第252話 グレイフナーに舞い降りし女神⑪



      ☆



 コロッセオから離脱したゼノ・セラーとゾーイは、クリフを抱えたまま巨大都市グレイフナーを東へ進み、防壁を超級飛翔魔法で突破した。

 飛翔魔法は効果範囲内にいる指定したメンバーを風の膜で覆い、移動するものだ。


 人でひしめきあっていた街並みが消え、眼下にはどこまでも続く草原が広がっている。

 そのまま距離をかせぐつもりで、街道から外れた方角へとゾーイはアーティファクトの杖を掲げた。


 だが、突如として看過できない突風が吹き荒れた。


 ゾーイは咄嗟に杖を振って進路を変えようとするも、間に合わないことを悟る。クリフを盾にして防ごうと彼を抱えている左腕を動かそうとしたところで、隣にいるゼノ・セラーがつぶやいた。


「“絶縁インソリューション”」


 黒い物体が現れると突風がかき消えた。

 そのコンマ数秒後、上空で魔力がふくれあがり、太陽を背にした何者かが横切った。


「斜ッッ!!」

「——““死霊の手ゴーストハンド”」


 右脚を振り下ろす強烈な蹴りと、“死霊の手ゴーストハンド”がぶつかりあった。

 その衝撃で空気が揺れ、ゼノ・セラー、ゾーイは地面へと墜落する。


 ゾーイが魔力をふりしぼり、飛翔魔法で地面との激突をふせぐと、ゼノ・セラーが“死霊の手ゴーストハンド”を利用しながらゆっくりと着地した。

 クリフはゾーイに抱えられたまま、ぴくりとも動かない。


「よっこいせと。ふぅー、間に合ったわい」


 彼らの前に、赤ら顔をした白髪のじいさんが着地した。


 飄々とした物言いは、一般人が見ればただの酔っ払いの老人だと思って侮るだろうが、ゾーイの目にはただならぬ魔力と老獪な戦闘技術が背後に透けて見え、自然と身体が臨戦態勢になった。


「弟子が心配しておる。クリフを返してもらうぞい」


 そう言って、じいさんは左手を目の高さに、右手をその後ろに添える、独特な体術の構えをとった。


 実のところ、ポカホンタスは日に日につらくなる腰をサキュバス族のヴァルヴァラに揉んでもらい、どうにか痛みが引いたので、どれ、アリアナとエリィの様子を見てやろうかのぅ、とコロッセオに向かった。老化による腰痛などは白魔法で治癒しても一時しのぎにしかならないため、魔闘会に遅れたのは仕方のないことだった。


 ポカホンタスがコロッセオに到着すると、会場が騒然としてる真っ最中であった。

 場面としては、ゼノ・セラーと名乗る男が不気味な魔法を使ったあと、コロポックルのような見た目の女がその男とクリフを連れて飛び立つところであり、エリィが悲痛な表情で叫んでいた。


 そのワンシーンを見てポカホンタスはすべて得心した。


 超級魔法を使用するゼノ・セラーとゾーイに追いついたのは、自身の持つ技術と研鑽によるところが大きい。



「貴様……予知者のポカホンタスか」


 ゼノ・セラーは眉一つ動かさず、老人を見た。


「ほう。わしのことを知っておるか」

「貴様の師とやらには世話になった。いや、なっている、と言ったほうがいいか」

「……わしの師は死んだ」

「ああ、死んでいる」


 一方、ゾーイは相手が砂漠の賢者ポカホンタスと知って、驚愕した。


 いるかいないかも分からない伝説の魔法使いとされている人物が突然目の前に現れて、どういった態度を示せばいいか分からない。言動からして、クリフを奪還しにきた刺客と考えたほうがいいのだろう。


 利用制限のある超級魔法アーティファクトのせいで数時間魔法が使えない状態になっているが、クリフを抱えてこの場から離れることくらいはできるな、と彼女は冷静に考えた。


「どうされますか?」


 ゾーイの問いに、ゼノ・セラーは一瞥もせず、前を見たまま口を開いた。


「ポーションで回復させろ」


 ゾーイは一礼し、ローブのポケットから最上級のポーションを取り出した。

 次にクリフを地面に寝かせ、胸からナイフを引き抜き、そこへポーションの液体を半分ほど垂らし、残りは失神しているクリフの口にあてがって湿らせるようにして少しずつ飲ませた。


「ふむ。クリフを殺さないのじゃな?」

「利用価値がある」

「死んだら困るから、の間違いではないかの? 死んでしまえば複合魔法の使い手である六名全員が揃わないからのう」


 どこか達観した様子で言うポカホンタスに、ゼノ・セラーは無言を貫いた。


「無言は肯定と受け取るぞい。以前から複合魔法について調べ、気になっていたことがあるのじゃ」

「……」

「複合魔法の文献が残っていないことじゃ。落雷魔法以外はものの見事に隠蔽されておる。誰かの手によって、意図的に隠されたかのような周到さで資料が紛失しており、グレイフナー、パンタ国、サンディ、メソッド、セラー神国、沿海州、どこを探しても、一文字も出てこない」


 ゼノ・セラーはガラス玉のような無機質な瞳でポカホンタスを見つめた。


 ゾーイはポーションを右手で操りながら砂漠の賢者の独白を聞いて、戦々恐々とした。


(砂漠の賢者が言うことは本当だ。複合魔法の情報はどこにもない。かろうじて落雷魔法の使用者がユキムラ・セキノ、という情報だけがグレイフナーに残っている。予想はしていたけれど、ゼノ・セラー様がお使いになる魔法は複合魔法なのだ)


 ゾーイは妖精コロポックルと似た目をゼノ・セラーへ向ける。

 ポカホンタスとゼノ・セラーのあいだには、得も知れぬ緊張感が走り、空気が張り詰めた。


「わしの師匠が死に際に言った一言がある。それは『複合魔法の一つ、絶魔法の使い手に会った場合、むやみに手を出すな。最大の対抗策は遁走することだ』というものじゃ。あの師匠が強く未来を提示したのは後にも先にもあのときだけじゃった」

「分かっていながら我に手を出してくるとは、貴様の師はあの世でさぞ悲しんでいるな」

「やけに簡単に認めるのじゃな」

「知ったところでどうなるわけでもない」


 ゼノ・セラーが多分な意味を含め、やけにもったいぶってゆっくりとセラーの印を空中に切る。

 ポカホンタスはその仕草から見て取れる気味の悪さに、不快な気分になった。


「おぬし、絶魔法の使い手じゃろう」

「だとしたら、どうするのだ。予知者“ドニ・イァン”の弟子、ポカホンタスよ」


 久しく聞いていない師の名前を聞き、ポカホンタスは心中で苦い顔を作り、一度として勝てなかった師匠の傲岸不遜な顔を思い出した。そして、そんな師匠が「敵対するな」などらしくない言葉を言った死に際を思い出し、複雑な心境になった。


 得体の知れない目の前にいる男に、自分が勝てるかどうか分からない。

 今自分が抱いている気持ちが恐怖なのか戦慄なのか、判断もつかない。


 それでも、ポカホンタスは何事もないふうを装ってひげを撫でつけた。


「……どうもこうもない。弟子の愛する者が連れ去られるのを黙って見ているほど、もうろくしておらん」

「死よりも矜持を選ぶか」

「どうじゃろうな」

「師の助言を守れば助かったものを——」

「じゃが、男というものは逃げてはならんときがある。それが、今じゃ」


 突然、ポカホンタスが消えた。


 身体強化を施して背中から空魔法“拡散空弾ショットエアバレット”を噴射し、猛烈な加速でゼノ・セラーに突っ込んだ。



「打ッッ!!!!」



 音速に届きそうな速度の右拳打がゼノ・セラーの腹部に吸い込まれ、空気抵抗と衝撃で、甲高い破裂音が響いた。


 ゼノ・セラーは十二元素拳の一撃をもろに食らい、後方へと吹き飛ばされた。


 脇で見ていたゾーイは一瞬の出来事に目を白黒させた。

 彼女にはポカホンタスが突然かき消え、ゼノ・セラーがいきなり吹っ飛んだように見えた。


 ポカホンタスは確かな手応えを感じたが、右手に強烈な違和感が残った。


(人間を殴った感触ではないのう。何か、こう、何枚も重ねた肉を叩いたような……)


 吹き飛ばされたゼノ・セラーはダメージで地面に倒れていると思われたが、実際は土に背をつけておらず、自身の魔法で背後をガードしていた。ゼノ・セラーが手を振ると、背を包むようにしている黒い大きな手が、音も立てずにポカホンタスへと近づいてきた。驚くことに、無傷であった。


「それが予知者の体術か。おもしろい」

「おぬし、人間か……?」

「人間の存在を定義づけするくだらない問答をするつもりはない」

「この世に壊れぬものはない。じゃが、おぬしはその理を覆す禁忌を犯しておるのじゃな?」

「禁忌。禁忌と言うか。明確な文化を持つ人間にのみ許される言葉だ。この地にいる者どもが使うには不適切な単語だ」

「傲慢じゃな」


 ポカホンタスは再度前進した。

 身体強化“上の上”を全身にかけ、“拡散空弾ショットエアバレット”を噴射して瞬時に移動し、内臓破壊を目的とした掌打を放つ。


「破ッッ!!!!」


 炸裂音が響き、ポカホンタスの右手がゼノ・セラーの胸にめり込んだ。

 ゼノ・セラーは吹き飛ばされずに足を後ろに出して耐え、“死霊の手ゴーストハンド”を前方に展開する。


 ポカホンタスはバク転で回避する。

 黒々とした、まさに死霊の手という魔法名にふさわしい不気味な腕が、鼻先をかすめた。


 距離を取って、十二元素拳・空の型を構えた。

 肺を破壊するあの一撃を食らって平然としている姿を見て、ゼノ・セラーの身体になんらかの魔法障壁が施されていると予想を立てる。


「“死霊の社交場ゴーストダンスホール”——“死霊の手ゴーストハンド”」


 ゼノ・セラーの右手から魔力が噴き出し、足元に直径三十メートルの魔法陣が展開される。持続系の魔法なのか、黒と紫の光を発しながらゆっくりと回転を始めた。さらに、音も立てずに無数の黒い手が地面から湧き出した。


 禍々しい手は地面から伸びて肘の部分まで姿をあらわし、次々に増えてポカホンタスの周りを取り囲む。


(この魔法陣——“死霊の手ゴーストハンド”とやらを強化する補助系の魔法か。近接戦闘のわしに合わせてエリアを指定しておるのじゃろう。さらに“死霊の手ゴーストハンド”は上位中級の拘束力と攻撃力を有しておる。この数は驚異的……さすが複合魔法と言っていい)


 ゼノ・セラーが指を振ると、“死霊のゴーストハンド”が一斉に動き出し、ポカホンタスに襲いかかる。約五十本の手は五本一組になり、前衛がスタンダードに攻め、中衛が補助にまわり、後衛が絡め取るという巧みな連携を取って迫った。


 ポカホンタスは十二元素拳の歩行技で冷静に処理し、拳打と蹴りで“死霊のゴーストハンド”を破壊していく。


 身体強化+空魔法の合わせ攻撃を一撃当てれば消えてくれるため、肝を冷やすほどの驚異は感じないが、それでもしくじれば取り込まれ、集中砲火を受けるのは目に見えていた。


 生死の境目で綱渡りをするような緊張感の中、ポカホンタスは空魔法の噴出で強引に“死霊のゴーストハンド”の包囲網を突破し、ゼノ・セラーに肉薄した。


「——“絶縁インソリューション”」


 タイミングを見計らっていたのか、ゼノ・セラーがポカホンタスの足元へ黒い物体を生成した。


 “絶縁インソリューション”は絶魔法の基本魔法にあたる。


 雷魔法の“落雷サンダーボルト”と同じ位置づけになり、エリィが連射しても息切れしないのと同様、シンプルで強力な魔法であった。

 しかも、触れた物体の魔法をほぼ無効化するというとんでもない効果をもっており、小橋川が聞いたら「インサイダー取引ばりの卑怯な技だ」と罵声を浴びせかけること間違いなしの反則級の魔法であった。


 ポカホンタスは足元に魔力のゆらぎを感じ、十二元素拳歩行技“縮歩”で歩幅を強引に変えた。


 しかし、わずかに魔法が足に触れ、思い切りローブの裾を引っ張られたような脱力感が襲う。


(やはり、魔法を無効化する能力じゃな)


 高速で移動するさなか体勢を崩すも、すぐに立て直して手刀をゼノ・セラーに叩き込む。


「“死霊のゴーストハンド”」


 ポカホンタスの手刀が肩に食い込むのと同時に、ゼノ・セラーは“死霊のゴーストハンド”を己の両腕に展開。そして思い切り叩きつけるようにして、ポカホンタスを殴りつけた。


 よもや体術で応戦してくるとは思わずポカホンタスは空の型で弾き、右足を軸にしてするりと反転して攻撃をかわし、ゼノ・セラーの横へと滑り込んだ。


「蛇・竜ッ!!!」


 十二元素拳決め技の一つ、“蛇竜拳”がゼノ・セラーの脇腹をえぐった。


 左手を鉤爪の形にして横に切り裂き、対象の魔力が乱れたところに寸分の狂いもなく右拳打を叩き込む、コンビネーション技だ。身体強化と空魔法での強化も忘れておらず、騎士団シールドのメンバーでもこの攻撃を受けたら一撃で昏倒する。


 ゼノ・セラーはわずかに体勢を崩し、威力の強さに身体が浮いた。


 ポカホンタスは攻撃の手をゆるめずに、さらに一歩踏み込み、身体を反転させて右腕、左腕を水平に突き出し、ゼノ・セラーの腹部に拳が当たるのと同時に右足を思い切り踏み込んだ。


「ハッ!!!」


 “通背拳”が炸裂した。


 地面にポカホンタスの右足が埋まり、ドグン、という超重量の物体で打たれたかのような鈍い音が響く。


「——くく」


 ゼノ・セラーが笑いとも苦悶ともとれる声を漏らしつつ、三メートルほど地滑りする。


 すると、足元の魔法陣が黒々と光りを放ち、液体状に変化した。

 わずか数秒で直径三十メートルの地面が黒い液体に覆われた。


「むっ」


 ポカホンタスは予期していたのか、身体強化+空魔法の跳躍で脱出を試みる。

 しかし、身体が一メートルほど跳んだところでガクンと力が抜け、落下した。


 受け身も取れず地面に突っ込み、その勢いで黒い液体が弾け、ポカホンタスの半身がずぶ濡れになった。


「絶魔法、“絶縁の黒沼インソリューションブラック”——」


 そう言いながらゼノ・セラーは“死霊の手ゴーストハンド”を繰り出し、立ち上がったポカホンタスを殴りつける。


 思うように魔力が練れないポカホンタスは、かろうじてかけた身体強化“上の下”と十二元素拳風の型でどうにか攻撃をかわした。


「“死霊の手ゴーストハンド”……生身の腕と同じ動きを再現する魔法だ。どうだ、美しい魔法だろう?」


 ゼノ・セラーがさらに“死霊の手ゴーストハンド”を増やして、執拗にポカホンタスへ攻撃をしかける。

 黒い手が拳を叩きつけ、手刀を落とし、無造作に薙ぎ払う。

 ポカホンタスは最小限の動きでかわし、いなし、拳をぶつけて破壊を試みる。


 足元が粘り気のある黒沼に取られ、しかもどうやら魔力循環を阻害されているのか思うように身体強化ができない。無理に強化しようとすれば、魔力が著しく減ってしまい、まさに敵の思うつぼであった。


「ぐっ——!」


 ついにかわしきれなくなった“死霊の手ゴーストハンド”の攻撃がポカホンタスの肩付近に直撃した。

 吹き飛ばされようにも足元にある沼がまとわりついてそれすら許さず、地面に固定されたサンドバックのように上半身だけ押し倒される。


「ハッ!!」


 ポカホンタスは体勢を崩しつつも、拳で冷静に正面の“死霊の手ゴーストハンド”を破壊した。


 だが、攻撃の手はゆるまない。

 ポカホンタスは二発、三発と攻撃をもらってしまい、ダメージが蓄積して全身に鈍痛が走る。かろうじて急所への攻撃は回避しているも、身体強化ができないこの状況はどう考えてもジリ貧であった。


(絶魔法……ここまでとは思わなんだ)


 対象者を足止めして魔力阻害をする拘束系の魔法はこの世界にいくつか存在する。特に強力なものは木魔法と黒魔法にあり、どちらも一度捕まると抜け出すのがなかなかに難しい。


 それでも、ポカホンタスほどの技巧があれば、二秒ほどで抜け出せる程度だ。

 そもそも彼が拘束魔法につかまることはほとんどない。


 魔法陣が変形して水溶化するなど、一種の擬態魔法だった。

 未知の魔法に十分注意していたつもりであったが、この異質といってもいい拘束魔法は対象者を苦しめるという点においては狡猾という言葉につきる。


(この世に存在する魔法体系内でとるべき姿をしておらん。魔法そのものを拒絶する、魔法の道理を魔法にして外れた、矛盾した系統魔法じゃ。そうとでも考えねばわしが抜け出せぬなどありえん)


 すべての魔法に精通したポカホンタスらしい分かりやすい見解であった。

 そしてその予想はほぼ的中している。


(死を操り、魔法を絶縁する……。エリィの扱う、まっすぐで正直な雷魔法とは似ても似つかぬ陰湿な魔法じゃな)


 こんなときでも愛する弟子と比べてしまうポカホンタスは、いい意味で弟子バカであった。


「魔力循環が弱くなっているな」


 ゼノ・セラーが大仰に指摘してくる。


「予知者の弟子、ポカホンタス。……貴様も我の従士として加えてやろう。もっとも、老いてあまり美しいとは言えないが」


 己が使っている魔法の効果がこの世界で最強レベルの魔法使いに有効だと分かって高揚しているのか、ゼノ・セラーがずいぶんと饒舌に語る。

 彼の動きに合わせて“死霊の手ゴーストハンド”の群れがピタリと停止した。


「では、さようなら。予知者の弟子、ポカホンタス」


 ゼノ・セラーは魔力を込めて、“死霊の手ゴーストハンド”を巨大化させていく。地面から肘まで生えていた腕が、肩まで出現し、さながら黒い木々が沼から生えてきたような様相になった。


 腕が伸び切ると、とてつもないスピードでポカホンタスに肉薄した。

 敵が身体強化をしていない絶対的に有利な状態であっても攻撃に妥協を許さない、ゼノ・セラーの性格がうかがえる強襲だった。


 ポカホンタスはこのままでは無駄死になると察し、十二元素拳最終奥義、魔力内功の行使へと思考をシフトした。


 身体強化は、魔力を身体全体にまとわせる。


 一方、魔力内功は魔力を爆発させるようにして噴出させ、精緻な魔力操作で強化したい箇所に押し留め、身体強化という現象を引き起こす裏技のような技術だ。


 足元の黒沼は皮膚がちりちりと焼けるほどの魔力阻害をしてくるが、体内までは入り込んでこない。そのため、魔力内功は有効と判断した。



「——っ!!」



 両足を魔力内功で瞬間的に強化し、飛び出した。


 ぶちりという音が聞こえ、魔力阻害の黒沼をポカホンタスは脱出した。さらに正面に迫る“死霊の手ゴーストハンド”をそのままの勢いで蹴り飛ばし、軌道を修正。刹那でゼノ・セラーに近づいた。


 背中から空魔法を噴射し、さらに魔力内功で右腕を強化。


「打ッッッ!!!!!!」


 “上の上”の莫大な魔力が一気に噴出され、右拳打の一撃に込められた。

 その威力は通常の一・五倍。


 ドガァッ!

 という強烈な炸裂音とともに、防御展開された“死霊の手ゴーストハンド”を破壊し、両腕をクロスして顔をガードするゼノ・セラーがボールのように吹き飛んだ。


 “上の上”の拳は高層ビルを一発で倒壊させる威力だ。

 そんなミサイル級のパンチが奥義・魔力内功によって増幅され、超級に匹敵する破壊力を生み出した。


 地面に巨大な放射状のひびが走り、さすがのゼノ・セラーにもダメージが入ると思われた。


 ポカホンタスはすぐさま地面を蹴り、驚いた顔で観戦しているゾーイへと一瞬で近づいた。


「あっ………!」


 喉と胸をあいだに掌打を叩き込んでゾーイの意識を刈り取り、クリフに向かって即座に白魔法を行使する。


 光の柱が立ちのぼり、血で赤く染まったセラー教の儀礼服を着ているクリフが癒やしの魔法に包まれた。


 ポーションである程度回復していたためか、ナイフで刺した傷がみるみるうちにふさがっていき、顔色にも生気が戻った。ポカホンタスが使用した白魔法中級“加護の光”は失った血液をわずかながら補充する能力もある。効果は十分だった。


(ふむ、死んではおらんが、目を覚ます様子がない。ひょっとすると……クリフは自らに天視魔法をかけたのかもしれん。このまま担いでゼノ・セラーから逃げるのが吉じゃ——ッ?!)


 背後に“死霊の手ゴーストハンド”が出現し、素早くポカホンタスは迎撃する。


 しかし、別の腕がかっさらうようにしてクリフの身体をつかんでゼノ・セラーのもとへと運んだ。意識を失っているゾーイもそれとは別の腕によって運ばれる。


(思ったよりも立ち直りが早いぞい……!)


 ポカホンタスは十二元素拳の構えを取る。

 ゼノ・セラーの姿を見ると、傷はおろか着ている白いローブにホコリ一つついていない。これにはポカホンタスも焦りを感じた。


「“死霊の社交場ゴーストダンスホール”、“絶縁の黒沼インソリューションブラック”——立方体キューブ


 ゼノ・セラーがつぶやくと、魔法陣が六枚出現し、上下左右前後、空間すべてを覆い尽くして距離三十メートルの立方体に変形した。


「さあ、どうする、予知者の弟子」


 ゼノ・セラーが端正な顔をゆがめて、腕を広げてみせた。

 逃げ道のすべてを塞ぐ魔法で太陽光が遮られ、ポカホンタスの周囲は夜さながらの暗さになった。


(先ほどの黒沼で囲まれたか。これは……いかんのう)


 魔法陣がぐにゃりと変形して液体化していき、六面すべてが黒い沼地へと変わった。上からはぼたぼたと黒い液体が地面へこぼれてくる。


 魔力内功の十二元素拳で空中に壁のごとく出現している黒沼を破壊できるかは分からない。


「“空刃斬撃エアスラッシュソード”」


 空魔法中級、空気の刃が黒沼を斬りつけるが、液体に触れた途端、魔法が霧散した。


(強固な魔力妨害じゃ。魔法一発撃つのも一苦労じゃな。……やはり拳でどうにかするしかないようじゃ)


 ポカホンタスは構えを「空の型」から攻撃重視の「炎の型」へと切り替え、魔力内功で爆発的に両足を強化して、飛び出した。



「打ッッッ!!!!!!」



 フェイントなしの純粋なパワーで相手をぶちのめす拳打がゼノ・セラーに肉薄する。


 だが、今回は対応できたのか、拳があたる前にゼノ・セラーが絶魔法“絶縁インソリューション”を展開し、拳の衝撃を吸収させた。


 相当量の魔力をこめた“絶縁インソリューション”は分厚い寒天のような半透明の壁となり、拳を飲み込んだ。


「ぐっ……!」


 触れた先から魔力が抜け落ち、ポカホンタスは思わずうめき声をもらした。


 それでも長年培ってきた技巧で、右手を“絶縁インソリューション”に埋めたまま素早く地を蹴って、魔力内功を発動させて蹴りを放つ。


 それも、二枚目として展開された“絶縁インソリューション”に阻まれた。

 魔力内功による蹴りがあまりにも凄まじい威力のため、衝撃で“絶縁インソリューション”が五割ほど弾け飛ぶ。が、破壊にはいたらず、ずぶずぶと左足が半透明の魔法に飲み込まれた。


 ポカホンタスは右手、左足を捕らわれて宙に浮いた状態になった。

 ゼノ・セラーの絶魔法が触れている部分はうまく魔力が練れず、身体強化も魔力内功も難しい。


「さすが、予知者の弟子といったところか」


 ゼノ・セラーは油断なく“絶縁インソリューション”へさらに魔力を注ぎ、ポカホンタスの拘束を強固にする。


「死んで我の兵となれ」


 ゼノ・セラーは背後に“死霊の手ゴーストハンド”を出現させて、ポカホンタスを握りつぶそうとした。


「——おぬし、何を怯えておる」


 ポカホンタスは宙に浮いた状態でも、いつもと変わらない飄々とした態度だった。空いている左手をローブのポケットに入れ、軽い世間話のような体で話しかける。


「おぬしの中に恐怖が見える。違うかのう」

「我に恐怖?」


 “死霊の手ゴーストハンド”の動きが止まった。


「貴様は言葉の意味を理解しているのか? 貴様は数秒後に死ぬのだ。我に恐怖などない」


 会話に乗ってきたゼノ・セラーを見て、ポカホンタスは「やはり」と思った。

 戦った実力を見れば、強引にエリィを捕らえることもできたはずだが、この男はそれをしなかった。


 一見、支離滅裂にみえる行動にも、何か原理があるのではとポカホンタスは探っていた。この状況になってようやくその正体が分かったような気がした。


 コロッセオに到着した際、ゼノ・セラーが拡声して話す内容の端々に「ユキムラ・セキノ」というフレーズが使われていた。

 そして落雷魔法使用者のエリィを捕らえた。


 絶魔法、死者を操る、ユキムラ・セキノ、落雷魔法使用者ユキムラ・セキノが実在していたのは四百年前。それらのピースを組み合わせ、ポカホンタスは予想が限りなく真実に近いと確信する。


「おぬし、己の死をも操っておるな……?」


 殴りつけたときの感触は人間の身体とは違う別の生物に思えた。絶魔法を使えば長期間肉体を保つことはできそうであり、何らかの道具や魔法を使って長生きをする。信じがたいが……可能なのだろう。その秘密は、人間ならざる肉体にあると思われた。


「ユキムラ・セキノに執心しているのは、同じ複合魔法使いだからじゃろ? そう考えるとおぬしの言動には一貫性があるのう。して、四百年前、何があったのじゃ?」


 ゼノ・セラーはポカホンタスを見て口角を上げ、大きく笑った。


「まさしく予知者の弟子だ。やはり、貴様はここで殺しておこう」

「落雷魔法を恐れたのではないか? だから、エリィを深追いしなかった。違うかの?」


 ポカホンタスはゼノ・セラーの態度を無視して話をつなげる。

 ゼノ・セラーは苦々しく思ったのか、語気を強めた。


「黙れ。我は落雷魔法使用者ごときに恐れなど抱かん。見たところあの小娘は野蛮なグレイフナーという国を好いているようだ。それを蹂躙し、殺し、我の従士に加え、恐怖と屈辱を刷り込んでやれば、さぞいい顔になってくれるだろう。それに、あのようなモノがグレイフナーにあること自体が忌々しいのだ。あれは我のモノだ」

「なんじゃ? グレイフナーに何がある?」

「——貴様が知っても無意味なモノだ」


 ポカホンタスはゼノ・セラーの雰囲気が変わったことを察し、死の恐怖がじわりと全身を這い回った。

 ローブのポケットに入れた左手に力を込める。


 ゼノ・セラーはこれ以上話すことはないのか、“死霊の手ゴーストハンド”を動かした。

 ポカホンタスは“絶縁インソリューション”に捕らわれ身体強化はおろか、魔力循環すらおぼつかない。頼りの体術も片手片足を封じられている。絶体絶命の危機であり、脱出は不可能だった。



「そのモノとは——美尻じゃな」



 ポカホンタスはそれだけ言って、ローブのポケットから指先大の虹色に輝く宝玉を取り出すと、躊躇せずに握りつぶした。


 ギィィィンという音とともに暴力的な魔力が膨れ上がって七色の魔法陣が何十枚と出現すると、“死霊の手ゴーストハンド”が弾け飛び、周囲を覆っていた黒い沼も消滅する。


 七色の魔法陣がポカホンタスの身体にまとわりついた。

 あまりのまばゆさにポカホンタスとゼノ・セラーは目を閉じる。


 ゼノ・セラーは突然の出来事に驚いたが、魔道具による魔法だと気づいてすぐに“絶縁インソリューション”を発動してポカホンタスを取り込もうとした。


 しかし、七色に輝いた白髪のじいさんは、こつ然と姿を消した。

 あまりに唐突であったため、この場所に先ほどまで彼がいたことが事実でないように思えた。


 魔力の残滓が空中にキラキラときらめいて周囲が静けさに包まれる。


 ゼノ・セラーは虚空を見つめ、殺しそこねた予知者の弟子へ憎悪を膨らませた。





       ☆





 七色の宝玉を使ったポカホンタスは転移に成功し、ひんやりする地面に横たわった。ここがどこなのか確認しようとすると、急に目の前が真っ暗になって、むぎゅっ、と柔らかい桃に顔中が包まれた。


 しかし、その幸せは一秒たらずで終わった。


「きゃあっ!!!」


 柔らかい桃がすぐに顔から遠ざかった。


「お尻に変なものが……って、あれ? 砂漠の賢者様?」


 ポカホンタスを見下ろして可愛らしく首をかしげたのは、ゴールデン家三女、エイミーだった。


 コロッセオで起きたセラー神国の騒動で貴族らしく怪我人の回復やエリィの補佐をしていたエイミーは、疲れたので簡易ベンチに座ろうとした。そのベンチにポカホンタスが転移してきて尻で踏み潰してしまったというわけだ。


「あの〜、こんなところでどうされたのですか?」

「うむ。ゼノ・セラーを追った」

「え、あれ?! 身体中が傷だらけですよっ! “癒発光キュアライト”!」


 温かい光がポカホンタスを包む。

 エイミーの優しげな垂れ目とタイトなスカートで張り出している美尻に、ポカホンタスは、うむ、とうなずき、脱出が成功したことを確認した。


 七色の宝玉は世界の果てで発見した使い切りのアーティファクトであった。

 瓶詰めで二十個ほど入っていたそれは、己の望む場所へと一瞬で瞬間移動するという効果があり、過酷な旅をしていた若かりしポカホンタスを何度も救ってくれた。


 最後の一つを緊急用にローブへ忍ばせており、引退したらエリィにプレゼントしてやろうと考えていたが、今回使うはめになってしまった。

 どのみちポカホンタスでも解析不能だった代物で、分解をして転移魔法の研究に役立てるというのは不可能だろう。まだ死ぬわけにはいかなかったため、使用したことに後悔はない。


 ちなみにポカホンタスは毎回必ず美女の尻付近に緊急転移する。

 宝玉を作った人物もそんな移動先にきっと泣いている。


「賢者様、顔が真っ青ですね……魔力枯渇ですか?」

「うむ……。すまんが眠らせてもらう……」

「分かりましたっ。うちに運んでもらいますから安心してくださいね」

「おぬしは……いいおなごじゃのう……」

「そんなことないですよぉ〜」


 そう言いながらエイミーはもう一度ポカホンタスに“癒発光キュアライト”を行使した。余計な事情を詮索せず、ただゆっくり休んでほしいと願う彼女の優しさと気遣いが感じられた。


「あとで……おぬしと……アリアナに、話がある……」

「え? 私とアリアナちゃんに?」

「そうじゃ……」


 そこまで言ってポカホンタスは寝息を立ててしまった。

 エイミーはどんな話だろう、と疑問に思って首をかしげたが、考えても分からなかったのでひとまず保留にし、ゴールデン家使用人を呼んで彼を運び出し、エリィのもとへと向かう。


 エイミーはポカホンタスが傷だらけの魔力枯渇状態で現れたことに言いしれない危機感を感じ、自然と歩みが速くなった。


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