第2話 自分を愛せたのだろうか 2/3
(
点数は同点。次のイニングでゲームが決まる。ツーアウト。ベース満塁。そしてその男がバッターだった。
小さな体をガタガタ震えさせながら、小学5年生の新士は高校野球のスタジアムの観客席に座って、フィールドに立つ彼を見た。彼はヘルメットを少し上げ、ピッチャーを鋭く見つめる。相手の体はデカい。投げる球も速かった。けど、ここで彼が打たないと試合終了となる。
彼の親が真剣に見ている姿がモニターに映った。
観客も彼をじっと見つめた。
サイドラインから応援している彼の仲間も見ている。
すべての視線はピッチャーではなく、彼に向けられた。汗は垂れていたが、彼は平然とした表情を見せ、バットをギュッと握る。
そして、やっとピッチャーはボールを投げる。彼は目を閉じずにボールを見る。そして彼の腕についていた汗のしぶきはボールと共に空高く飛んだ。
観客が席から飛び上がり、一斉に叫んだ。
彼のチームメイトは両手を宙に上げ、応援した。
そしてその時、新士は気づいた。
この感覚。この喜び。この応援。まるで彼は物語のヒーローだった。
彼は拍手と応援を耳にしながらバットを投げ捨てた。ボールは遠くへ飛ばされ、時間は十分稼いだ。
そして彼は精いっぱい走った。汗の粒が額から転がり落ちて風に飛ばされた。1,2,3塁を周り、最後にホームへ到着。相手のチームにエラーが起こり、彼は点を稼いで試合を勝利に導いた。
新士はチャンピオンの座をとったチームの一番目のプレイヤーが背中を見せて右手を上げる瞬間を、この目に焼き尽くした。
観客はさらに声援を送った。チームのみんなは彼に抱き着いて涙を流した。そして新士は皆の笑顔を見ながら、心の中で思った。
「(僕も彼みたいになりたい!)」
そして小学五年生の夏、新士は親に相談して野球を始めた。
******
野球は学校の男子たちが一番盛り上がっていたスポーツだった。全校の役1/3は野球をやっていて、常に野球が学校内の話題だった。
はじめは簡単で、みんな同じぐらいの実力だった。ボールをキャッチする練習やバットを振る練習を繰り返し、下手な子もいれば上手い子もいた。しかし、野球を始めてから半年後、実力の差が見えてきた。練習した時間は同じだったはずなのに、ボールを投げるのが上手かった子や、バットでボールを打つのが上手かった子たちが目立ち、コーチに好かれてぐんぐん上達していった。
それを見ていた新士は『あの選手みたいに追いつくにはさらに頑張らないと』と思い、練習に全力を
そこまで真剣だった新士は、『絶対に彼のように上手くなってみせる』と自分に言いつけながら笑顔で毎日頑張り続けた。
******
これは新士が小学六年生の終わりごろの話だった。
もうすでに半数は野球を
他のチーム・メンバーはピッチャーやフィールドに出ていたが、新士はだいたいベンチに座って彼らの実力を見学していただけだった。
だが、それでも試合に出られた日は新士の前に訪れた。体が震えながらベンチから立ち上がり、フィールドの上を歩いた。
「(僕が輝く出番がきたんだ。)」
右手を胸の真ん中に当て、深呼吸を何度もしながら自分を落ち着かせようとした。そしてミットを左手にはめてフィールドに立ち、相手のバッターを見ながら待ち構えた。
その日は風がピッチャーに向かって強く吹いていて、投げたボールの速度はかなり弱まっていた。その情報に気づいたバッターはボールを高く、強く打てた。風が相手の見方をして、フィールドの奥へ飛ばされた。
運が良かったのか、悪かったのか、ボールは新士に向かった。空を見上げて走り始めたが、風でボールの落ちる場所が予測できなかった。しかし、それでも目を離さず走り続けた。
ゲームの試合はどっこいどっこいで、この点が入れば相手のチームの勝利となる。そしてその判断を下すのが新士だった。
「(ここで
不安な気持ちで走り続けた新士は鳥肌が立った。ボールは空中を飛びながら左右に動き、風の影響でなかなか落ちてこなかった。
しかし、新士はボールのペースについていけて、落ちてくるタイミングと同時に上を向き、ミットでボールをとらえる構えをした。
相手のバッターは思いっきり走っていた。二塁を通り過ぎて三塁へ向かって走った。
冷や汗をかいた新士は目を大きく開けて、ボールを見つめた。
「(よし!これならとれる!あの日、優勝した野球選手の根性を思い出せ!)」
ボールはミットに当たった。中心に当たった。でも……でもミットからはじけて新士はボールを落としてしまった。
急いでボールを地面から拾い、ピッチャーに向かって投げた。しかし焦った新士は風のことを忘れていて、投げたボールは全く届かず、フィールドをゴロゴロ転がる。結果、相手はホームに戻り、優勝を獲得した。
******
「ドンマイ、新士。」
「補欠としてよく頑張ったよ。」
「風さえなければ俺たち勝てたのにな。」
試合終了後、みんなベンチで新士に声をかけた。別にチームのみんなは新士に怒ってなんかいなかった。ただ、そっぽを向きながらやさしい言葉をささやいて一人ずつ背中を向けて帰っていった。
コーチも新士に声をかけてくれたが、その言葉は全く耳に入らなかった。
気が付いたら一人でベンチに座っていた。それでも新士は地面を見つめ続けて、ただ思った。
「(なんで?なんでなの?あんな簡単なボールなんか誰だってとれたのに、なんで僕は取れなかったの?僕は努力をなんのためにしてきたの?馬鹿なの?あほなの?あの程度のフライボールなら一年生だってとれたじゃないか!やっぱ僕って野球に向いていないのか?もう、やめればいいのか?あの日、あのあこがれた選手みたいに僕は絶対になれないというのか?)」
頭を抱えた新士は歯を食いしばった。
「(みんなに迷惑をかけたのに、なんで僕を叱らないんだ?なんで優しい言葉をつぶやいてくれるんだ?僕を責めないのか?それとも僕の実力はあの程度だと予測されていたのか?もうやだ、こんなの。どうせ、自分も気づいていた。こんな夢を追いかけてもしょうがないってことを。)」
実は新士が大事なエラーを起こしたのはこれで初めてじゃなかった。補欠として試合に出た再、新士は何か失敗をして、チームを負かせてしまう。それが嫌だった新士は自分が憎かった。いくら努力を重ねても、自分は『うまくなれない』と確信した。
「(もう、やめようかな……)」
そして新士はその日から野球をやめてしまった。
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