第2話 無垢なるモノ《プーパ》:前編

 ――今日の空はとても綺麗な蒼だな。


 あれから一悶着あって、予想していた時間の倍以上かかってよく分からない協議に巻き込まれた挙句、詳細はまた後日、と言われてそのまま聖堂の外に放り出されれば誰でもこんな感想を抱くだろう。脳内は容量の限界をとっくに超えて思考回路を放棄しており、いっそ清々しいほどにスッキリとしている。


 あぁ、あの空は何処へ繋がっているのだろうか、いっそ自分の背負っている悩み事も風にのせて流されてしまえばいいのに。なんで自分がこんな目に――


 透き通った空模様とは正反対に今にも地面にめり込みそうなため息を一つつき、しょぼくれていたルカは暫しの反省タイムを切り上げることにした。

 起きたことは仕方がない、取り敢えず面倒事は夜にでもじっくり考えることにすればいい。家に戻らないと父が何かやらかしそうな予感がひしひしとする。やるべきことはうず高く溜まっているのだ、面倒事はあまり増やされたくはない。



 ◇




「おんや、ルカじゃないか、今日はとてもいい天気だねぇ」

「あぁ、カリーナさん今日も大変ですね」


 家路を辿るルカに気さくに声をかけてきたのは、畑仕事をしていたひとりの女性だった。この小さな村のはずれにあるルカたち一家のことをよく気にかけてくれる優しい人で、小さい頃から弟共々にお世話になっている。それにカリーナの作る野菜はとても美味しくて、村でも大きな畑を任されているすごい人だ。家で常に研究に没頭している自分の父とは大違い__いや、あの人は比べる対象ではないか。


「何を言ってるんだね、畑仕事はアタシの生き甲斐みたいなものだからね、全く苦じゃないさ。そういうルカは……あぁ、例の試験かい?」

「そう、ですね…まぁ、今回もあまり…」


 気まずそうにそろりと視線を逸らせば、得心をえた相手はそれ以上は何も追求せずに何とも言えないような表情を浮かべる。ここまで何度も繰り返し試験を受けているのも自分だけなのだろう、そんな例は全く聞いたことがない。まぁ、こんな田舎の村に余所からの情報が回ってくること自体稀なのだ、もしかしたらもしかするかもしれない、などと周囲の大人たちから慰めになっているかどうかも怪しいことを言われたこともあったが、ルカ本人としては最早諦めている。寧ろそっと放っていてくれた方がルカの心の平和が保たれるのだが、なぜこうも構い倒そうとするのだろう。正直言って疲れる。

 少しでも試験の話から逃げたくて、疲れきった頭を必死に回し、ふと数日前のことを思い出す。


「そんなことよりカリーナさん、例の井戸や塀はあれから大丈夫ですか?また崩れたりしてないですか?」

「あぁ、あの時は済まなかったねぇ。うちの息子が豚小屋の戸締りをしなかったせいで大騒ぎで……ルカとマルスさんには感謝しかないねぇ。マルスさんの術式には感服しかないよ」

「確かに、父さんの術式の凄さは認めざるを得ないですよね」

「ルカ……アンタ、自分のお父さんなんだからもっと素直に尊敬してあげた方がマルスさんも喜ぶと思うよ?」

「技術はちゃんと認めてますよ。それ以外のところを見るとこういう感想になってしまうだけですから」

「そういうものなのかねぇ…あぁ、それとこれ、もってお行き」


 赤の他人の評価より辛辣な実の息子が理解しがたいという表情を浮かべていたカリーナだったが、ふと持っていた籠をこちらに渡される。籠には大量の採れたてらしき野菜がたくさん詰め込まれている。だが、この量では。


「あの、カリーナさんこの量は流石に多すぎですよ、こんなにたくさん食べきれ」

「いいんだよ、この前のお礼なんだから遠慮する必要なんてないさ。アタシとしてはもっとこっちの野菜もだね…」

「いやいやいやいや、これだけでも充分なので!!あとはお気持ちだけで十分過ぎるですから!!」

「いいんだよ、気にしなくて。むしろ感謝させて欲しいのはこっちの方なんだから、たまには受け取っておくれ。ルカはね、もうちょっと欲を持ってもいいんだよ」


 スっと少し低くなった声のトーンに泡を食っていた気持ちが冷静さを取り戻す。これは、彼女1人だけの気遣いではないのだろう。そのことに思い至り、少し顔を伏せて思考を巡らせる。自分ばかり与えてもらってばかりなのに、甘え続けているのは条理に合っていないというのに。

 そんなマイナス思考の螺旋に飲み込まれたルカの心境を知ってのことだろうか、大きくて少しざらついた手が、優しくルカの頭を撫でる。


「知ってるよ、ウチの壁の修理以外にも色々とみんなのこと、助けてくれてるんだろ。そんでみんなからのお礼も要らないって断って、それでまた誰かのことを助けてばっかだって」

「……僕はまだ、村の人たちに甘えてばっかで何も返せてないし、お礼を言われるようなことじゃ」

「なに言ってんだい、子供が大人に甘えるのは当然のことだろ。そうやって卑屈になるのはおよし」

「…………」


 なぜだろう、本当のことしか自分は言ってないのに言いくるめられてる気がしてならないのは。もうすぐ14になるのだ、子供扱いされるのは不服だ。そう言おうと顔をあげた時、ゴソリ、と首の後ろに垂らしていたフードがうごめく。


(これは、もうこの場は離れないと……!!流石にバレたらマズイもんな、ええとこういう時は!!)


「あ、あのカリーナさん、そういえば僕、家の手伝いしないといけないの忘れてたから、その」

「あぁ、そうだったのかい。引き止めて悪かったねぇ」

「いえ、その、__ありがとう、ございます」


 いかにも今この場しのぎのための言い訳だというのは解りきっているだろうに、一切の詮索もせずににこやかに手を振ってくるカリーナに野菜の礼を伝え、出来るだけ不自然に見えないように気を遣いながら、早足で人目の少ない木陰を目指して移動する。その間もフードの中のモノはモゾモゾと動き回っているらしい。

 ようやく自分の家の近くの木陰にたどり着き、強めに縛ってあったフードの口を開けば、丸っこい頭がひょっこりと顔を出す。


《プキュキュ、キュー》

「お前な……人前では大人しくしてろって言っただろ……?」


 ため息混じりに少し前に伝えたことをもう一度言い含めるようにして伝えるものの、理解しきれてないらしく、プキュゥ?という鳴き声とともに首を傾げるような仕草を返される。

 何だその仕草、あざとかわいさで萌えを狙っているのか__いや違う、そうじゃない。脇道に逸れかけた思考を理性で引き戻し、わかりやすい言葉を選びながら口に出す。


「いいか、お前はとても珍しい精霊だし、僕との契約が済んでるかどうか確認できてない状態で、他のみんなにお前の存在が知られるのはとってもまず……待て、なんで欠伸してるんだ、ちゃんと聞いてたか?」

《クゥゥ…キュン》

「わかった、聞いてなかったんだな、もう一回説明するからちゃんと聞けよ」

《クーンッ》


 こちらの言葉よりも初めて見るらしい周囲の景色をキョロキョロと物珍しげに見ているモノ__精霊を前に、もしかして精霊たちってみんながみんなこんなに自由気ままなのか、と取り留めもない思考に頭を抱えそうになる。


(まぁ、この精霊との出会い自体、珍しい事例だって言われたしなぁ…)

 取り敢えずフードから精霊を出して腕に抱え、周囲の景色を精霊が満足するまで眺めさせることにする。精霊が珍妙な事態を引き起こさないように監視しつつ、先程の聖堂の一連の出来事を思い返しはじめた__



 ◇



「これはまさか__」

「もしかして、成功したのか_?」

「ようやく儂らの苦労も報われるんじゃぁぁあぁぁ」

「待てぃ、喜ぶのはまだ早いじゃろう、ちゃんと結果を審議してじゃなぁ…」

「そうじゃ、落ち着け。さて、彼が呼び出しに成功したのは__《プーパ》、か」


 驚きと喜びの声が聖堂内に満たされ始めたものの、まとめ役の大人の発した一言に、またしても水を打ったかのように鎮まり返る。次いで交わされるのは、動揺と困惑によるどよめき。


《プーパ》__自然界に住まう精霊の一種であり、その外見は水色に淡い虹のベールをまとったような色合いの、蝶の幼虫と蛹を足して割ったような外見で、大きさは人間の赤子より少し大きい程度。大人しい性質であり、人里離れた山奥に生息してその口から吐き出す糸で繭を作っている__らしい。

 なぜこのように曖昧な情報しか入らないのかといえばその理由は至極単純、《プーパ》は滅多に人前には現れず、召喚術において呼び出しに応じるのも稀、更には臆病な性質も相まって、希少な精霊として認定されているのだ。

 情報の多い王都ならいざ知らず、こんなに辺鄙な田舎の村には生態系はおろか、細かい情報すらまばらにしかないのだ。

 果たしてマグレで召喚に成功してしまったとはいえ、このまま契約を結んでいいものなのだろうか。もし相手が本来であるならば上位精霊だったのならば__??


 という焦りと危惧の念がこの場に居た大人たち全員の脳内を席巻する。次いで彼らが取った行動はと言えば__


「資料じゃ!!資料をありったけもってくるんじゃああぁぁぁあ!!」

「伯父上!この《プーパ》を少々お預かりしてもよろしいですか!?私ちょっと気になることがございまして…」

「コンのアホタレが!仮にも精霊さまじゃぞ!!ご機嫌を損ねて何か起きたらどうするんじゃっ」

「いやまさか怪しい研究ではなくてですね!?常に行っている通常検査を……」

「ぶわっかもんややこしい言い方をするでないっ!」


 先程までまとっていた威厳をかなぐり捨て、ドッスンバッタンやいのやいのと当人と1体を置き去りにして慌ただしく駆けずり回るご年配の大人たちを唖然として眺めつつ、ルカ少年は自分が大人になった時にこういう風には絶対にならないようにしようと密かに心に決めた。

 祭壇の上に現れた精霊__《プーパ》はといえば、我関せずといった体でのほほんとうたた寝をしそうになっていた。


 __それから約1時間ほどかけて大人たちが調べた結果を簡潔にまとめると次の通りだという。


《プーパ》__別名を“無垢なるもの”とも呼ばれる精霊である。

 主に《古代樹》の葉を好んで食しているため、世界中の街や村に1つ“護りの樹”として存在する《古代樹》や、《古代樹》の母なる存在として崇められている数少ない《世界樹》に生息していると考えられているということ。

 分類上の属性で言うのならば《ノウグ》に属している。

ノウグ》に属する精霊はいわゆる未知の存在であり、その数も希少で契約するにはかなり苦労するという事実。


「__これらのことしか今の儂らには分からぬゆえ、王都へと文を出して指示を仰ぐことになる。ゆえに今回ばかりは保留とさせてもらうことになってしまうが、よいか?」

「全て、長老様たちにお任せ致します」


 形式に則って交わされる会話を終えて、漸くこの緊張状態から逃れられると思っていた刹那。


「すみませんが、つかぬことをお伺いしてもよろしいでしょうか」

「なんじゃ、手短にしたまえ」

「はい、では単刀直入に申し上げさせていただきます」


 オドオドとこの場の中では年少にあたる青年が、口にした一言は、確かに懸念すべき点であったと言えるだろう。


「__その、彼が召喚した《プーパ》は、一体どのようにして扱えばよろしいのでしょうか?」


 ……今回の試験の協議はまだまだ終わりが見えそうにない。



 ◇

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