第4話 ヒーローの約束 1/3

目が覚めた途端、新士しんじは初めて見る天井を眺めていた。


枕の上で頭を右に転がし、目の前に椅子があった。頭を反対側に転がし、そこにはテーブルとその上にデジタル時計があった。時間は夜の9時。9月1日。事件が起きてから一日たっていた。カーテンに囲まれたこの部屋には様々な医療機械が置いてあり、この場所は病院だと新士は理解した。


この世界に来てから全く休憩が取れなかった新士には、この部屋の様子を見た途端、何となく心が落ちついた。頭の中がボーッとしながら、ゆったりとベッドに寝っ転がり、低い真っ白な天井を見続けた。


「(もう、あの地下室に戻っても遅いか……僕は失敗したんだ。っていうことはあの子はあのまま……)」


新士はすうっと大きく深呼吸して、無理やり体をベッドから起こした。


少々頭痛がした。


眩暈めまいもした。


頭を触った瞬間、左腕にくっついている点滴と頭にしていた包帯に気づいた。


しかし、新士は全くそのことを気にせず、体を動かした。


「(こんな怪我の程度なんて、あの少女が経験した痛みと比べ物にならない。)」


布団をどかし、新士は体をベッドの左側に移動させた。床に置いてあったスリッパを履き、ベッドのわくをつかみながら立とうとした。


その時、周りのカーテンが開き、赤人あかとが入ってきた。


「って、新士。お前起きていたのか?まだ眠りっぷりだと思っていたよ。まぁ、いい。医者から聞いたんだが、お前の怪我はそれほど大したことがないってさ。よかったな。あ、そう。ここから退院したらお前にスパゲッティおごってやるよ。俺、マジで上手い場所をこの間見つけてさ、お前にも食わしてやりたいんだ。」


赤人はにぎやかに喋りながら新士を見た。


「でも町の中を走っているお前の姿を見かけた時はびっくりしたよ。始めはただの見知らぬ人だと思ったけど、近づいてみれば真剣そうな顔をしたお前が走っていたんだ。そして俺は声をかけたのだがお前は無視して走り続けたんだ。」


赤人はため息をついてから喋り続けた。


「そして急に瓦礫が落ちてきたから、俺はポータルを使って何とかお前を助けられたんだが、本当、危機一髪だったよ。ってかあれほど『動くな』と注意したのに、どうしてあんなところで走って――ってかお前、まだ歩く状態じゃないんだから、もうしばらく座ってろよ。」


赤人は新士が起き上がろうとした姿を見て彼の肩を軽く叩いた。しかし、新士は真剣な表情で赤人に尋ねた。


「――なぁ赤人、教えてくれ。」


「え?……ああ、お前の力のことだったけ?」


「違う。そんなことはどうでもいい。知りたいのはあの女の子のことだよ。彼女はまだあの図書館の地下にいるの?」


「女の子?だれのこと?あ、リンネなら無事に帰って来たよ。まぁ、別に彼女は俺の救助なんて必要なかったけど。」


赤人は気まずく笑いながら目をそらした。よほどリンネは助けがいらなかったようだった。しかし、新士はリンネのことを語っていたのではなかった。


「リンネじゃない。僕が話しているのは図書館の地下で出会った幼い女の子の事だよ。赤人がリンネを助けに行った後、僕はある少女のお母さんに約束して、娘さんを救い出すはずだったんだ。」


「だからあそこにいたのか?まったく、お前はいつも無茶なことに頭突っ込むから……人助けなんてほかに任せろよ。そんなのスーパーヒーローの仕事だよ。お前は自分の力でいろいろ苦労しているんだから、無理するなって……」


「赤人、僕は自分の身がどうなったって構わない。今はただ、あの女の子が無事か知りたいだけだ。知らないなら、今から僕は他の人を尋ねに行く。」


「ったく。俺は知らないし、お前は怪我しているのだから寝てろよ……」


新士は再びベッドから立ち上がり、スリッパを履いた。けど赤人は新士の両方の肩を下に押し、無理やり座らせようとした。


「いい加減にしろ、新士。まずは自分の体調だろ?ヒーローは『他人の安全を優先するべきだ!』とかテレビで叫ぶかもしれないけど、そんなの無茶だ。まず自分が無事でないと他人を助けられない――」


「――言っておくが、赤人。僕はヒーローじゃないし、ヒーローなんかになりたくない。僕はただ約束を守りたいだけなんだ。」


赤人は新士の発言を聞いた途端、急に黙った。しかし、彼は気を取り直して顔を暗くしながら新士に質問した。


「お前、一体どうしたんだ?記憶喪失のせいで人格まで完全に変わったのか?まさか、ここまで変わるとは――」


「――そうさ。僕は僕だ。赤人が知っている新士ではない。だから僕の邪魔をするな。」


「おい。俺はお前の命を救ったのに、そんな態度はないだろう。お前には何の能力もないんだ。だからこれ以上無茶するな。でないと死ぬぞ!」


その途端、新士は黙り込んだ。心の中に火がつき、これまですべての鬱憤うっぷんを赤人に向かってぶつけた。


「力がなくて何が悪い!一人の人間として他人を助けてもいけないのか?!ふざけるなよ!いい加減行かせろっと言っているんだよ!」


「お前の場合は一般人と違うだろ!」


新士はあまりにも赤人の態度が気に食わなく、こぶしをギュッと握りしめ、ゆっくりと腕を上げて赤人を殴ろうとした。


「邪魔だから、どけ――!」


「――すみません。お二人の会話を中断してしまって申し訳ありません。けど私は今、菅原すがはら新士君をお探しなのですが……」


赤人の後ろに背の高い白衣を着た男の人がカーテンを片手でめくって立っていた。新士は赤人を殴りかけようとしていた手を止め、こぶしをゆるめて小さく手を挙げた。


「……はい。僕が新士です。」


その男は『一ノ瀬いちのせ』っと挨拶をして、ここで働いてる医者と二人に伝えた。


「あ、そうだった。新士君。後で私の部屋へ来てください。部屋番号は105。少し話したいことがありまして……君が助けようとした女の子の件について詳しく――」


「――先生、3号室の前田さんが……」


いきなり看護師が一ノ瀬先生をカーテンの外から呼び出した。一ノ瀬先生は彼女に振り向いてから返事をした。


「わかった。すぐに行く。」


そういった後、新士に別れを言ってから部屋を急いで出て行った。


しかし、新士は一ノ瀬先生と喋らなくても彼が言いたかったことがすでに分かっていた。先生の表情にあの女の子の運命が描かれていた。


新士の心はきつく絞められ、ゆっくりと押しつぶされた。足に力が入らなくなり、ひざをついて地面に座り込んだ。


「(あの女の子……やっぱりダメだったのか……)」


新士は頭を抱えて床を見つめた。流れ落ちてきた涙は頬をなぞり、あごに集まってから膝の上にこぼれた。


「(あの子を助けられなかった。)」


新士はそう思ってしまった。


「(あの時、早く外に出ていれば……そばで喋っているより早く助けを求めに行けばよかったんだ。僕の弱弱しい心があの子の命をうばったんだ。いったい何を考えていたんだ、僕は?人を助けることなんて僕には……)」


新士の呼吸のリズムに違和感を覚えて、体は震え始めた。


「(自分を変えてみせる?僕はちっとも前と変わっていない。全く成長していない。強くなっていない。たくましくなっていない。勇気をもっていない。僕は…………役に立たない、才能がないクズだ。人を死なせた最低のクズだ。)」


手足が震え、ズボンは涙でびしょびしょになり、声もガラガラ。体の震えが止まらず、新士は床に座ったまま凍り付いてしまった。


「(絶対に助けに行く?ヒーローの約束?そんな事、すべて嘘だ。デタラメだ。彼女は暗闇の中、親も友達もいないまま一人で死んだんだ。そしてすべて僕の所為なんだ!)」


新士はますます自分で作った暗闇の底へ落ちて行った。


「(僕はあの時、橋の上から落ちた時……死んだ方がましだったかも――)」


「――新士!しっかりしろ!」


急に赤人が新士の肩を揺さぶる。彼は病室にいたことを気にせず、新士に向かって大声で叫んだ。


「俺はお前の事情を知らないが、お前が頑張ったってことを知っている。お前はやれることをすべてやった。だからもういい。ゆっくり休め。大丈夫だ。俺を信じてくれ。」


新士は色のない死んだ目で赤人を見つめた。


「(赤人……お前っていう奴は……)」


赤人が差し出した手をひっぱたたきながら自分の力で立ち上がった。


「ふざけんなよ……」


新士は独り言を言う。


「え?」


赤人は疑問を持ち、一歩下がる。その時、新士の体内の怒りが爆発した。心からすべて放って赤人に向かって叫んだ。


「何が大丈夫だ!?さっきの先生の姿を見て分からないのか!?なら、馬鹿なお前に説明してやる!僕が助けようとした少女は死んだんだ!これで理解したか!?」


赤人は言い返す言葉を失った。新士は叫びながら赤人に八つ当たりした。


「ああ、そうか。お前はいいよな。特殊な能力を持って、いろんな人を助けられて。お前、確かヒーローになりたかったんだっけ?僕を助けた際、もうお前は一人前のヒーローだよ、クソ野郎!とっととヒーロー・デビューでもして僕の目の前から消えろ!」


「(『大丈夫』だって!?『大丈夫』だって!!?『大丈夫』だって!!!!?ふざけるな!僕はあの子を死なせた!大丈夫なわけがないじゃん!僕は――)」


「――新士、聞いてくれ!」


赤人の声は鋭く、周りの空気をさえぎって、新士の心に届いた。今まで新士は赤人の怒り姿を見たことがなく、驚きながら何をどうすればよかったのか分からなかった。しかし、赤人は一人で冷静になり、新士に伝えたいことをまず頭の中でまとめた。そして彼は深呼吸を一回してから話した。


「俺はヒーロー・デビューなんかしない。むしろ、自分をヒーローなんて呼ぶ資格はない。なぜなら俺だって昨日、大切な人を亡くしたからさ。」


赤人がそう呟いた途端、新士の頭の中は真っ白になり、思考が一時停止した。赤人が呟いた言葉で新士はようやく落ち着き、冷静に赤人の話を聞けるようになった。赤人は新士の変化に気づいて、話を続けた。


「あいつは馬鹿で俺と一緒にヒーローを目指していたんだ。喧嘩もしたし、学校で叱られたし、いろんな人に迷惑をかけた。俺ら二人でいると、ろくでもない事ばかり起った。けど、一緒にいるだけで楽しかったんだ。あいつは俺を支え、俺はあいつを支え返した。でも、彼は昨日挨拶もせずに去っていったんだ。」


赤人はもう一度深呼吸をする。そして新士の目を見ながら続きを話した。


「いいか、新士。自分を責めるな。俺が言うのも何だが、お前は立派だ。最後まで彼女のそばにいてあげて、本当に立派だ。普通の人だったら彼女を無視して自分だけの命を守るためにその場を逃げていたと思う。」


新士は赤人の言うことを聞きながら考え込んだ。


「(そう言えば、彼女のほかに誰も図書館にいなかった。確か、『みんな逃げた』と彼女が言っていた……)」


赤人はため息をして話を続けた。


「何の能力もないお前が彼女を助けに行くなんて、本当に勇気が必要なのさ。さらに、あの地下室で長時間彼女と一緒にいただけでも、素晴らしいことだと思う。だから自分を責めるな。お前は立派だ。」


しかし、新士は不満そうな顔をして赤人に返事をした。赤人の視線を見たくなく、床に目線を向けてしまった。


「でも……勇気とか頑張りなんて、そんなの…………関係ないよ。だって、結局彼女は――」


「――そうかもしれない。でも現実を見てみろ。ヒーローは助けたい人を全員助けられるか?無理だ。ヒーローを待ちながら死んでいく人たちだっている。これは物語じゃないんだ。現実なんだ。世界中の人たちを皆、助けられるわけがない。なら、今のお前は何ができる?自分が自分を苦しめれば、亡くなった彼女が喜ぶとでも思うのか?そんなわけがない。お前が今やるべきことはたった一つ。もっと強く、たくましく、勇敢な人物になること。そして再び似た状況に巻き込まれた場合、今度こそ他人を助けられるようになればいい。」


新士はようやく顔を上げて赤人を見た。彼は微笑みながら新士に手を再び差し出した。しかし、新士は彼の手を取らなかった。


「なぁ、赤人。君が失った友達って、もしかして……」


「ああ、そうさ。君だ。具体的に言うと、過去の君だ。気づくまで時間がかかったが、君とあいつは別人だ。外形と声が似ていても、君は君。あいつはだ。だから俺は決めたのさ。お前をもう、あいつと同じ扱いをしない。ヒーロー好きで、俺に頼ってばかりの奴ではない。お前は昨日会ったばかりの新しい友達さ。だから改めて言わせてもらう。俺は赤人だ。よろしくな。」


赤人は手を差し出した。新士は頷き、彼の手を取って握手した。


「この頼りない俺と一緒にいてくれてありがとう、新士。」


笑い顔を見せた赤人は新士を引っ張って起き上がらせた。


「立てるなら一ノ瀬先生のところへ行ってこい。でもまずはその鬱陶うっとうしいづらを何とかしてからだな。」


鏡を見る新士は、顔についた涙の後を袖で消そうとした。

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