第6話 最強で孤独な存在 1/4

職員室の扉を右手で開けるリンネは、彼女の顔を隠すほどの量のプリントをレストランのウェイターが皿を運ぶみたいに左手の平に載せて入ってくる。そのまま彼女は職員室の中を真っすぐ向かい、眼鏡をかけた男の先生の机にたどり着いた。


「お、紫藤しどうさん。お疲れ様。本当に助かるよ。机の上においていいよ。」


「どういたしまして、正人まさと先生。」


彼女は山のようなプリントを机の上に置いた後、先生に頭を下げた。


「君は本当にいい生徒だな。皆も君みたいになって欲しいな……ってか、こんな大仕事をただでやってくれるとは本当にありがたいよ。紫藤さん、何かお礼に欲しいものとかありますか?」


「ありがとうございます、正人まさと先生。しかし、今は何もいりません。その代わり、今後私が何か必要となった時、先生を直接尋ねます。」


「おう。了解だ。何でもいいから私に言ってくれ!私のできる範囲なら紫藤さんを手伝って差し上げます。」


リンネは再び頭を下げ、職員室を出ようとした。だがその途端、扉がガバッと開き、長い黒髪の女性が部屋の中に入ってきた。そそっかしい彼女はなぜか焦っていたように見えた。彼女はきょろきょろ辺りを見回し、職員室の奥にいた校長先生を見かけた途端、部屋の反対側から叫んだ。


「校長先生、校長先生!探しましたよ!部屋にノックしても返事をしなかったから……」


先生方が4人集まって喋っていた中、背中を向けていた一人の男にその女性は話しかけた。その男は黒いスーツを着た老人だった。髪の毛が薄く、背中が少し丸くなっていたが、『校長』と聞いた途端、背筋を伸ばしていきなり振り向いて返事をした。


「あ……真菜美まなび先生。どうされましたか?後、私のことを『校長』と呼ばないと注意したはずですが……あ、でもその日、真菜美先生は休みでしたか。では改めて説明します。実は私はこの間の事件で亡くなった原口はらぐち校長とは仲が良かったのです。けれど私が彼の座を務めるのはまだ早いと思いまして、しばらく心が落ち着くまで私のことを名字で呼ぶことをお願いします。」


「そうなのですか?本当にすみませんでした。今後から『藤沢ふじさわさん』と呼ばせていただきます。それでよろしいですか?」


彼女は校長代理人の前で頭を下げる。


「はい。ご協力をお願いします。あと職員室の中ではあまり叫ばないでくださ――」


「――あ!そうなのです。実はまた一年の浅桜あさくら京華けいかさんがいじめられたと噂が流れ、私どうしようかと思って校長――ではなく、藤沢さんに相談を……」


「では、私から京華さんと話しましょう。彼女を私の部屋へおよびください。」


「はい!お願いします!では彼女を呼びに行きます。」


そう言った彼女はペコリと頭を下げて職員室を出て行った。リンネはその話を聞き、心をぎゅっと握った。『いじめ』と聞いた途端、学園にいたころを思い出してしまった。


******


「では、またな。」


赤人あかとが手を振った。


「オッケー。」


新士しんじと赤人は廊下を別方向に向かった。そして新士は二階への階段を上り、左へ曲がろうとした途端、廊下の先にあった教室の前で生徒が何十人も立ち止まって騒がしくなっていた。新士は何が起きているか気になり、ゆっくりと集団に近づく。


しかし、背後から階段を駆け上ってきた二人の先生たちは新士を通り越し、生徒たちの真ん中を突っ切って教室の扉の前に立った。体が細くて背の高い男の先生が力強く取っ手を引っ張って扉を開けようとした。だが、その扉はびくともしなかった。


「だめです、真菜美先生。開きません。」


すると女の先生が男の先生を横に押して、彼に指示を出した。


正人まさと先生、生徒たちを下の階へ誘導してください!」


そう言った女の先生は、正人先生に指を指して命令した。彼は彼女の言うとおりに生徒たちを誘導した。皆、ぞろぞろと正人先生の後について行き、廊下はようやく空いた。


一方、女の先生は扉を叩き始めた。


真菜美まなび先生です!扉を今すぐ開けてください!」


彼女は叩き続けたが、扉は開かなかった。


新士の後ろからさらに大人が二階に上がってきた。一人は水色のジーンズをはいて、帽子をかぶっていた清掃係のおじさん。もう一人は老人の校長だった。


二人ともその場で待機していた新士を無視して、教室の方へさっさと走っていった。


「真菜美先生、カギは誰かに盗まれてしまいました。おそらく犯人は一年の面影おもかげゆめです。」


「え?本当ですか?なぜ面影さんだと分かるのですか?彼女がこんなことをするはずが……」


「生徒たちがそうおっしゃっていただけです。だから彼女だと確定したわけではないのですが……」


真菜美先生は歯を食いしばり、廊下をきょろきょろ見渡した。


「それより真菜美先生、中の様子は?」


校長が尋ねる。


「わかりません。窓からも何も見えません。」


「そうですか。ではいったん警察を呼びましょう。」


校長は頭を下げながらポケットから携帯電話を取り出し、番号を入力してから耳に当てた。しかし、校長は変な顔をして携帯を耳から外して画面を再び見る。


「おかしいですね。」


「どうされましたか?」


「いや、私の携帯がおかしくなっていて……真菜美先生、あなたから掛けるもらってもよろしいですか?」


「え?あの、実は私の携帯もなぜか繋がらなくて……だから校長先生を直接呼びに行ってもらったのですが……」


校長先生は難しい顔をした。


「まさかと思いますが、面影さんは超能力者ですか?」


真菜美先生は数秒考えてから答えを出す。


「彼女は確か何の能力を持ってなかったはずですが……」


「生徒たちの能力に詳しい先生はいらっしゃいますか?」


「え?確か、正人先生がご存じですが……彼は今さっき生徒たちを誘導して一階へ……」


校長は清掃係りのおじさんに向いて喋った。


「では、あずまさん。正人先生を見つけに行ってもらえますか?」


納得した清掃係りの東さんは走って階段に向かった。その時、階段で待機していた新士を見かけた。


「こら!生徒がこんなところにいてはいけない!一緒についてきなさい!」


叱られた新士は何も答えなかった。


「(クッソー、この場から離れたら何が起きたか見られないじゃないか!)」


新士は身を小さくして階段の天辺に座り、隠れようとする。しかし、さすがに清掃係の東さんは新士を見過ごせなかった。


「隠れても無駄だ。早く下へ来なさい。」


しかし、その時、階段を上ってきた背の高い黒髪の女子生徒が清掃係の東さんに話しかけた。


「東さん、私と新士は先生たちに呼ばれたのです。だからお構いなく、早く行ってください。」


「え?あ、そうだったの?では失礼します。」


そう言った清掃係の東さんは下の階へ走っていった。そしてその女子生徒は階段を上り、新士を見つめた。


「リンネ!助けてくれてありがとう!」


リンネは階段を上り終えたところ、新士に話しかけた。


「新士君も教室の中にいる人を助けたいのでしょ?実は私も同じ理由で来たの。やっぱりあなたもヒーローを目指しているから、人を放っていけないのよね?」


身を小さくして隠れていた新士は頭を上げてリンネをしたから見つめる。


「あ、いや僕は――」


「――大丈夫。あなたがここにいることを先生たちにばらしたりしないから。私は人を助けたいと思う人の味方だから。だけど怖いならここで待っていても構わないよ。この事件、私一人で十分だから。」


リンネは自信満々な表情で新士の目を直接見つめた。


新士は何を言えばいいのか分からなく、ただ無言で頭を縦に振った。そしてリンネは新士を通り越し、教室に向かった。新士は彼女の後をついていこうと思ったが、階段でとどまって少しの間様子を見ることにした。


リンネは角を左に曲がり、先生たちがいた場所の方向を目指した。新士は彼女の行動が気になり、階段の天辺で壁に沿って隠れながら彼らの会話を盗み聞きした。


「紫藤さん、何故ここに?」


真菜美先生はリンネの姿を見て驚いた。


「早くここから離れて、他の生徒と合流してください。」


先生はリンネに指示を出したが、彼女は無視した。すると真菜美先生は校長先生に向いて喋った。


「校長先生、このままだと何が起こるか分からないので、いったん非常ベルを鳴らして皆を外に出した方がよいのでしょうか?ついでに紫藤さんを連れて行ってください。」


「そうですね。では今鳴らしに行きます。紫藤さん、行きましょう。」


校長はリンネについてくるように手で合図をした。彼はそのまま廊下の奥へ走り、非常ベルを鳴らしに行った。けど、リンネはその場で立ったまま真菜美先生の指示を無視した。


「紫藤さん!何やっているのですか?校長先生の後をついて行ってください!」


いい加減、真菜美先生も怒り始めた。


「先生。いや、面影さん。もうやめましょう。こんなくだらないことしても現実は変わりません。」


「はい?」


先生は頭を傾げながらリンネに答える。


「紫藤さん、一体何をおっしゃっているのですか?」


「嘘がばれていますよ。あなたが光の粒子を操る能力があったとしても、私にはその幻覚なんて通用しません。」


「粒子?幻覚?」


「あなたの能力ですよ、面影さん。」


廊下の角から見ていた新士は混乱した。


「(リンネ、君は何を言っているんだ?彼女は真菜美先生だよ。目でもおかしくなったの?面影さんなら教室の中に……)」


しかし、先生は急に暗い表情を見せた。リンネは彼女に喋り続ける。


「今朝、真菜美先生が校長先生に言われたのです。彼のことを『校長先生』ではなく、『藤沢さん』と呼ぶように。しかし、あなたはさっき校長先生のことを『校長先生』と呼びました。」


「はい?あ~、そう言えば藤沢さんがそう言っていましたね。でもそれはただ私がうっかりしていたからです。この状況でそんな小さなことを忘れても当然でしょ?それどころか早く――」


「――いいえ。それ以外、あなたが真菜美先生ではない証拠があります。それがこれです。」


そう言ったリンネは右手に丸めた紙を持っていることを見せた。


「紫藤さん、その紙がどうなさりました?」


「こうやって、先生に投げます!」


リンネは思いっきり先生に向けて丸めた紙を投げた。その紙は空中を渡り、先生に当たって跳ね返った。


「あ……あれ?先生に当たった?」


リンネは目を大きくして当惑とうわくした表情を見せた。


「先生が目の錯覚なら透き通ると思ったのに……」


「何言っているの、紫藤さん!私が幻のはずがないじゃないですか、もう!」


先生は眉を立てて頬をプクーっとふくらまし、プンプン怒り出した。


「すみませんでした、真菜美先生。」


「こんな大事な時にふざけた真似をしないでください、紫藤さん。ほら、投げた紙を拾ってさっさとここから離れてください!」


「あ、でも先生――」


「――ほかに何か言いたいことでもあるのですか?」


「私、紙なんか投げていません。」


「へ?」


するとリンネは手のひらを見せた。そこには投げたはずの丸めた紙があった。しかし、それと同時に床に落ちた紙も存在していた。真菜美先生は驚いた表情をしながら二つの紙を見ていた。


「(え?どうして!?)」


遠くから見ていた新士は顔をしてリンネを見つめた。すると、彼女の口角がほんのわずかに上って見えた。

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