにしても、先輩にビシバシ……か。なんか、楽しみだなぁ。


 ──じゃねぇ!!


 何を脱線してるんだ、木村志勢。俺は先輩をデートに誘うんだろ?


「あの、先輩!」


 この流れで、こう言えばいいのだろうか。

 俺は頭の中に浮かんだ最適解を実行してみることにした。


「俺と、明後日の土曜のオフの日に、個人練習してくれませんか?」

「もちろん!」

「それで……」


 緊張が走って、口が動かしづらい。それでも俺は、心を整えて言った。


「その後に、でっ……デート、してくれませんか?」


 あくまでも「練習を頑張ったご褒美」としてだ。そう考えると、気持ちが少し楽になった。

 あとは先輩が「オッケー」を出してくれたら……。


「えっ、デート……」


 しかし、先輩は浮かない表情をしている。杉原先輩は、姫坂先輩のペースに任せちゃいけないって言ってたけど、時期尚早だったか。


「むっ、無理ならいいですよ! 大丈夫です!」


 耐えられなくなって、つい吐いてしまった。こんな姿、きっと杉原先輩に見られたら怒られそうだな……。


「ねぇ、志勢くん」

「はい!」

「デートって、ことは……、外で二人きりになるってことだよね?」

「はい」

「志勢くん、言ったよね? 私が慣れるまで、恋人らしいことするのは、家の中だけでいいって」

「……すみません。調子乗りました」


 彼女とはいえ、相手は歳上の先輩。

 申し訳なさが募って、俺は顔を俯かせて謝った。

 やっぱ、先輩には悪いよな。そう思い、尻込みしてしまった。


「わ、私も、ごめんなさい」

「いや、先輩が謝らなくても」

「ううん。私がいつまで経ってもこんなだから……、ごめんね。デートとか、恋人らしいこと、やりたいよね?」


 目をうるうるさせて、先輩は上目遣いで聞いてきた。


「……まぁ、そりゃ。やりたいですよ! 恋人らしいこと!」


 二人きりでショッピングモールぶらぶらしたり、夏にはプールで先輩の水着姿を独り占めしたいし、花火大会でも先輩の可愛い浴衣姿を独り占めしたい。

「姫坂先輩と恋人である」ことの特権をどんどん使いたい。


 先輩に無理させるなんてできないよな。

 だけど、先輩の彼氏として引っ張ってあげるなら、いいよな?


「せんぱぁぁい!」


「はっ、はい!」

「先輩、言いましたよね?」


 あれは俺がフルートを始めたばかりの日のこと。

 初心者で下手っぴで、しかも周りは女子だらけで──心が折れそうになったときに、先輩が優しい声でかけてくれた「至極当たり前」な言葉。挫けてしまって、一時的にフルートを手離した俺を救った言葉だ。

 フルートを吹けるようになるには、フルートを吹かなきゃいけない。練習をやらなきゃいけないって。


 だから今度は、俺が先輩を救う番だ。


「初めてのデートだなんて、恥ずかしいかもしれない。周りの目が怖いと感じるかもしれない。でも……」


 一呼吸置いて、俺は言った。

 あの頃、先輩が俺に言ったように──。


「やらなきゃ、いつまで経っても慣れない。ですよね?」


 うん、かっこいいな。先輩の言葉。

 言ってみて、俺はそれだけで全能感を感じられた。


「志勢くん……」

「はい!」

「目がギラっとしてて、怖い」

「えっ!? すみません!!」


 しまった。つい力が入ってしまった。


「でも、そうだよね」

「先輩?」


 先輩はクスリと笑って、こう続けた。


「やってみなきゃ、いけないよね。何事も! いつまでも逃げてちゃ、いけないよね!」


 先輩はまた両手でガッツポーズを作って、顔を上げた。


「志勢くん」

「はい」

「カノジョとしては未熟者ですが、よろしくお願いしましゅ!!」


 あっ、噛んだ。


「こ、こちらこそ、よろしくお願いします!!!」


 こうして俺と先輩は明後日、デートに行くことが決定した。

 あっ、でも、デートは一日中行きたいよな。


「あの、先輩。自主練の件ですが──」

「そうと決まれば、自主練は日曜日の午前練習後にしよっか?」

「はっ、はい!」


 先輩が率先して自主練の日の変更を提案した。

 それほど先輩も、デートは一日中行きたいって思っているとわかると、なんだか自然と笑みが零れた。

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