第222話 エドウィーナ・情熱と日常について


 首都グレイフナーの一番街に居を構える『冒険者協会兼魔導研究所』は王宮に次ぐ規模の建造物であり、冒険者協会と魔導研究所が背中合わせになっている。また、両職員が行き来できるように複雑に連絡通路を設置しており、最新の情報が即座に研究所へ反映される仕組みになっていた。


 魔導研究所は試験と面接をくぐり抜けた優秀な魔法使いか、国王の推薦状を持っている者しか就職できない研究職を目指す若者の憧れの的だ。


 国を挙げての一大興行『魔闘会』が間近ということで一番街のグレイフナー大通りは人でごった返しており、大通りに面している冒険者協会兼魔導研究所の前も人で溢れかえっていた。


「今年も観光客が多いわね」


 馬車の窓からひっきりなしに動いている人の群れを見て、美しい令嬢はつぶやいた。


「さようでございますね」


 少々気難しい性格をしている令嬢の不興を買わぬよう、専属のメイドが無難に相槌をうった。


「ここでいいわ。歩いて行きましょう」


 四頭馬車が四台並んでも余裕があるグレイフナー大通りは大渋滞になっている。

 このまま馬車内にいたらすぐそこに見えている魔導研究所まで三十分はかかってしまいそうだった。


「かしこまりました」


 令嬢は決断すると答えを待たずして立ち上がり、馬車のドアに手をかけてそのまま開いた。


 メイドは主である令嬢が何でも自分でやってしまうため常に動きを予測しているが、今回は間に合わなかった。その代わりドアが閉まらぬように膝をついて押さえ、主の後を追って馬車から下りた。


 メイドより先に馬車から下りた美しい令嬢は長い脚を伸ばして道路にヒールをつけると、肩にかかった長いプラチナブロンドを後ろへかき上げる。

 艶かしい金色の髪が波打ち、太陽の光を柔らかく反射させた。


「ご苦労様」


 御者をねぎらい、渋滞している馬車の隙間を縫うようにして歩く。


 彼女の身長は175センチ。グレイフナー女性の平均身長よりも高く、手足が驚くほど長い。細身の身体には不釣り合いな大きな胸が、一歩足を出すたびに重量感を持って揺れた。


 すっきりした鼻梁はまっすぐ前を向き、特徴的な大きな垂れ目は揺らがぬ意思を持って開かれている。


 彼女が目の前を通り過ぎると、その美貌とスタイルの良さに、御者の男は手綱を取り落としそうになった。


 やがて彼女は渋滞している大通りを横断し、冒険者協会兼魔導研究所の前までやってきた。

 静かについてきたメイドに職員カードを出すように言い、冒険者協会の入り口の隣りにある『魔導研究所』のドアを開け、手慣れた様子で受付へカードを提示した。


「ごきげんよう、エドウィーナ・ゴールデン様。本日も輝く宝石のようにお美しいですなぁ」

「お世辞はいいから手を動かしなさい」


 受付の軽口な男、ドビーに厳しい目を向けつつ、黒板に向かって杖を一振りする。

 黒板にエドウィーナの出勤時刻が浮かび上がった。


「エドウィーナ様の美貌を見たら賛辞の一つでも言わなけりゃあ一日が始まりませんよ」


 手元の書類に手をつけるつもりがないのか、ドビーは気楽な調子で肩をすくめた。


「ごきげんよう。今日は早めに戻れると思うわ」


 エドウィーナは軽い溜め息をついてドビーに目を向け、後ろにいる専属メイドに一言伝えてカツカツとヒールを響かせて所内へと入っていった。




     ☆




 魔導研究所の地下にある『特殊魔法研究部』にたどり着き、エドウィーナは木製のロッカーから白衣を取り出して羽織った。

 更衣室から出て職員の専用机に腰を下ろすと、分厚い羊皮紙を引き出しから出して、机の上に広げた。


 羊皮紙にはエリィが持っていた、召喚の補助魔法陣なるものが張り付けてある。砂漠の賢者ポカホンタスからもらったという魔法陣は、どこにでもあるメモ用紙に描かれたものだ。劣化しないよう、メモを張り付けた羊皮紙ごと、“空気遮断エアストップ”の魔法をかけてある。


 補助魔法陣は円の中に四つの円が描かれており、その中に見たことのない複雑な術式が織り込まれていた。


「召喚の補助魔法陣。解析までの道のりは長いわ……」


 ブルーの垂れ目を光らせて、エドウィーナは口元に笑みを浮かべた。


 彼女は元々、召喚魔法について研究していた。

 過去の文献に、使い魔を召喚魔法陣で召喚して契約する、という記述があり、研究チームが発足された。


 使い魔は魔法使いにとって有用であるが、自分に見合った使い魔は世界に一匹しかいないというのが通説だ。よって、その特定の個体と偶然出逢える強運の持ち主しか使い魔を使役できなかった。


 もし使い魔を召喚魔法陣で確実に呼べるなら、王国にとっては魅力的な話だ。


 使い魔は非常に便利な存在だった。

 主人の指示を聞いて戦い、身を挺して守り、魔力が足りなくなれば供給してくれる。


 王国から研究資金が調達できた彼女らは様々な実験と試行錯誤を繰り返した。

 物体を風魔法で飛ばすところから始まり、移動系の魔法の研究をし、血などの液体だけを転送する方法などを模索する。


 だが、召喚どころか、転移・転送の魔法すらできていないのが現状だ。

 そもそも、物体を消失させる魔法がない。

 完全にお手上げの状態であった。


 だがそんな状況下で最高のヒントを手に入れた。

 エドウィーナはエリィから補助魔法陣のメモを受け取ってから、俄然仕事へのやる気が湧いていた。


「おはようございます、エドウィーナ姉様」


 様々な解析考察が描かれた羊皮紙を睨んでいると背後から声がかかった。

 振り返ると、妹のエリザベスが生真面目な顔をして立っていた。


「よく来てくれたわ」


 可愛い妹に笑いかけ、エドウィーナは立ち上がって彼女を軽く抱きしめた。

 エリザベスはめずらしくフランクな対応をする姉に抱きしめられ、目を白黒しながら頬をほんのりと赤くした。


「それから皆様も」


 魔導研究所で人気の部署、『魔法陣解析部』の“地面探索アースソナー”解析班がエドウィーナの元に集まっていた。


「“地面探索アースソナー”解析班班長、ラブ・エヴァンスです」

「召喚魔法陣解析班、エドウィーナ・ゴールデンです」


 エドウィーナとラブ・エヴァンスは軽く握手をかわした。


 班長であるラブ・エヴァンスはボリュームのある薄紫色の髪と上品なかぎ鼻が特徴的な女性だ。初めて足を運んだ地下の研究所の空気を面白がるように見回している。


 他に優秀な女性魔法使いが二人、エドウィーナと挨拶を交わした。


 なぜ別部署の彼女らが地下研究室に来たのか。

 理由は三つある。


 一つ目は“地面探索アースソナー”の魔法陣が召喚補助魔法陣と似ていたため。

 二つ目はエドウィーナと研究をしたい男が殺到し、決闘騒ぎを起こしてしまったため。

 三つ目はグレイフナー王国皇太子が研究に参加すると言ったので、国王が素性のはっきりしている年若き優秀なレディを集めよと鶴の一声を発したためだ。


 上記三つの条件に“地面探索アースソナー”解析班はぴったりであった。


 この班も、エリザベスの人気で男性陣から応募が殺到して収集がつかなくなり、女性魔法使いのみで構成された班だ。これなら国王のおめがねにも叶う。


 おそらく、国王は皇太子に嫁探しもさせたいと考えている、というのが周囲の噂であった。


 グレイフナー王国は平和になってから、皇太子は自分で嫁を探して口説く、というのが暗黙のルールになっており、現皇太子もその例外にもれず嫁探しをしている真っ最中だ。


 とはいえ、国王としては氏素性の知れぬ娘とは結婚させたくない。

 そこで皇太子が召喚魔法陣の研究を手伝うことを利用して、優秀な女性魔法使いと関係を持てるように配慮した、というわけだ。


「これでようやく研究が進みそうね」


 そんな思惑など露知らず、エドウィーナが楽しげに笑った。

 彼女は母アメリアとよく似た気質をしていて滅多に笑ったりしないが、研究のこととなると人が変わる。


「そうですわね」


 エリザベスは上品に笑う姉を見て、なんだか楽しい気持ちになった。


 そんな中、一人浮かない顔をした女性がいた。

 ラブ・エヴァンスだ。


 彼女は独身三十五歳で婚活に忙しかった。

 ついに現場に皇太子まで現れるとなれば、班長であり年長者である自分が多く対応を求められ、いよいよ職場恋愛は遥か彼方へと遠のくだろう。この悲劇に彼女は、今夜は酒場で浴びるように酒を呑んでやるんだ、と心に誓った。


「早速ですが、エヴァンス班長。この家紋らしき図柄に憶えはございません?」

「家紋?」


 エドウィーナの言葉を聞いてラブ・エヴァンスは真剣な表情になり、補助魔法陣に目を落とした。

 事前に資料は渡されている。

 しかし、エドウィーナが言う家紋などというものはこの魔法陣に描かれていなかったはずだ。


「よく見てくださいませ。全体を俯瞰して見ると、魔法陣が家紋のような形になっております」

「あら……たしかにそう言われてみれば……」

「妖魔ジュリエーゼの印文にも似ておりますし、黒魔法“重力グラビトン”魔法陣の心臓版にも似ております。ですが似て非なるものですわ」

「古代魔法……いえ、それよりも前のものかもしれないわね……」


 エドウィーナとラブ・エヴァンスの表情が険しくなる。


「エリザベス。家紋の資料を持ってきてちょうだい」


 エドウィーナに言われ、エリザベスは資料室へと向かった。


「あなた、黒魔法は使えますかしら」

「ええ、使えますわよ」

「でしたら魔法陣を展開してもらえないかしら。わたくしとエヴァンス班長で比較してみたいのよ」

「いいですわ」


 班員の一人が大きな空きスペースへ行き、重力魔法を唱える。

 魔法陣が浮かび上がるように調整された魔法は、周囲の重力を倍化させた。


「円の中に円の魔法陣が四つ。その一つ一つに意味があり、何かしらの関連性がある、とわたくしは考えております」

「相互に引き合っているのかしら?」

「あるいは、四つで一つの意味を成しているのかもしれませんわ」

「四角関係ってことね」


 ラブ・エヴァンスの言葉にエドウィーナは目をぱちくりさせた。


「どういう意味ですの?」

「王国劇場で人気の演目よ。二組の夫婦が互いの相手を入れ替える憎愛劇ね」

「まあ」


 エドウィーナはそんなことがこの世で本当に起こるのか、と目を見開いた。

 仲睦まじい両親を見てきて育った彼女には想像に難しい話であった。


 ラブ・エヴァンスは、男を何人も虜にした美貌を持つエドウィーナのピュアな部分を見て、やはりエリザベスの姉だな、と感心した。どうやらゴールデン家の長女も次女と同じように恋愛経験はあまりないらしい。


「もうよろしくってよ」


 班員が重力魔法を切った。

 彼女は息を吐き、エドウィーナの横へとやってくる。


 エドウィーナはラブ・エヴァンスを見て、意見を求めた。


「まず、この魔法陣がどの属性かを調べることが肝心かと。精緻さから考えるに上位魔法で構成されているのは間違いないかと思いますわ」

「そうね。全体的に土魔法“地面探索アースソナー”に似ている構成をしているから、上位木魔法の類似魔法陣を探していく作業から始めるべきね」

「では四つの円を左上から1、2、3、4と呼称しましょう」

「分かったわ」


 ラブ・エヴァンスと班員の二人は早速メモ帳に魔法陣を書き写し、番号を振っていく。

 エリザベスが部屋に戻ってきて、彼女も自分のノートに番号を振った。


「この補助魔法陣から本物の召喚魔法陣を作る………まさに手探り、ね」

「手探りはわたくしの十八番ですわ」

「頼もしいわね」


 エドウィーナが妖艶に笑うと、ラブ・エヴァンスと他二人の班員、エリザベスはその美しさに一瞬だけ見惚れ、これから一緒の班員になる彼女に期待の目を向けた。

 彼女は二十一歳と若いながらも、数々の功績を残している研究員だ。

 欠点がないと言われ続けてきた魔物『ダイダルホーン』の弱点を見つけたことは、最近で一番大きな功績だ。


「さあ、張り切っていきましょうか」


 エドウィーナが黄金の髪をゆったりとかき上げた。


 その姿はどことなく母アメリアに似ていて、楽しげな瞳はエイミーとエリィのようだ。

 エリザベスは自慢の姉の顔を見て、一緒に仕事ができることを嬉しく思った。


 一方、エドウィーナは未知なるものへの興味で膨れ上がっていた。

 この小さなメモに何が隠されているのか楽しみで仕方がない。


 召喚魔法が成功したらどんなに素晴らしいかと夢想すると、口元から勝手に笑みがこぼれてしまう。


 このメモを手に入れた末っ子には感謝しなければ、とエドウィーナはエリィの姿を想像し、彼女が洋服ビジネスや魔法の修業でくるくると毎日楽しそうに動く様子を思い出して、くすりと笑った。

 こうしている間も彼女はあれこれと頑張っているのだろう。


 エドウィーナは可愛い妹達に負けないよう気持ちを引き締め直し、目の前の作業に取り掛かった。

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