第221話 グレイフナー二番街・デート日和


 4月27日、『Eimy最新号』が発売されてから一週間。

 化粧品専門店『止まり木美人』には空前の好景気が訪れていた。


 雑誌に出した広告のおかげで首都グレイフナー中の女性たちが店に押しかけ、店内に陳列されている化粧品が飛ぶように売れていく。いや……実際に飛んでいた。


「あちきの口紅よぉ!」

「ミーが先に取ったざぁます!」


 綺麗になりたい二人のレディが口紅を取り合い、互いの手から商品がすっぽ抜けて宙を舞った。

 それを見た店主は口紅をどうにか両手でキャッチして、やれやれと二人を見つめた。


「お嬢さん方。欲しいのは分かるけど譲り合ってくれよ。レディってもんは見た目はもちろんそうだがなぁ、心が大事なんだよ。ハートだよハート。それがあって初めて綺麗になれるんだぜ」


 ひげ面で小綺麗な服に身を包んだ店主、マッシュは困惑しつつもお客同士が争わないよう仲裁に入る。レディ二人は店主の言葉を聞いて我に返り、それ以降は静かになった。お互い自己主張の激しい気質が性に合ったのか、終いには仲良く店内を見ている。


 マッシュは仲直りした二人に、大人気口紅の予約票を渡すサービスをした。


 その後、いさかいは起きず、時間が過ぎていく。


 決して大きくない店内は女性客であふれかえっていた。

 奥に設置された無料メイク台は長蛇の列になっている。グレイフナーのレディは割高な化粧品を厳選して買うのだ。


 一番人気は、止まり木美人とコバシガワ商会が手を組んで作った口紅、その名も『レーヴェルシリーズ』。


 エイミーが雑誌の巻末で顔をアップにして真っ赤な口紅をひき、「リップサービスはいらない」というフレーズを載せている広告が大ヒットの要因だ。


 店主マッシュは満足して店内を見渡す。

 どんなに忙しくても身綺麗にし、店頭に立つことが彼のポリシーであった。



 以前はいたって普通の化粧品店であったこの店が有名になったのは、グレイフナー初ファッション雑誌『Eimy』に広告を掲載できたからだ。


 マッシュはひっきりなしにやってくる客をさばきながら、そのことについて考えた。


(選ばれた店のみを広告掲載してくれる『Eimy』が、なぜうちの店を優先してくれるんだ? 知り合いがいるわけでもないし、献金したわけでもない……。合理的で情熱的なコバシガワ商会の営業陣を見るに、幸運で片付けるには説得力に欠けるぞ)


 マッシュの疑問も当然だった。


 特にツテもコネもない、ごく普通の店舗経営をしていた化粧品店に、なぜ広告掲載の声をかけ、その後もすべての『Eimy』に広告を優先して載せているのか。そんなコバシガワ商会の行動は謎以外の何物でもない。


 自分の店と同等規模の店舗なら、この首都グレイフナーに数多くある。

 それこそ似たり寄ったりの化粧品店がパッと思いつくだけでも二十はあり、そのどれもが由緒正しく老舗と呼ばれる店であった。



 彼は日々の忙しさですっかり忘れていた。



 一年前、この店にふらりと現れた太っちょなグレイフナー魔法学校の女子生徒、エリィ・ゴールデンという少女の存在を——




     ☆




「ごきげんよう」



 店の隅で物思いに耽っていたマッシュは突然声をかけられ、「いらっしゃいませ」と条件反射で挨拶を返して顔を上げた。


 瞬間、彼は息を飲んだ。


 目の前にとんでもない美少女が立っており、にこにこと自分を見つめていた。


 宝石のように輝くブルーの瞳。

 慈愛に満ちた大きな垂れ目。

 どことなく愛嬌のある口元。

 可愛らしい髪留めと紐で結ばれた金髪のツインテールは絹糸のようにさらりとしており、透き通る肌は陶器のように白く美しい。


 数多の女性をこの店で見てきたマッシュでさえも言葉を失う美貌と可憐さを持ち合わせた少女は、ゆっくりと口を開いた。


「久しぶりね。お店が繁盛しているようで何よりだわ」

「………」

「あら? どうしたの?」


 マッシュはさらに混乱し、癖である髭を撫でる動作を何度も繰り返してしまう。


「………あの、どちら様で?」


 どうにもマヌケな返しであったが、マッシュはどうにか声を出すことに成功し、相変わらず笑顔を向けてくれている美少女の柔らかい雰囲気を感じ取って平静を取り戻した。


「あら………ああ、そうね。分からないのも無理はないわね」


 金髪ツインテールの少女は悪戯っぽく笑うと、大きな胸を張って両手を腰に当てた。


「さて問題です。私は誰でしょう」

「……?」

「ヒントその一、私はこの店で一年前に化粧水を買いました。ヒントその二、私はあなたと重要な約束をしました」

「一年前……重要な約束……?」


 マッシュは店で働いていることを忘れ、目の前に現れた美少女のクイズに心を惹かれた。


 彼はなんとかして思い出そうとするが、こんな美少女と会ったことを忘れるはずがないと即座に思った。一度会ったら絶対忘れない。そう言い切れるほど彼女の存在は鮮烈であり美麗だった。


 それにしても美しい。

 さあ、分かるかしら、とつぶやきながらウキウキとこちらを見ている彼女の表情に、つい笑みがこぼれてしまう。


 また、彼女の服装は女性服の最先端をいっていた。


 Eimy最新号に掲載されていた、ベロアという素材を使った縦のプリーツシャツを着て、大きなツイードチェック柄のタイトスカートを穿いている。

 頭には流行り始めているベレー帽。

 足元は黒い革靴を履いており、靴下は赤だ。


 最先端の一歩先を行くようなファッションにマッシュは驚嘆し、店内にいる女性客もひそひそと声を落として話しつつ彼女の姿を盗み見ている。

 大きな胸によって押し上げられ、形の変わったシャツがなんとも悩ましい。


「分からないかしら」


 マッシュは彼女の可愛らしい問いかけでクイズ中であったことを思い出し、背筋を伸ばした。


「分からねえなぁ……。お嬢ちゃん、あまり大人をからかうもんじゃあねえよ」

「からかってなんかないわ。私はいつだって真剣よ」

「そんなこと言ったってよ、俺はお嬢ちゃんみたいな美人は絶対に忘れないぞ」

「やぁねぇ」


 嬉しそうに笑う彼女がほんのりと顔を赤く染めた。

 マッシュは恥じらう美少女の顔を見て年甲斐もなく抱きしめてやりたくなってしまう。


「ねえ、本当に分からない?」

「分からねえ」

「あなた、私と約束したんだけど」

「何の約束だいそりゃあ」

「それは——」


 彼女が正解を言おうとしたところで、店内にいた若い女性客が恐る恐る会話に割り込んできた。


「あの、ごめんなさい。ひょっとしてひょっとすると……あなた、雑誌Eimyのモデルをしている……エリィちゃん?」


 女性客の言葉を聞いて、エリィと呼ばれた少女は素直にこくりとうなずいた。


「ええそうよ」

「やっぱり! ねえみんな、この子、モデルのエリィちゃんよ!」


 女性客が喜色を浮かべて叫ぶと、店内の女性客が一斉に集まってきた。


「ひやぁぁぁぁっ! 可愛いぃぃっ!」

「エリィモデルってあなたをモチーフにして作られているのよね?!」

「わたひっ! あなたを見たとき脳内がファイアボールひまひたっ!」

「すんごいスタイルがいいわぁ!」


 マッシュは叫びだした女性客の言葉にハッとして両手を打った。


 Eimy最新号でモデルデビューしたエリィちゃんこと、エリィ・ゴールデン。服飾店ミラーズの大人気であり高級志向シリーズ『エリィモデル』は、この子をモチーフにして作られているというのがもっぱらの噂だ。


(そうか! だからどこかで見たことがあると思ったのか! それにしても雑誌モデルの人気者が俺と約束をしたってどういうことだ? しかも一年前に化粧水を買ったと言っていた。あれ……そういや、ちょうど一年前に彼女と同じ名前のエリィ・ゴールデンという太っちょの少女がいたな……。偶然にも同姓同名とは……おもしれえもんだな)


 モデルのエリィちゃんが握手をすると女性客は満足したのか店内へと散っていく。店主と彼女の会話を邪魔しては悪いと思ったのだろう。

 女性客は「商談の話ね」とか「こうやって新しい化粧品が生まれるのね」など、エリィが店主と仕事の話をしにきたと思いこんでいる。


「ねえ店長。これでわかったでしょう? 正解はエリィ・ゴールデンでした」


 エリィが笑顔でタイトスカートをちょんとつまみ、レディの礼を取った。

 仕草が洗練されていることにも驚いてしまう。


「ああ、それは分かったけどよ……モデルさんと約束した憶えはねえよ」

「ええ〜っ。ここまで言って分からないの? 一年前に約束したじゃない」

「してねえよ。何度も言うがお嬢さんのような美人さんとの約束なら、絶対に忘れない」

「よーく見て、私のこと。あなたに言ったわよね。“デートする権利を一回あげるわ。将来美人になるから奥さんが嫉妬しないようにちゃんと言っておいてよね”って」


 マッシュはじっと見つめてくるエリィの美しい顔を見ながら、ぼんやりと考えた。



 デートする権利——



 将来美人になる——



 嫁に言っておけ——



「それであなたは大笑いしながら了承して、『神聖の泥水』を六千ロンから四千ロンにまけてくれたんじゃない」


 マッシュはその言葉を聞いて全身に電流が走った。


 一年前、太っちょでニキビ面をしたエリィ・ゴールデンという少女が店にきた。

 彼女はハキハキと物言いをする素敵なレディで、ユーモアがあって面白く、自分が美人になるから商品をまけろと言ってきた。


 あのとき自分は大笑いした。

 それはもうレジ台をバシバシ叩いて笑った。



「ま、ま、ま、ま…………」



 マッシュは体長十メートルの一つ目人族ギガントに脳天をぶん殴られたような衝撃を受け、足ががくがくと震えて口がうまく動かなくなった。


 目の前にいる美少女のエリィと過去自分が話をした太っちょエリィを思い比べ、声も仕草も性格も似ていることに戦慄した。


「ま、ま、ま、ま…………!」


「ま?」


 エリィが首をひねるとツインテールがゆらりと揺れた。

 それを見て、マッシュは喉から声を絞り出した。



「まさかはぁっ!!!!」



 あまりのショックと衝撃と畏怖で過呼吸になり「まさか」が「まさかはぁっ」になってしまうマッシュ。


 そしてどうにか胸に湧き上がった衝動を吐き出すべく大口を開けて腰だめに拳を握り、両足を踏ん張って大きく息を吸い込み、一気呵成に悲鳴を上げた。



「あんときの太っちょなお嬢ちゃぁぁぁぁぁんッ?!?!」


「ええ、そうよ」


 エリィがあっさりとうなずくとマッシュはついに耐えきれなくなったのか両目をかっ開いて尻もちをつき、足をジタバタさせて壁際まで後ずさりする。まるで恐ろしいものでも見たかのような切羽詰まった様子で、人差し指をエリィに向けた。


 そして、叫んだ。




「痩せすぎいいいぃぃぃぃぃいいぃいぃぃいいぃぃぃっ!!!!」




 店内にマッシュの声が響き渡った。




      ☆




 こうして『止まり木美人』店主、四十三歳のマッシュは、今をときめくモデルのエリィとデートすることになった。


 彼女は今日を逃すとまとまった時間が取れないとのこと。

 突然の申し出に応えるのも男の役割だ。マッシュは快諾し、首都グレイフナーをエリィと歩いている。


 が、彼の心には旋風のように“不安”の二文字が吹き荒れていた。


(めちゃ可愛い女の子とのデート……楽しい。しかもエリィちゃん、話が上手い。だがこれはまずい……もしもこんなところを嫁に見られたら……まずいまずいまずいまずい………)


 そう。

 マッシュの嫁は、鬼嫁だった。


 化粧品店ということで女性客と接する機会が多いマッシュにただでさえヤキモチを焼き、毎日がご機嫌斜めの状態だ。

 それを約束とはいえ、こんな美少女とキャッキャウフフしながらデートしているところを嫁に見つかったら鉄拳制裁を受け、一ヶ月は口を聞いてもらえないのは目に見えている。


 恐ろしい。まっこと恐ろしい。


「ねえマッシュ! 私、あそこのお菓子食べてみたかったのよ! 行きましょう!」


 弾けんばかりの笑顔とはちきれんばかりの胸を揺らし、ぐいぐいと袖を引っ張るエリィを見ると、そんな不安も吹き飛んでしまうから、さらにまずい。


 何度も周囲の警戒を忘れてしまいそうになる。


 グレイフナー二番街は嫁の行動範囲だ。

 食事の準備で食材を買いにきたりすることもある。


「赤いのを二つくーださいっ」


 楽しげに笑うエリィが丸い砂糖菓子を指差して腕をつかんでくる。


(どうしよう。つかまれた腕をやんわりほどかなければいけないのに、もうこのままでいいやって気分になっちまう。しかしお嬢ちゃんよ。あんなデブだったのに、どうやってここまで痩せたのか聞きたいぞ。んああっ。どうしてこんなに美人になっちまったんだ。嫁に見られたら………俺は死亡だ)


「美味しいっ。ほら、あなたも食べなさいよ」

「お、おう」


 グレイフナー二番街で美少女と砂糖菓子を食べている自分が非現実的な世界へやってきてしまったと感じるマッシュ。

 周囲には同じことをしているカップル連れが多くいた。

 噴水がある広場はグレイフナーで有名なデートスポットでもあった。




     ☆




 マッシュは吹っ切れた。

 もうどうにでもなれ、と思った。


 それほどにエリィとの会話は楽しかった。

 時折、同性と遊んでいる気分になるから不思議だ。


 魔法的当てをし、カフェでお茶を飲み、占い屋で運勢を見てもらい、腕相撲酒場で腕相撲に興じ、エリィに男性服をコーディネートされ、仕事の話をたくさんした。


 周囲はすっかり暗くなり、“ライト”の照明器具がグレイフナー二番街の道々を照らしている。

 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。


「エリィお嬢ちゃん、楽しかったよ」

「私も。一年前の約束が果たせてよかったわ」

「俺は今日のことを一生忘れないと思うぜ」

「あらぁ、それは乙女にとって嬉しいセリフね」

「会うやつ会うやつに自慢しまくるよ」

「うふふ。ほどほどにね」


 そういってエリィがにっこりと笑う。


 マッシュは年齢を重ねて忘れていた若かりし初恋の気持ちを思い出し、取り繕うように髭をさすって首をひねった。

 そんなマッシュを見てエリィがころころと笑う。


 なんだか完全に手玉に取られている気がしないでもないが、これはこれで気分がいい、とマッシュは思った。


「一年前、私が痩せて美人になること……。あなたが冗談でも約束してくれて、私、嬉しかったのよ。本当に……ありがとう」


 たおやかにレディの礼を取るエリィは、やはり美しかった。

 柔らかい“ライト”の街灯に照らされ、目の前にいる少女がまるで女神に見えてくる。


 マッシュは照れ隠しに頭をかき、ぞんざいにうなずいて見せた。


「あんときは笑っちまって悪かったな」

「いいのよ。私も楽しかったもの」

「そうか」

「それじゃあそろそろ時間だわ。今度は商談の場で会いましょう。またお店にも寄るわね」


 エリィがそう言うと、どこからともなくゴールデン家の馬車が現れた。


 御者席に座って手綱を操っている男はなぜかコック姿で、頬に傷があり、羨ましさと怒りを混ぜた顔をしてマッシュを見ている。


(お嬢ちゃんは愛されてるなぁ。やっぱレディは愛されてなんぼだな)


 マッシュは御者席のコックを見て、自分がこの子の使用人だったら同じ顔をしただろうなと想像し、彼のきつい視線も特に気にならなかった。


「エリィお嬢ちゃん! またな! 風邪引くなよ!」

「はぁい!」

「元気でな!」

「あなたもね!」


 満面の笑みで手を振り、彼女は馬車に乗り込んだ。

 御者席のコックがクソ真面目な顔をして慇懃に礼をしてくる。


 マッシュが返礼するとごろごろと音を立てながら馬車が動き出し、そして見えなくなった。



 夢のようなひとときは終わりを告げた。



 数時間が幻想であったかのように思え、マッシュは頬をつねる。



「いてぇ。そりゃそうか」



 つぶやき、何となく笑いたくなって一人で静かに彼は笑った。



「さぁて、仕事、がんばるとするか!」



 マッシュは今まで感じたことのないほどに仕事への情熱が燃え上がった。




     ☆




 が、それは帰路を歩いている間だけだった。


 家に帰ると玄関先で仁王立ちをし、戦いの神パリオポテスが憤怒しているかのような、恐ろしい形相の鬼嫁が立っていた。



「……仕事サボってカワイ子ちゃんとぉ………デェトなんていいご身分じゃないのぉ………」



 鬼嫁は怒っていた。

 天地を揺るがすほどに。



「あんたぁぁああぁぁぁっ!!! どこであんな子と知り合ったんだいッ!? 洗いざらいぜぇぇんぶしゃべってもらうからねぇえぇぇぇっ!!!」



 鬼嫁の咆哮が玄関をビリビリと揺らした。



 マッシュは「ああっ」という溜め息ともダイイングメッセージとも取れる深い息を吐き、流れるような動作で両膝を下り、王様にかしずく奴隷のように両手をゆっくりと床へつけ、土下座のポーズを決めた。

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