第2話 風になったむすめ

プーカ島ではたくさんのふしぎがつたえられていますが、一朝一夕いっちょういっせきにすべて聞けると思ってはいけませんよ。

島のものとうちとけ、夕食にまねかれておなかいっぱいになったあと、かれらが自然に語り出すのをつことです。


たとえばあるおばあさんはこんなふうにはじめるでしょう。


「ざあざあびゅうびゅう楽しそうなことだよ。なに、風の話さ」


むかしからときどき、風の仲間なかま入りをするひとがあったものだよ。春のおわりに強く雨風がきつける夜、ここにいたくないと思っているひとがばれて行っちまうのさ。


ずいぶんむかし、このむらに三人きょうだいがいた。十二さいになる姉、一つ下の妹、八さいの弟。

朝いちばんに目をさますのがくいしんぼうの弟さ、おなかがすいてねていられないんだ。ついで姉がきてきて水をみにいき、さいごに妹が起きてくる。


学校へ行くときはおおさわぎさ。ちかくの子どもらが家のまえまでむかえにきて、妹の手を引いていく。そのあとをわんぱくどもとじゃれあいながら弟がついていき、姉は父さんにたのまれたおつかいをこなしながらおくれていく。


学校ではいまでもおなじかね?

とにかくそのころは、「書きとり」「詩作しさく」「計算」「歴史れきし」「体操たいそう」「刺繍ししゅう」をならったもんさ。

姉は計算、妹は詩作が得意とくいで、弟はぜんぶそこそこだよ。


その日、姉は父さんといっしょに小雨こさめの中、市場いちば商人しょうにんのところへ行った。父さんも母さんも数が苦手にがてだったもんだから、はたけでとれたじゃがいもを売るときには姉がわりに話をつけたんだ。自分の家で食べるぶんもしっかりと見積みつもって分けておいてね。


あんたのうちはむすめがいないと回らないねえと商人が言うと、父さんは姉の頭をじまんげになでながら、こいつにはずっと家にいてもらうから安心あんしんさとこたえた。妹と弟を都会とかいへ行かせて、姉には家にいてもらうというのが父さんの目算もくさんだったんだ。


当時とうじ、学校を出たあとの子どもの進路しんろはだいたい二つだった。家にいて農作業のうさぎょうをやるか、都会へ出て大きなお屋敷やしき下働したばたらきをするか。


みんな都会へわたるほうにあこがれたもんだよ。とくに、むすめっこたちはお屋敷で制服せいふくせてもらって、島じゃ食べられないようなごはんを食べたり、まちをあるいたりするのが楽しみだった。そして夏にはたくさんのおみやげをトランクにつめこんで船へのり、島に最新さいしん流行りゅうこうをもたらすのさ。


姉は今年学校を卒業そつぎょう、妹は試験しけんかればつぎの年に卒業だった。


ほかの大家ぞくにくらべれば三人きょうだいというのはすくないけれど、そんでも小さな家はぎゅうぎゅうで、母さんはよく夕飯時ゆうはんどきにぷりぷりしだしたもんだ。弟がふざけようもんなら火にあぶら!


だんろの上にかざられた母さんじまんのティーセットや、妹が詩作コンテストで金賞きんしょうをとったときのメダルがガタガタゆれておっこちそうになった。姉はあわてておさえたよ。何かわれでもしたらそれこそ大噴火だいふんかだもの。

母さんは小さいけれど怒るとくまみたいなんだからね!


だんだんと雨風が強くなり、中からも外からも力をくわえられた家がキシキシ悲鳴ひめいをあげた。

そのせいもあって母さんはまだちょっとカッカしながら、妹に勉強べんきょうはしっかりやっているか、やつあたりぎみにたずねた。


妹がおとなしくうなずくと、母さんはいい話もきているんだよと、すこしきげんをなおして言うのさ。


なんでも、コンテストの時に妹の詩をいたくほめてくれた都会のおじいさんが、ぜひにと言うらしいのさ。おじいさんは島の知事ちじともなかよしで、お屋敷はとっても大きいんだよ。しかも妹とおないどしの男の子のまごがいて、妹に会いたがっているだなんて、うそのようなすてきな話さ。こんなこともあるもんなんだね。


せまいへやのせまいベッドにみんなでねころんで、その日は消灯しょうとう。どこの家もそうだろうけど、夜中トイレに行こうと思ったら、だれかをふんづけないように気をつけなくっちゃならないんだよ。


びゅうびゅうがたがた家をゆらす風のおと、姉はなかなかねつけないでいた。ぴかっとまどのそとが青白あおじろくひかったと思ったら、ごろごろどぉんと雷鳴らいめい。春のおわりのあらしだね。


姉の中ではきょう一日のことがぐるぐるとめぐっていた。苦手な詩作の授業じゅぎょう、自分のすなおなきもちを書いてみましょう、すなおなきもち?

頭の中にはなんにも出てこないんだからしょうがない。せんせいはなんて書いてほしいんだろうってそんなことばかり思うのさ。


それから商人と父さんの話。あぁずっとずっとこの家にいて、このまますごすのが正しいんだろう。なにもまちがっていない、いごこちがわるいわけでもないんだ。


じゃがいもを市場へはこぶ。子豚こぶたたちの世話せわをして、いいときに肉屋にくやと話をつけて。きょうも、あしたも、あさっても、しあさっても。


まどをけていないのに突風とっぷうが姉のほほに吹きつけた。ハッと起きたと思ったら、姉はなんとちゅうにうかんで自分の体を見下みおろしていた。

なんてこった、そう、体からたましいがび出しちまったんだ。


姉はあわてたが、そのまんま風にさらわれて家のそとへびゅうっ。まっくろな空、いなびかり、矢のような雨。

姉にはそのぜんぶがしんじられないほどここちよかった。


はげしい太鼓たいことラッパとオルガン、あらしのメロディが高らかにひびく。空気はなまぬるく、水の中にいるかのよう。


思うようにからだがうごく、高く低く飛んで宙返ちゅうがえりを三回。雲の上でぴょんぴょんはねるのは、きいろのりゅうと、あかいりゅうの子だ。ちっちゃなつばさをパタパタさせて、ピィピィおどっているんだ。


春をおわらせるこのあらしは、楽しくってどうにもたまらない雨と風とかみなりのダンスパーティーなんだよ。

ちぎれたはっぱや花びらが、ほしのない夜をきらきらいろどる。


あぁどこまでも行ける。どこまでも行こう。

風に体がとけかけたとき、姉はふっと足もとをみた。

いつのまにか、自分の家の上へ戻ってきていたんだ。


今にも飛ばされてしまいそうな、ふるびた小さな家。その中でねむる父さん母さんきょうだいの顔を、見えないけれど思いうかべた。

瞬間しゅんかん、家から強い風が吹いて姉はたまらず目をとじた。さっきまでの楽しさがきゅう恐怖きょうふへとかわり、ぐっとこぶしをにぎると、シーツの感触かんしょくがあった。


おそるおそる目をあける。いつもの天井てんじょう、弟と母にはさまれた自分。

姉はびっしょりあせをかいて肌着はだぎが気もちわるかったけれど、むりやりに目をとじてすこんとねむりにおちた。

ぜんぶゆめだったんだと思うとほっとしたんだろうね。


そんで朝、すっとんきょうな弟の声で家ぞくみんなが目をさました。

なぜかまどがあいていた。きのうのあらしがうそのような、おだやかな朝だ。

ぎゅうづめのはずのベッドにはなぜかよゆうがあって、そこにはいつもさいごまでねているはずの妹のすがたがなかった。


近所きんじょのひとをまきこんで、みんなであたりをさがし回った。だれも口には出さなかったけれど、わかっていた。前にもこういうことがあったって、どこの家の連中れんちゅうも聞いていたもんだからね。

春のおわりのあらしは、呼びかけにこたえたものをつれていく。


姉はあらしのうたげを思い出しながら、妹をさがしつづけた。もうかえってこないだろうことをだれよりもわかっていた。

妹も宙返りをしただろうか、飛び回ってそんで、家の上にもどってきただろうか。家ぞくの顔を思いうかべただろうか。

そんで、それでも、行ってしまおうと思ったんだろうか。


それから時がすぎても、やっぱり妹はかえってこなくて、弟は都会に出てそのままむこうで結婚けっこんし、姉は家でくらして年をとった。いまじゃおやおっとくなって、自分の子どもらも出ていってひとりさ。


わたしにはね、今でもあの子がどんなことを思って風と行っちまったのか、わからないんだよ。

あのとき行ってしまわなくてよかったとは思うよ。それでもね、ときどきはすこしうらやましい気がすることもあるんだ。

こんなあらしの夜には、つい思い出すのさ。


「長くなったねえ、お茶をもっとのむかい?」


そう言われたらお話はもうおしまいの合図あいずです。丁重ていちょうにお茶をことわってこしを上げましょう。とびらをあけるときは気をつけて、風にもっていかれないように。


おばあさんになごりおしくわかれのあいさつをして、雨が強くならないうちに足早にかえることです。

あなたがほっとおちついてベッドの上で耳をすますころ、風は歌い、りゅうの子たちはおどるのでしょう。

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